『ふらり』




”どこにでもあるここだけの場所”
横浜
路地…2016年12月1日 
                      X-pro2 XF35㎜F1.4R
                            FUJIFILM




小学生の時に通った塾は吉祥寺にあった。東大出の二人の兄弟が開塾した…“進学塾”の走りのような所だった。
当時の受験生は週三回地元の塾に通い、週末は四谷大塚でテストを受ける…スタイルがスタンダードだったが、そのスタイルを提案したのがこの塾からだったように思う。
※この塾は後に“イマでしょ”で有名な予備校に買収されて消滅してしまう。


塾のメソッドが当時としては画期的で、ほんの数年の間に吉祥寺を中心に幾つもの教室をオープンさせるほど大盛況だった。しかしどこか「小さな町の学習塾」を思わせるよう家庭的な面も残っていて、なぜか僕は院長から「ラーメンでも食っていくか?」と職員室で一緒に食事をしたりもした。

有名中学校の受験を考えている生徒からすれば、僕のように遊びに来ている連中は許せかっただろうけど、塾に来れば塾の友達が出来るわけで、それが楽しくて堪らなかった。


自宅から吉祥寺まで子供の足では20分を超えた。
ある日のこと、ゴミ捨て場に片方のタイヤがパンクした大きなリアカーが捨ててあった。ボロボロのリアカーだったが、それを直して友人数名と電信柱ごとにジャンケンしながら負けたモノが皆を乗せてリヤカーを引く…そんな事をしていた。



吉祥寺のメインストリートから一本裏、ソープランドが並ぶような歓楽街を小学生がリヤカーを引いて塾に通う。
現在は映画館になってしまった場所は、当時”砂利が敷かれた月極の駐車場”でそこにリアカーを隠して授業を受ける。
帰りはその逆で、自宅近くの空き地にリヤカーを隠すわけだ。

昭和50年代の話だ。

警察の前も通ったし、多くの大人達に目撃されていたにも拘らず、どこからもクレームや苦情、お叱りを受けることもなく過ごせた時代だったのだと改めて思う。狭い道路を子供達がリヤカーを引いて遊んでいる。人によってはその光景を週に三回見ているはずなのに。

今のヨドバシカメラ吉祥寺の建物は、当時近鉄百貨店で大変な賑わいを見せていた…決して人がいなかったわけではない。そう考えると当時の寛容さと今の不寛容さがよく分かる気がする。




初めて訪れた場所でも、路地を見付けて身を潜めるとそこはかつて僕が通り抜けたあの路地と同じ匂いがする。
平成になって28年も経つのに昭和の匂いがする。いつもまでも嗅いでいたくなるような、それでいてもう二度と手に入らないものが浮かんでは消え、浮かんでは消えすることにつらくなったりもする。

そんな昭和の匂い、路地の匂いが心地よいと思える今日この頃である。











Comment

Comment Form
公開設定