ちょっと脇道:食欲の秋




本日の更新は…

ここ数日、訳があって、急に結婚式の時の写真を整理しなければならなくなりました。

自分の家にある個人所有のモノは、結婚当時に見た覚えがあるのですが、資料として整理された
写真を見たのは今回が初めてで…。改めて『あーこう言う結婚式になっていたのか!』と
13年ぶりに真実を知ったのでありました。


で、結婚式そのものは…見ても全然面白くないので、今回は『食欲の秋』という事で
一気にお料理写真をアップしました。

信じられないほどの量なので(苦笑) 高速スクロールして見ちゃって下さい(((o^∀^)oアハハ

因みに写真は…フィルムを簡易スキャンしたものなので…汚いですが…。




では! どうぞ!!









15

1

続きはこちら...

ちょっと脇道:見上げてごらん


ぼくの育った町には銀杏並木がある。
確か「都の木」も銀杏だったし、東京都のシンボルマークも銀杏をデザインしたモノだから
(正確にはアルファベットのTから来ているらしい)子供の頃から馴染みの深い樹の一つだ。



普段は叔父家族と九州で暮らしていた祖父が、時折上京して来る事があった。

今にして思えば70歳台前半で、ちょうど今の両親と同じ位だったのだと思うが、当時小学一年生
だったぼくには、えらく歳をとった人に見えていた。

記憶では二週間から一ヶ月くらいの間で、ある程度まとまった期間を我が家で暮らし、
6人いる子供の内、5人が点在する埼玉や三鷹市の家にキャラバンの様に遊びに行っていた。

誤解の無いように書くけど、いわゆる「たらい回し」というではない。
悠悠自適の行き着く先は「プラプラと子供達の家に旅行している」みたいな感じだった。



祖父はよく言えば「趣味人」、普通に言うと…禄でもない人で、昔はそれなりに働いていたものの、
宝くじに二度当る…という嘘のような人生で、人生の半ばで働く事を放棄しちゃったような人だ。
宝くじのお陰で家は有るし、当時は珍しいアパートなんかも建てちゃって、その家賃収入も
有ったりしたから、それなりに暮らしてはいけたらしいけど、6人も子供がいれば
生活が楽なはずもなく、子供たち(父を含む兄弟)、祖母は苦労したという。


矛盾しているのだけど、どうしようもなくダメな人だったけど、 愛情だけはたっぷりある人
だったらしい。
子供達に愛情をたっぷり降り注ぎ、子供たちもその愛情を充分に感じていた。

それは当時子供だったボクの目から見ても、祖父は子供たちから愛されていた事が良く分かった。




小学校に入った年の秋、祖父が遊びにきていた。

ある日、普段はバスで行く荻窪駅までの3キロちょっとの距離を歩く事になったのだ。
今考えると単に「祖父の運動」だったのだと思う。


歩きながら、ぼくはわざと躓いたふりをして繋いだ手をグッと引っ張り上げてもらう事十数回。
足腰が弱って来ていた祖父は「ワシもまだまだ」的な笑顔だったが、今思えばわざとらしい演技に
苦笑いしていたのかも知れない。

3キロもの道のり全てが銀杏並木だった。
多分、10月の下旬か11月の初旬。銀杏の葉はハラハラと散りながら、その真っ黄色な葉を
カーペットの様に歩道に敷き詰めていたようだったのを覚えている。


もしかしたら多少美化した刷り込みもあるかも知れないけれど。

       コントラストの世界 フラットな世界
                      @渋谷 君は何を書き込むか…









駅まで続く街道は左右に微妙なカーブを描き、黄色い葉を落としていて、
その中を祖父の手を握りながら歩くのだ。

躓くフリをする度に、握った腕をグッと上に引き上げて、「よっ!」とか「おうっ!」とか
言いながら歩き続けている。
駅まで歩き切ったのか、それとも途中で挫折したのか、最後は覚えていないけど。





麻布にある仙台坂の中腹に、半ば廃屋化した動物病院があった。
娘が日曜礼拝に通っていた頃、毎週日曜日にその前を通り坂の上の教会に行くのだ。

園児と共に狭いバス通りを歩くのは、気を使う。片側一車線のこの坂は、
片側にしかガードレールが無い。
歩く脇をギリギリに過ぎる車に気を払い、不意に飛び出したりしない様に気を遣いながら、
この坂を登るのだ。


動物病院の前に辿り着くと、古木とも言える程の銀杏の樹が有って、夏には青々とした葉をつけ、
秋には視覚一杯に黄色い世界を作ってくれる。

晩秋にはたわわな実を付け、強烈な匂いを放ちながら、季節が移り変わる様を見せてくれた。



日曜の朝。
早くに支度をさせて面倒がる娘を何とか教会に行かせる呪文の言葉。

「今日もクサクサ(臭々)爆弾から逃げよう!」とまるでゲームをする様な感覚で誘うと、上手く興味を引くことが出来た。



「今日もクサクサ爆弾から逃げよう!」
と。

撮影ナチョ
                   @南青山  探検隊での一枚  photo by nacho






いつの間にか、動物病院があった場所は広大な時間貸しの駐車場になっていて、廃墟の様な建物も
あの銀杏の樹も無くなっていた。
余りにも綺麗さっぱりなくなっているので、そこに何が有ったのか一瞬分からなかった程だ。

娘を迎えに行った後、仙台坂を通るコースで帰宅した。
坂にさしかかると
「ナチョ、ほら見て。ここに有った大きな銀杏の木…無くなっちゃったんだよ。覚えている?
 クサクサ爆弾?」

『うん。覚えている。凄い楽しかったよね』
「そっか…覚えているんだ。ナチョ小さかったから覚えていないと思ったよ」

『……』

「どうした?」

『ナチョ 楽しかったって思い出と クサクサ爆弾って言葉は覚えているのだけど…
 細かい事は覚えていないんだ…ごめんね』

なぜか娘は申し訳なさそうにそう言った。


「えっ?!」

ぼくは春も夏も秋も冬も、雨の日も雪の日も、夏休みも、春休みも、冬休みも、
毎週通ったのだけど、あの銀杏を覚えていないんだ…と思ったら、なんだか寂しかった。


でも…しばらく考えていたら、逆にそれで良いのかなと。

いや、凄く良いのかも知れないなァと。

だって…

『楽しかったって思い出は凄く覚えている』
のだから。




今年はこんなに暑い夏だったのに、実は銀杏の葉はもう既に少しずつ色付け始めている。
もちろん遠景で見るとまだまだ青いのだけど、近くに行って真下から見上げてみると、
木によっては色付いている葉が幾つか見つけられる。

この週末、あなたにとって大事な誰かと一緒に、近くの銀杏を見上げてみてはいかがだろう。





スイマセン…記事がまだ書けてい無くて。ちょっとつなぎの話を入れましたm(_ _)mペコリ
記事が書き上がり次第、ちゃんと更新します。リコメントも遅れていますが…お許しを。










多分同じ事、多分違う事 11 ~あの日に…~



タイムスリップや時間旅行をモチーフにした映画を観たり小説を読んだりした事が
多分、一度はあるだろう。

同年代の方なら、三部作品からなる「ターミネイター」や「バック トゥ ザ フューチャー」、
もう少し古いと「戦国自衛隊」を思い浮かべる人がいるかも知れない。

小説や漫画から入るなら「時をかける少女」や「ドラえもん」なんて言う人もいるだろう。
尤も両作品とも映画やドラマになったけど。
いずれにしても、時の壁を越えて過去や未来に移動するのは、ロマンティックなイメージや
ワクワクドキドキ感を持ったりする。

過去へのタイムスリップをモチーフにした話では、いずれの物語でも必ずと言って良いほど
「お約束の台詞」がある。

それは…

「過去を変えてはいけないし、変えるべきでは無い」
と言う様なものだ。

例えたった一匹の蜂でも殺したら、その後の世界に大きな影響が出てしまうと言うのだ。

その蜂に刺された人がアナフィラキシー・ショックで亡くなるはずだったのだが、
死亡原因になるはずの「蜂」が、タイムトラベルした者の手で殺される事によって、
蜂に刺されることなく、その後の歴史が大きく変わってしまうからだ。

実際にタイムスリップする事もないのだから、実際にそうなのかは分からない。
でももし仮に過去に行けたとして、歴史に関わり「本能寺の変」を回避したり、
「ケネディ暗殺」を阻止したりしたら、確かに現在が大きく変わってしまう…と言う話は
信じても良い気がする。

もちろん半ばファンタジーな話だけど。

       ベロ
                       @南青山  今日の御近所







様々な時代の様々な相手との「過去の時間」に戻る事で、ぼくは今に居ながら30年前、
20年前にタイムスリップを繰り返した。
もちろん手紙を読む事で繰り返される訳だから、途中で読むのを止めれば良いのだが、
封を開く度に自分の忘れていた事や、新たな発見、疑問が出て来るとしたら、
どうしても次の封筒を開けずにはいられなかったのだ。

映画や小説でさえ「過去に触るな」とさんざん忠告を受けるのにも関わらず、
主人公は過去を触れ、過去を変えようとする。

物語ならそれはそれでハラハラドキドキ感があって面白いが、
「触ってはいけないのに触ってしまう誘惑がある」のだ。

もちろんぼくの場合は、映画でも小説でも無い話だから、手紙を読んだだけで「過去に触る」
事など出来ない。
でも「止められても触ってしまわずにはいられない感覚」と言うのが良く分かった。



実際には過去を変えられない分だけ「苛立ち」と言うか、「後悔」と言うか…つまりは
「自責の念」が高まってしまうのだけど。

例えば明らかに「このシーンからやり直したい」と言う思ったり、
「ダメだ! そうじゃないだろう!」と手紙の中の当時の自分に声を掛けたくなってしまうのだ。




きっとこのブログを読んでくれている多くの人がそうである様に、自分の人生を振り返ると、
色々なステージに分かれているのではないだろうか。

観念的に「修行時代」とか「迷っていた時代」と言う分け方をする人もいるだろうし、
「中学時代」「大学時代」と言う、その時に帰属していたソサエティで分ける方が
すんなりとする人もいるだろう。

そう言うぼくは、年齢と共に「誰といたのか」と言うことがステージ分けの基準に
なっている事が分かった。

実際の人生は一繋がりなのだから、プツプツと人間関係が途切れる訳では無いのだが、
やはりその時代時代のメインストリームに乗って来るメンバーがいる。
その中で、会う機会はめっきり減ってしまったが、ステージを越えて影響をし続ける友がいる事も
事実なのだけど。



浮かんでは消える過去の友人たちの顔と、すでに流れてしまった過去の時間にぼくは大きく
戸惑いながら、淡々と片付けを続けたのだ。


多分同じ事、多分違う事 10 ~トータルリコール~




夏休みを利用して始めた片付けは、ヘッドフォンをしてiPhoneに録り貯めた曲を
聞きながらの作業だった。

iPhoneには時折Twitterのフォロワーからバカンス便りが届いて、ぼくもまた自宅での片付けの
進捗具合を「こんなモノが出て来た」だの「懐かしいです」とtweetで返していたのだ。


ところが「懐かしい」と言う感情も、写真を整理していた所までで、袋を開けて、帯を外して、
整理し直すと言う行為を続けている内に、「楽しい」と言う感情が希薄になり、
心の中に「澱」のようなモノがドンドン溜まって行くような…落ち着かない感覚になって
行くのが解った。


人生などと言い出すと大袈裟だが、時に『川』に例えられたり『登山』に例えられていたりする。
川なら、上流域、中流域、下流域という分け方をするだろうし、
登山なら5合目とか8合目などと言うのだろう。

生まれてから死ぬ日まで(平均寿命まで生きたとして)で考えれば、今は中流域であり、
5合目を越えた辺り。それぞれの段階で記憶のメインストリームにいるメンバーが違う。
もちろん継続される時間の中での話だから、高校時代の親友はいつでも並走している訳だけど。

当り前の事なのだけど、こうして時代毎に分けられた写真や手紙を見ていると、それをリアルに
感じてしまうのだ。
あくまでも「結果として…」なのだが、まさか片付けをする事で、こんなにも息苦しくなる程
リアルに過去にタイムスリップした様な精神状態になるとは思わなかった。

写真達を見て「なんだかダッサダサだな」という、何処かに苦笑いする要素のある
タイムスリップとは違って、手紙は心の深い所に手を差し込まれる様な苦しさを伴った。

     ヨル  ノ  ヴィーナス
                        @アリビラ 夜の女神





 『あーまったく また忘れた』…と思う事もしばしばのボクの記憶力。
読んだ本は片っ端から忘れていくし、観た映画も『アレ? 結局最後はどうなったけな?』と、
尺に合わせてテキトーにカットされた金曜ロードショーを見て『そうだったそうだった』と
再確認していたりする。

それは娘にもDNAとして受け継がれているらしく、忘れ物があると押印される『亀さんスタンプ』が
増えていく連絡ノートを見て苦笑いする事もしばしばだ。

しかしそれはまだ良いのかも知れない。



トータルリコール…(超記憶症)の話を思い出してしまった。
世界に5人しかいないと言われる疾患(と言って良いのかも知れない)で、ある時から突然
目の前で起こる全ての事象や、興味を持った事を記憶してしまう疾患だ。

ある人は過去の月日を指定すると、その日にあった事はもとより、その10日前後の社会的出来事を
正確に言い当てる事ができる。

「何年何月何日は◎曜日で、その三日後にアメリカ大統領が◎◎と会談していますね。」とか
「(指定した日)その日は◎◎と××国で騒乱あって、その二日後にカルフォルニアの◎◎市で
 被害者3人が出る火事がありました」
とか。

ネットで検索するよりもずっと早く言い当てる事が出来るのだ。



このトータルリコールには二通りのタイプがあって、
一つはただ情報として記憶しているだけで、情報に対して「懐かしい」とか「悲しい」と言う感情を
一切伴わないもの。
そしてもう一つは、感情も含めて全てを記憶しているタイプ。


前者は記憶を単なるデータとして覚えているので、ぼく等が今週の火曜日は何日?って聞かれると
同じぐらい、感情を伴う事はない。

ところが、後者の場合は常に感情も一緒に記憶している為に、「心の傷は時が解決してくれる」とか
「時が癒してくれる」と言う事が全く無いのだ。

これは地獄だ。

前者が社会生活を営めるのに対して、
後者は、
「人はこの能力を神の授けてくれた才能と言うが、私には苦痛で拷問でしかない。
 神から与えられた 試練でしかない」

と、一切 人前に出る事が出来なくなってしまっている。

何故ならその能力の話をしようとすれば、当然月日を指定されて「何があったのか?」を問われて、
その時に持っていた悲しみや苦しさを、まるで昨日の出来事の様にリアルに思い浮かべて
しまうからだ。

愛する人の死、
離別、
不安や恐れ、
痛み、苦しみ、
傷ついた事、
傷つけてしまった事、
それ等の悲しい出来事の全て、忘れてしまいた事を、何一つ忘れる事が出来ないまま生きているのだ。

まさに地獄ではないか。

いつかの…
                          @那覇 時を越えて…







話がずれてしまった…元に戻さなくては。



過去の手紙を読むと言うのは、「当時の相手と当時のぼく」の会話ではなく、
「当時の相手と今のぼく」が会話をするような感覚になるのだ。

変える事の出来ない取り返しのつかない「過去」が、薄れて行く記憶になる事で、
何とか苦しまない様になっていた事がリアルな形で目の前に提示される様な感覚なのだ。


それは過去の自分を完全肯定するには、ちょっとばかり歳を取り過ぎていたのかも知れないと。
「絶対的な自己肯定」をするには、自分に奢りがある若い時期が良い。
何故なら動かせない過去、変えられない過去を目の前に強烈な自己嫌悪の念が出てしまうからだ。



ぼくでさえこんなに辛いのだから、トータルリコールの辛さは想像を絶する。



ちょっと脇道



 ちょっと秋らしい日になりました。
嘘のような猛暑の夏がやっと終わったのかなぁ~と思いたいのですが、なんでも明日からまた
30℃近くまで上がるとか…  ふぅ


 で、いつもの様に片頭痛が発生していまして…。コメントを頂戴していながら、
皆さまの所にお伺いが出来ていません。申し訳ありません。
天候が不安定な日々が続くとてきめんに発症してしまうのです。

 更新はもう暫くの間…お待ち下さい。

頑張ろう…
                      @東京  とある街角






 文章の続きも鋭意執筆中です。
素敵な秋の夜 このブログにお越しの皆様が幸せな時間でありますように…。


ナチョパパ

多分同じ事、多分違う事 9 ~手紙が語る for me~


突然に『ノルウェイの森』の話をしたのも、実はこの「若かりし頃の自分を振り返って公に晒す」
って作業、多くの作家にも見られる行為なのだが…一体何歳になったら、ぼくにそれが出来るの
だろうかと思ったからだ。

始めはとても安易な思いで「あー高校生の時のボクはこんな事を考えていました」って冗談ぽく
書けたら良いなぁ…と思っていたのだ。

ところが何通かの手紙を読んで…これはとても書けないと。
何故ならあまりにも生身のぼくや、あまりにも生き生きとして息遣いが感じられるほど
リアルな「あの日好きだった彼女」が目の前に現れてしまって、たじろいでしまったからだ。


今回「多分同じ事、多分違う事」シリーズを書こうと思ったのは、自分の人生が仮に平均寿命で
あったとして(”余命”との厳密な定義付けは割愛する)、明らかに折り返し地点を
通過している訳で。
今ここで何の総括もしないまま、残りの半分を生きていくのだ…と言う事に、
普段から少し引っ掛かりがあったのだ。
それが「部屋の片付け」から「自分の過去を振り返るチャンス」になって動き始めたという
感覚があったのだ。

         蒼に包まれて…
                  @美ら海水族館  蒼に包まれて




今年の発表では平均寿命は男性79.5歳、女性は86.4歳になっている。
もちろん昨今の「高齢者不在問題」がここまで広がると…データ上も修正が必要になってくる
可能性もあるが、発表を基準に考えると、39歳(女性は43歳)で折り返した事になる。


そう思うと村上春樹氏が38~39歳の時に、自分の若かりし頃をモチーフに「自伝的小説」を
書いたのは、半生を振り返る時に必要な通過点だったのかも知れない。

とりあえず、ぼくも人生の半分を総括(ちょっと変な言葉だけど)するチャンスが、
目の前に現れたってことでもあったかと。


と書いてはいるが、片付け始める時から「自分の半人生の総括を!」なんて大上段に構えて
始まった訳ではない。
多分、仕事の事や親族の病気の事で少し疲れていた時に、「今のぼくを知らないボク」…の
写真が沢山出てきて、「知っているはずの自分」を意外と知らなかったり、
今の自分に繋がっている思わぬ「発芽」を見て取れたりして、驚きの連続だった。

そして心が過去と現在を頻繁に行ったり来たりする状態で、第二波として襲ってきたのは
大量の手紙だったってことだ。


多分写真がそうであったように、この大量の手紙達も「ぼくの知らないぼく」を表に出して
くるのではないか…と言う思い半分。そして単純な回顧する思い半分。

目の前の束ねられた帯を外し、最も古い日付の封筒を開き手紙を読み出した。

         果たしなく…
                    @沖縄北部 真っ直ぐ…海に続け!





往復書簡の復書簡だけを読むと言うのは、クイズの答えだけを教えられて、
どんな問題だったかを当てるようなものだ。

消印の若い順に読んでいると、段々自分がどんな事を書いていたのか、少しずつ分かるようになる。
もちろん細かいディティールは分からないけど、
『きっとこんな事を書いたのだろう』とか『多分、こんな思いだったのだろう』と。


片づけをしていたはずが、いつの間にか30年前の好きだった女の子と、
『先に答えを言われるような不思議な会話』を始めてしまったのだ。
当時もそうだったように、とても…そう、本当にとても個人的な小さな世界だけで成り立つ
会話の様なものだったのだ。



始めは『ブログのネタになれば』と思った『手紙の内容』は書けなくなってしまった。

もちろんぼくは作家でも何でもないから、自伝的小説とかく必要もないのだけど、
多くの作家たちが自分の過去を振り返りながら、赤裸々に自伝的な文章を書くのを見ると、
果たして関わった人達はどう思っているのだろうと考えてしまう。

ぼくが同じ様な事をしたら、やはりあまりに人に与える影響が大きい過ぎるな…と。


手紙はなかなかオープンにし辛いのだ。

そんな事を考えつつ、片付けを続けた。
そして時折、目に止まった封書を開いては、過去へと思いを馳せた。

相手に思いが届きますように…と書かれた手紙と言うものは、どんな内容であれ美しく感じた。



多分同じ事、多分違う事 8 ~手紙で語る事 for me~




B4大の茶封筒は正確には14個あって、それぞれに西暦が記されている。
一番若いのは1980年…15歳の時ものだった。

中を見ると、手紙が不均等な厚さで束ねられた状態で出て来た。
それはちょうど銀行で渡される100万円の束の様な綴じ方をしていて、帯には差出人の苗字が
乱雑な字で書き込まれている。

不均等なのは、頻繁に手紙を出してくれた人は、厚い束になり、
数回の人は2、3通で綴じられているからだった。

それを見る限りどうやら、過去のいつかの時点で、一度整理をしたらしい事が分かるのだが、
こっちはその記憶が全くない。
乱雑ではあったけど、書かれた文字は確実にぼくのモノだから、自分でやったのは
間違い無いらしい。

ほぼ全ての束は同じフォーマットで綴じられている事から、日常的にそうやって保管して
来たのでは無く、どうやらある時期に「整理をしなきゃ」と封筒を買って来て、年代順に分けて、
差出人毎に分類し、帯で綴じて行ったらしい事が伺えた。

一番分量が多かったのは、当時好きだった女の子からの物で、綴じられた複数の便箋に、
ことごとく記憶があったのには驚いた。


高校一年生の初夏に貰った手紙の二通目 から…つまり、手紙のやりとりが始まる極初期の返信が
目の前に現れたのだ。

結末の一部を書く事になってしまうが、この彼女からの手紙は今後8年間も続く事になる。
もちろん今目の前に広げられた封書の数々が、リアルタイムで往復書簡として息をしていた
時代には、及びも付かなかった事なのだけど。

実はここでそお内容の一部をお伝えできないモノか…と思い、何通過の手紙を読み返してみたのだ。

もちろん往復書簡であるはずの双方向ストーリーは、僕が当時どんな往信をしていたのか、
全く手掛かりが無いので…部分的に像像をするしか無いのだけど。

数通を読んで、大きな壁にぶち当たった。

          夜の宴に…
                    @アリビラ 夜のお出迎え…






1987年、もしかしたら1988年だったかも知れない。書店で堆く積まれた赤と緑の本があった。
20年以上の時を経て2010年映画化された村上春樹著「ノルウェイの森」だ。
(※実はこの辺の記憶が曖昧で、事実と少し違うかも知れない。もし事実と違っていたら、
ご指摘願いたいのだが…)

今でこそ名著と言われる同書だが、発売間近い時にはまさかここまでモンスター書籍になるとは
思ってもいなかった。
好き嫌いがあるのは当然だが、他の多くの作品を読んでも『イマイチ良く分からん』と言うのが
ぼくの感想で…ファンの方には大変申し訳ないが、どうしても理解が出来ない本が多い。

しかし、この『ノルウェイの森』を手にした時・・・つまり二十歳台前半のぼくは、本中で語られる
主人公の年齢が近いこともあって、ストーリーの中にドッカと浸ることが出来たのだ。
きっと今読んでも同じ読感にはなら無し、なれ無いだろう。



イカン…話がズレてきた話を戻さなくては…。


1987年に発行された訳だから…今から23年前と言う事になる。
今年61歳になる村上春樹氏の年齢から計算すると、当時38歳だった訳だ。
内容をここには書かないが、友人の自殺、身近な女性との性交渉の記述、また併せて親しい知人の
「精神的な病」に対する文章など、(本当の意味でリアルなのかは別にして)かなりギリギリの
暴露、告白に近いと思われる。

尤も、本書に対して『自伝的小説』と言われているのを本人は否定している。
ただそれでも明らかに主人公の設定は、若かりし頃の自分を振り返ってに…極めて近いものに
なっているのは事実だ。




そこで思ったのだ…。


多分同じ事、多分違う事 7 ~for me~


沢山の写真は結局、撮られた時に所属していたコミュニティーで分類する事にした。

パリ時代のモノ
専門学校時代のモノ(研究科を含む)
浪人時代のモノ
高校時代のモノ
中学時代のモノ
小学生時代のモノ
幼稚園時代のモノ
それ以前のモノ

中学時代のモノはさほど多く無いが、それでも色々なシチュエーションでの写真があった。

仕訳られた写真に間違いが無いかを確認する度に、心は当時のぼくへ何度もアジャスト
するので、片付けると言うよりも、その前段階の「仕訳確認作業」で時間が掛かってしまい、
一日目が終わってしまったほどだ。



「多分同じ事、多分違う事」シリーズも既に7回。
6回目が終わった時点で、
「タイトルと記事がどうしても繋がらない」
と、いい加減ウンザリしている人もいると…思う。

でも、どうしてもこの後の展開を考えると、どんな心持ちで整理を続けたのか?
を書いておきたくて…。

沢山の写真達は、当時の仲間や知人に囲まれていた時代に、
ぼくの感覚や意識を運んでしまっていた。



更に仕訳作業を続け…ついに全ての写真が整理されると、運び込まれた段ボールの中で、
一際大きなボリュームを持つB4大の複数の茶封筒をひっくり返した…。




中には



これでもか!と言う程 大量の…






手紙が出て来たのだ。


 夜を見渡して…
@アリビラ "une Lueur dans la nuit"





これだけインターネットが急激に普及して、同時(即時)両方向コミュニケーションが
世界中で容易に行えるようになると、自分の生活もそこにどっぷりと依存して
「ネットが無かった時」を上手く思い出せなくなっていたりする。

40歳半ばのぼくが15年も遡ると、ネットは言わずもがな、メールだって「普及していた」とは
言い辛い。一般人には「無い」も等しかったのだ。

早い時期にパソコンを導入していた人も「遊び(程度)」だったり、「仕事で」と言うのが
一般的だったと思う。

日常のコミュニケーション…もしくは必需品としての
「生活のツールとしてネットを使っていました…」
と言うのは、極一部の人の話だろう。

そもそもインターネットのインフラそのものが、生活の必需品としての基準に達して
いなかったのだから…。
ポータルサイトのホーム画面を開くのに3秒も4秒も掛かった時代。


当然、高校生になりたての30年前の世界には、遠く離れた相手とのコミュニケーションは、
電話か手紙。
(※電報もあったが、これも大学入試の結果発表的な使い方ぐらいか…)


そうそう企業で海外とやりとりするならテレックスなんてモノもあった。
企業でさえFAXを持っていなかった所が山ほどあった。


そんな時代に、ぼくは「手紙を書く」と言う行為でコミュニケーションをはかっていた。


そう日常的に。





その行為は、2500通以上もの「返信手紙の束」という形で…
忽然と2010年の夏 目の前に現れたのだ。




多分同じ事、多分違う事 6 ~写真は語る~


出てきた写真なのだがが…いやそれが凄い量で(苦笑)

半年ぐらい前だっただろうか。
実家に帰った時に留学時代の写真が出てきて、
『こんな写真が出てきました…アップしますね』
と、ブログで公開した事があったのだが、結局あの写真達はアルバムを
買って整理した。

ヨドバシカメラでKGサイズの台紙と、ネガを保存するファイルを買い、
やっとの思いで300枚近い写真を整理したのだが、今回はアルバムを買いに
行って整理をしよう・・・なんて量ではなかった。

300枚近い写真を整理するのも、かなりのコストが掛かったし、
真面目に整理すると、それを収納する事で出来るアルバムだけで
大変なヴォリュームになってしまうことが想像できたからだ。

”アルバムに収納する”という考え方そのものを、根本的に考え直さないと
いけないほどの量だったのだ。


話を戻そう。

もちろん自分自身が写っているものは、友人達が撮ってくれたもので、
高校三年生で行った修学旅行は、友人の島本くん(仮名)が撮ってくれた事を
覚えている。

普段は厳しい校則に縛られていたが、修学旅行では自由は服装が許されて
いた事が写真から分かる。

主に室内の写真が多かったが、着用している服は…、





自分ではお洒落だと思って買った




スウェット





なんだかとても




垢抜けない感じで…






見れば見るほどガックリと来るのだった。

 ナイトエスカリエィ
@アリビラ    Escaliers de la nuit






ガックリ来た話が続いてしまった…ハァ~

あまりにも強い衝撃だったので、こんな事に時間を割いてしまったが、
これ以上『ガックリ話』を続けても…何も発展性が無いので、先に進もう。


中学校時代の親友はおちまさとという名前で、今では有名人になってしまって
全く音信不通なのだけど、二人で卒業旅行に行った時の写真なんかも出てきて
なんだか本当に懐かしくなってしまった。

そしてその『懐かしい』と言う思いは、ドンドンと時を越えて
あたかも、あの場に、あの時に戻っているような不思議な感覚になって行った。




でも


それでは



終わらなかったのが、今回の片付けなのだ。

そう


やっとタイトルの意味に近づいていく事になる。