「35㎜で旅をする」




   切り出してみる…2015年7月11日
                                 @Notre-Dame-des-Champs
                                     『ディテールの回収』

                                    X-E2 XF35㎜F1.4R

           ※写真をクリックすると二段階で大きくなります…是非どうぞ!






今、ネット友人がご夫婦でパリを訪れている。その様子がSNSに投稿されるのだが時間経過を伴っているので、まるでいっしょに旅をしているようで見ていて楽しい。写真越しに旅をしている感覚…35㎜で旅をするみたいな。

尤もその友人は年に一度…いや半年に一度は渡仏しているようなので・・・もはや観光客というのは区分上の問題で、きっとご本人はパリに行くたびに「帰ってきた」って感覚なのではないか?と思う。



27才で渡仏してパリに住んでいたボクはあと数日で50歳になる。ぴったり半分では無いが、パリを知るまでの人生と、知ってからの人生の差がほとんど無くなってきたことを思うと…ちょっと怖くもある。
※時の流れの早さに驚くって意味で…。


SNSに発表する写真は、あしげく通っているだけあって、まるで生活者が写すような場所だったり物だったりするから面白い、と同時に…人の写真で勝手に当時のことを色々思い出して、それがあまりに鮮明なので心が激しく揺れたりする瞬間がある。



数年で“元の風景”が分からなくなる東京に比べ、パリは変化が少ない。2015年のcaféマルリーの写真に、1993年の僕が写っていそうな気がするほど変わらない風景だったりするのだ。
大きな鞄を抱え、手には自作の粗末なサンドイッチ持ち、楽しそうな日本人観光客を尻目に、うつむき加減に石畳を早足で闊歩する姿が写っていそうで、ちょっと切なくなる。
「景観を極力変えない」ようにしているパリならではなのかも知れない。


以前にも話をしたが、2013年の暮れ、僕はパリの街中、そこかしこに散らばっている思い出の欠片を回収する旅に出た。

一つはフランスと縁のあった亡き父の欠片の回収、そしてもう一つは何度も渡仏していたのに最期は病院のベッドで「あーもう一度行きたかったわ…パリに」と言った亡き母の思いも一緒に持っていき街に立ち、Seineを眺めようと思ったのだ。
そしてさらにもう一つ。今回は傍らに中学生になったばかりの娘がいた。つまり回収の旅は時を同じくして、娘にとっては新しい思い出の欠片を撒き散らす為でもあった。

ボクの回収の旅はとてもマニアックな場所だけど、彼女の欠片を撒いたのは「老舗」とか「名所」ばかり。
もっと普通の観光客では行かないような所に連れて行って上げればいいのに…なぜかって?

実はちょっと訳がある。だって… やがて僕が居なくなった未来でも、確実の残っているだろうなぁ…って場所の方が良いではないか。一緒に訪れた場所に立って「あー今はこうなっているけど、ここは昔カフェでおじいちゃんと一緒に来たのよ」って言うよりも、同じ場所に立てる…寒過ぎたエッフェル塔や、もうダメェ~甘すぎて食べられないと言ったアンジェリーナだったり、うん・・・見た目ほど悪くないと言ったドゥマゴのサラダだったり、これって…要はなに?といったモンサンミッシェルのオムレツや、笑っちゃうほど狭いけどなんか好き…と言ったホテルの思い出の欠片を、確実に自分の子供や愛する人と回収の旅に出掛けることが出来るように…って思ったから。

僕がそうであったように数十年後、彼女は欠片を回収し僕のことを少し思い出して、また自分の子供の欠片を撒いて「回収の仕込み」をすることを密かに望んだりする。

回収し、撒く、回収し、撒く…それが世代を超えて繫がっていくことのがちょっとといいなぁ~と思うのだ。


ネット友人も今回、15年ぶりに渡仏する旦那様と、さらにお嬢さんと三人でフランス旅行をしている様だ。沢山の欠片を撒き散らしてくればいいなぁと、他人事ながら思ったりしたのだ。


Comment

kazahanaさんへ
機材がキヤノンやOLYMPUSの時は基本的に全てRAWだったのですが、FUJIFILMになってからjpegの撮出である事が本当に多くなりました。

一つにはかなり正確に記憶色に近いものが上がるのと、もう一つは結構偶然性も含めて良しとしているからです(笑)
ただ…あまりにも計画性のないスナップショットが多いので、あとあと良く見ると「あーボクが撮りたかったのはここなんだよなぁ」とトリミングをすることは良くあります。

それがいいのか悪いのかは微妙ですが…そもそも撮りたかった理由がボケてしまうくらいなら、きちんと整理して公開した方が良いのではないか?って思うからです。



あーそうなんでしょうね。僕は基本FILMの時代は殆ど知らないので、フィルムとデジタルの親和性みたいなことを二は悩むことは無いのですが、それでもこうやってドンドン「銀塩」の世界が小さくなっていくのを見ると、やはり心が痛みます。

実際にはランニングコストも含めて考えると、ちょっと僕には手の出せない領域なんですけどね。
  • 2015/07/15 11:39
  • ★kazahanaさんへ
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おはようございます
お写真を拝見して看板の文字を目を凝らして日本語を探しました
見つかりませんでした やはりメトロなのですね
旭の6×7が発売され近々ではCanonの60Dが出て
高画素カメラの目白押し状態 
自身でもフイルム時代の6×7は愛機だったのですが
フィルムカメラの場合のフイルムサイズの大きさゆえの有利性はある程度理解
できるのです ただデジタルカメラの場合 高画素設定で撮影したり
Raw設定で撮影したものをリサイズやRaw現像して閲覧したときに
もともと写し出されたものの空気感や表情が残っているのだろうかろ疑問に思います(実はあまり良くわかっていない ^ ^)
良いと思われる構図や設定でチャンスを切り取った写真が その根本的質感から
失われたり変わってしまうという現実があるように思えます
メリルにも興味があるのですが 私の知りえないデジタル技術の部分があって
実際にどう撮って如何に表現すべきなのか疑問な部分が残っています
リサイズにもそれなりの方法と理屈があって理解できない部分があります
ブログ程度にアップする際にも画質と下の雰囲気の維持という点で釈然としていません
たとえそれがブレや動きを意識した写真であっても写るに越したことはないとも思っています
まあ 人の性能自体どこまでのものか ましてや私のように病んだ者の性能すら疑わしいわけなのですが・・・

人個体のポテンシャルに限りがあっても受け継いでいく思いや記憶といったものの大切さを感じます

  • 2015/07/12 04:49
  • 風花
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