いつかきっと…終
- Day:2012.07.31 23:33
- Cat:…ノ ハザマ

@表参道 語らう時
《前回の話…》
親子が歌い出したのは、歩行者用信号が青に変わり歩き始めた時だった。電子音で奏でられるピッチの狂った「通りゃんせ」に合わせて、腕を振りながら横断歩道を渡り始めた。
ほんの数メートル先を歩く親子の歌を聴きながら、胸をぎゅっと締め付けられるような思いに駆られた。理由の分からないその感情の源を探ろうとして、娘との懐かしい日々を思い浮かべる。でもそこに思い当たる節はない。何しろ娘と手をつないで歌を唄いながら歩いたことなど、きっと一度もないから。
国道を渡りきり親子は右に、彼はそのまま真っ直ぐに進んだ。歩きながら心の中ある思いを探り続けた。思い出せそうで思い出せない、もどかしさを抱いたまま歩き続けたという。
あと幾つかの角を曲がれば自宅と言う場所で、記憶のパズルがカチッと音を立てて填まった。そして一気に自分の子供の時に記憶が飛んだ。
幼い時に父親を亡くした為に、母親が沢山の仕事を掛け持ちしてしながら、独りで育ててくれたという。生活するだけで一杯一杯の経済状況だった。特にどこかに連れて行って貰える余裕も無い中で、唯一の密なコミュニケーションが保育園からの帰り道、家までの30分間を手をつないで歌を唄いながら歩く時間が「最も幸せな時間」だったと。そしてその時に母親が教えてくれたのが…
「通りゃんせ」だった。
完全に忘れていた記憶。いや忘れていたのでは無く、頭の中から消えそうになっていた記憶が、目の前の親子が口ずさむを見て思い出してしまったのだ。それは鮮明に思い出されて、あの時の母親の匂いや、笑顔や、握った手の感覚が、一遍に思い出されて、あまりの生々しい感覚に息も吸えないぐらいだったと。
「そうしたらさ…」
「…」
「悲しいとか、懐かしいとか、そんなんじゃ無いんだよ。説明が難しいのだけど、もうさ…滝のようにただ涙が流れて止まらないのよ。自分でもビックリ知るほど。ホント…ただただ流れるんだ」
「…ただ、ただ、かぁ」
「不思議なんだよ。心の中は一切の高ぶりが無いのに、涙が止まらなくて。正直困ったよ。気持ち悪いだろネクタイを外したスーツ姿の中年のオヤジが、ポロポロ涙を流しながら歩いているのだから。そして親がいなくなるというのは寂しいなって心から思ったよ」
と。
その後、彼は一時間くらい自分の母親がどんなに苦労して育ててくれたかを話してくれた。そして、
「なんか今日が本当の意味で供養している気がするよ。あまり女房とお袋の折り合いが良くなかったから、家でお袋の話をこんなにした事無かったからなぁ。もう3年近く経っちゃったけどな。」
「そっか」
「ああ。だから今泣けないって言うけど、いつかきっと何かの拍子にオマエも同じ様なことになると思うよ」
「実感無いけどなぁ」
「オレだって無かったよ」
そんな会話をしてその日は分かれた。
表参道の駅からゆっくりと歩いて自宅に戻った。最近、駒沢通りが延長されて乃木坂まで伸びて、駅からのコースが変わった。六本木通りを横断する信号には「通りゃんせ」のメロディーは流れない。長い横断歩道を渡りながら、果たしてボクが同じ様に涙が流れるとしたら、果たして母のどんなシーンなのかなと思いを巡らせてみた。
もしかしたら、友人と同じ様に消えている記憶が蘇るのかも知れないけれど。
ー完ー
長い間、お付き合い下さいまして有り難うございました。
またこの話をブログに書くことを気持ち良く快諾して下ったS君に心から感謝致します。