二つの香り…(上)



         彼女の風…
                    @麻布十番 「彼女に吹く風」





 好きだったある女性は、いつもほのかに良い香りがした。

 たとえばパルファムとか、たとえばアロマ・エッセンスとか、そういうものとは違って…優しくて軽やかで、目には見えない香りのヴェールみたいなものを、いつもまとっているような感じだった。

 一定の強さで香っているものではなく、ふとした彼女の動きや、風の向きだったりで穏やかに辺りに漂う感じ。

 近寄ったからといって強く香る訳でもなく、それはとても不思議な香りだった。

ある時、僕は彼女に「香水、何かつけてる?」と聞いてみた事がある。あまりに突然質問したので少しビックリしたようだったけど、彼女は「カボティーヌ」だと教えてくれた。そして「つけるのは時々だけど…」といった。




 何だか上手くサヨナラも言えない内に、何だか上手くサヨナラも聞けない内に、彼女は素敵な人を見つけて結婚し、ボクはボクで自分の足下を固めようと、一生懸命に自分なりの人生を探して歩いていた。


 人生をもがいている内に、世界でも屈指の香水大国で生活することになった。

すると香水は驚くほど身近にあって、生活の中で関わらずにいることは難しいほどだった。気付くといつの間にか香水は特別なものではなくなった。


 ある日、日本から来た友人の付き合いで、免税店の集まるエリアにある化粧品・香水の専門店に行った。その店先で「カボティーヌ」が売られていることに気付いた。


 グリーンのガラスで造形されたボトルの蓋を外し、テスターの細長いペーパーにスブレーをすると、しばらく置いて鼻を近づけてみた。

 確かにそれは彼女から時々香っていたものに間違いは無かった。懐かしさにボクの心は小さくギュと音を立てた。



 でも残念ながらボクが感じた「あの癒やされる香り」とは少し違った。
そもそも香水は使う人の体臭と合わさって、独自の香りを発する。それに彼女があの時「つけるのは時々だけど…」と言ったように、「彼女の香り」はこの香水からのものでは無いことだけはよく分かった。


<<<つづく>>>