「意味とか意義とか言うものは…」




         聖人の眼差し…
                     @Notre dame de paris 「ノートルダム大聖堂」






今回のパリ旅行で訪れたノートルダム大聖堂は、ちょうど2013年に850周年になる事を祝って一部の修復工事、お化粧直しだけじゃなく、夜間照明のライティングなど…大きな改修工事を行った直後でした。そして北塔に新しい鐘を設置するなど、正に記念すべき時にグッドタイミングでの訪問になりました。

フランスは共和国なのでその精神はフランス革命の理念を継承している訳で、国教というものは無いはずです。しかし国民の多くはカソリック教徒でこのノートルダム大聖堂もカソリックの教会なのです。

娘はキリスト教系の学校に行っているので(幼稚園の時からずっと)興味があるのかと思ったら…「そもそもプロテスタントだし…それも特に思い入れは無いし」って事なので(苦笑)中に入るのはスルーしました。
僕自身は建造物として改めて中を見てみたかったのですが、周年記念と言う事もあって入場するには…”どこが最後尾なの?”ってほど行列になっている列に並ぶ必要があったのです。さすがに宗教心のない二人が極寒の年末、セーヌのほとりでいつは入れるかも分からない列に並ぶと言う事は無く、辺りを何枚かパシャパシャと撮影して後にしたのでした。


それにしても…ノートルダム大聖堂の正面に施された彫刻の凄いこと凄いこと。間近に行き上を見上げると、空の雲が動いているからか建物がこちら側に倒れてくるような錯覚に陥るのです。その圧倒的なスケールに目眩がしそうになります。

改めて宗教心というのは凄いなぁと思うのと同時、これだけの彫刻をそこに並べ…一つ一つのクオリティーにも、また全体の流れを理解する知力に愕然とします。緻密にそして小さな視野でも全体の大きな視野でも極めて完成度の高いモノを目の当たりにすると、改めて”モノを作る時の基本的な精神”みたいな物の大切さを感じます。

モノを作る時は「絶対的な意味」と「相対的な意義」を考えながら作らないと、そこに魂は入らないのだと。もの作り「意義」とか「価値」を一義的見て”あーでもねーこーでもねー”と言うのではなく、そこの込められている真義を、個別に見て、相対で見て、判断しないと、無責任な「雰囲気とかニュアンスだけの評論家仕事」がはびこってしまうのだ…と思ったりもするのです。

あれ?なんの話だ?

さてこの写真はHDRと言うわけではありません。綺麗に洗浄されたノートルダム大聖堂の躯体は、陽の光を受けると実に綺麗にその細かな装飾の陰影を浮かび上がらせるのです。