楽しみが一つ…
- Day:2008.08.30 22:59
- Cat:独り言
「記事に対しての写真の選び方が秀逸だ。一度読んでみて欲しい」という
ような事を書いた。実際に横書き横組みの新聞を読むと、思いの外『違和感』の無い事に
気付かされる。
実生活において、多くの横書き横組みされた文章を目にするのだから当たり前かも知れない。
尤も、一つの完成された言語で、縦書きと横書きが公文書に至るまで混在する言語もかなり
珍しいのではないだろうか。数少ない私の海外経験から言っても、そういう国を知らない。
ふと気付いたのだが、新聞や会社の回覧文章を見る時には、横書きでも縦書きでも
一向に構わないと思うのだが、小説やエッセイに限って言うと『圧倒的に縦書き』が良い様に
思うのだ。
これは実際に横書きされた小説を読んだ事が無いから思う『先入観』かも知れない
(事実、新聞が横書きされる前には『違和感があるのではないか・・』と思っていた事も
ある)けど、どうも僕は『味わうモノ』に関しては『縦書き』の方がしっくり来るのだ。
このブログで具にもつかないことをうだうだ書くようになって、日記と言うにはちょっと即時性に
欠けるし、エッセイと言うには…洗練されていないのだけど、思った事をつらつらと書いている内に
「もっとエッセイ色を強くしたいなぁ」と思うに至って、ここ数日試行錯誤しているのだけど、
いざ『下書き』の状態でブログをアップして、プレビューで自分の書いた文章を見ると、何かが
ちょっと違う事に気付く。
「アーこれが縦書きなら良いのに…」と。
もちろん文章のセンスとか、文才とか、そういうものを引き合いに出されてしまうと、
何も言えないのだけど、内容と同じ位その体裁が重要なんじゃないと思うのだ。
『これが縦書きだったらどうなのだろう』と思う事がしばしあるのだ。いやもちろん横が縦になった
からと言って、文章が素晴らしくなる訳でもないし、突然アクセス数が増えて『もうリコメントをする
のが無理』なんて事にはならないのだけど、それでも『見栄えがする』様な気がするのだ。
頼まれもしない文章を、(インターネットの普及などの)時代の恩恵を受けて垂れ流している事に
対する罪悪感を少し持ちながら、「見たい人だけ見てくれれば良い」と思っていたりもする。
書くのが楽しいという事と、楽しいから良い文章が書ける…ってものではないのだけれど。
以前、記事に取り上げた「oggi(オッジ)」という女性月刊ファッション誌がある。
皆さんが良く聞く”cancam”(←えいねんさんの書き込みにより「cancan」ではなく"cancam"
だと分かりました。ずっと間違えて覚えて居りました。えいねんさん、ご指摘有難うございました)が
20歳代前半の女性であるのに対して、もう少しアッパー…30歳代半ばをメインに据えた雑誌だ。
仕事柄、多くの女性ファッション誌を新聞を読むように普通に読むのだが、この雑誌は毎回
とても楽しみにしていた。それは雑誌の主要部分である服飾に関わる部分のクオリティーではなく、
この雑誌に「小川洋子さん」のエッセイが巻頭にあるから。
それもう本当に至極のエッセイで、毎回このエッセイを読むために「oggi」を楽しみにしていたと
言っても過言じゃない…本当に上質なエッセイだった。
いつも巻頭の二ページを使い、日常に溢れるあらゆるシーンを題材に、微細な“人の想い”みたい
なものをマイケルケンナ氏の二枚の写真を挿絵にして、そっとエッセイにされているのだ。
その至極のエッセイが今月号を持って突然終わってしまった。文章の中に一切「さようなら」と
言うような文言はないのだけど、最後を飾る文章は…これまた実に美しい文章だった。
残念ながら小川氏の本を調べてみると、このようなタイプのエッセイはないようで…実に寂しい。
宝石のような文章を、仕事に託けて【カコツ・けて】堂々と読むことが出来たのに…。
楽しみが一つ…消えてしまった。
この小川洋子氏のエッセイを読んだ多くの人が、こんな文章を書いてみたい…と思うだろう事が
想像できる。僕も間違いなくその一人だ。また多くの人がその願いを叶えられないだろうことも
想像できる。僕も間違いなくその一人だ。
もしどこかで素敵なまた素敵なエッセイに出会う事を祈って…。
さて来月からいよいよ新しいブログに入ります。
でも題名が変わり、連日の更新ではなくインターバルになるだけで全然変わりません。
時間を置いてゆっくり書いて行こうかと。
ここ数日の三枚組み写真で書いた文章は、新しいブログをこの形式でやりたいと思っています。
今後も変わらぬご愛顧の程、宜しくお願い致します。