多分同じ事、多分違う事 5 ~写真が語る~

正直、もう少しイケている高校生だったと思っていた。



自分で言うのもどうかと思うが、
あくまでもぼくの記憶なので許して頂きたい。


多分、45年の人生の中で中学、高校時代が「一番お洒落をしよう」と言う
意識の高かった時期で、大人になった今考えると、高校生としては
破格の予算を投入して、被服費に当てていた。

実はこの後、その証拠がわんさと出てくるので、思い込みや間違った記憶では無い。

ところが…


写真から見る


イケてるはずの高校生のぼくは、



ダッサダサで…思わず頭を抱え込んでしまうほどトンチンカンなのだ。

数枚の写真がそうであれば、バッドコンディションの日もあるだろうと(苦笑)
と納得しないでも無いのだけど。

まあ出てくる写真、出てくる写真…怖いほどイケて無い。

このブログには当時からの親友が来てくれているから、一度当時の事を聞いてみようと
思うのだが・・・

☆☆☆★★☆☆☆★★☆☆☆★★☆☆☆★★☆☆☆★★☆☆☆★★☆☆☆★★
↑ この部分まで書いて、じつは先週(8月27日金曜日)に親友に会うチャンスがあった。
いつも(文字通りいつもなのだが)つるんでいた飯塚・安達(仮名)に、事の次第を説明して
『正直に言ってくれ…どうだったのだオレの高校時代は?』と。

すると安達が『お前さ、一人だけ制服作り変えていただろう』と。

そうそうそうなのだ。
実は高校の制服は紺ブレにグレーの杢のパンツ、紺のネクタイ(シャツは白か青)が指定だった
のだが、どうしても嫌でブルックス・ブラザーズに行って学校にばれない様に作り変えていたのだ。
JKだけはどうしても似寄りの素材が無くて、そのままだったけど。

 遠景
               @アリビラ   ソラ ノ ムコウ ニ

記憶に間違いが無ければ、月曜日に朝礼があって終了後に、持ち物検査と服装チェック、
髪型チェックなどの…校則検査があったのだが、その日だけは指定されていた
制服のパンツを履いていた記憶があるのだ。頭の良い学校は生徒の自主性に任せて
おいても何とかなるのだが、我が高校のレベルでは『力づく』で生徒を縛り付けないと
風紀が乱れるので、仕方の無い事だったのだ。
※もちろん抜き打ちでの検査も頻繁にあった。

☆☆☆★★☆☆☆★★☆☆☆★★☆☆☆★★☆☆☆★★☆☆☆★★☆☆☆★★



ともかく何のかんのと言っては、ショップに行き「あーだこーだ」言いながら服を買い…
恐らく店に「顧客名簿」なる物があったとしたら、間違いなくランキングの上位にいたと。
友人の山崎(仮名)と一緒に足繁く通ったのだ。

その記憶は鮮明に残っているから、もう少しイケている…と思ったのだが、もう苦笑いしかない。


どう言う訳だかその頃、「写真に写る」もしくは「記録写真を撮る」って事に否定的な考え方で、
嬉しそうに写真を撮っている仲間を見ては「ケッ嬉しそうに撮ってんじゃネーよ」的な
態度だったのだ。
※今は、物凄く後悔しているのだけど。


だから正直、こんなに写真が出てくると思っていなかったのだ。




多分同じ事、多分違う事 4~タイムスリップ急行出発 編~

「ここにあったか!」と。
どこかにしまったはずだけど、どこに在るのか・・・分からなくなっている物、
皆さんには無いだろうか。


自宅から持ってきたダンボールをひっくり返すと、まず大きく不恰好に膨らんでいる
ファイルが幾つか出てきた。
中からは行方不明になっていた卒業証明書や成績表、また移民局で発行された滞在許可証など、
今から15年以上前の(当時の)重要書類なんかがゴッソリと出てきた。

今まで『留学していました』とは言うものの、その証明書を明示しろと言われた事が
一度も無かったので、本腰を入れて探した事がなかったのだが…気にしてはいたのだ。

本来ならもう要らないものかも知れないが、海外滞在経験者は国外に居住した期間
『国民年金』は支払いが免除されるのだ。

しかし・・・
「年金支給時に『未払い期間』がある場合は、その理由と、理由を裏付ける証明書が必要です」
と以前言われた事があって、いつか探さないと…と思っていただった。

その際、必要になる写真付きの滞在許可書は、なんだか別人のようにやつれていて、
間抜けな面したぼくが写っていた。
 パスポートに至っては国籍不明の(中近東辺りの国籍を持つホームレスみたいな)浅黒い
無精髭で写っていて。

正直ガックリだ。

元が元なんで多くは望まないが、あまりにも酷い写真をまざまざと見せつけられて…
気が落ち込むほどだった。

         時と共に変わるバランス
                     @アリビラ  刻々と変化するバランス




また留学以前の日本のデザイン学校時代の写真、高校時代の写真、いやいやまだまだ中学時代、
小学校時代、幼稚園、それずっと幼い頃の写真まで出てきて。
なんと死んだ兄が、ベビーベッドの上で二ヵ月半ぐらいの僕を、愛しそうに寄り添っている
物まで出てきた。


そしてかなり細かく年度毎に仕分けされたB4大の茶封筒が出てきた。

表面にマジック(マーカー)で1983年から1996年まで走り書きした年号が書き込まれていて、
年度によってはVol、3というナンバーリングがあり、その一つを開けてみると…
手紙だった。

袋を開ける度に、ドンドンタイムスリップして過去に遡っていく感じなのだ。
ともかく箱を、そして封筒を開ける度に、過去に戻り、過去の自分を知ることになっていく。

あくまでも『自分の過去』に限定しているので、先日書いたルーツのように、
何代にも渡って遡って行く訳ではないけれど。
それでも充分に時間を遡って行く感覚に浸る事が出来た。

『自分の過去を知ることに…っておかしくないか』

と思う人もいるかも知れない。
でも本当にそう言う感覚なのだ。もちろん忘れてしまっていた事を思い出す事で、
『知る』と言う時もあれば、憶えてはいたのだけど、その自分の記憶と手紙や写真から
窺い知る事実が違っていて、『(事実は)こうだったのか』と、今更ながらに『知る』事もあるのだ。


『片付けが進まなくなるから』と・・・見ちゃダメだ、ダメだと思うのだが、写真の整理は見ないと
始まらない訳で…。
死んでしまった兄もそうだが、かつてお世話になったが亡くなった人、音信普通になってしまった人、
今では連絡さえもつかない人、そして名前さえも思い出せない人が沢山登場して、
数え切れないほど沢山の人の中で生きてきたんだなぁと、心の深い所で思う時間になってしまった。


多分同じ事、多分違う事 3~大混乱の運び出し 編~

運び込んだ荷物…ダンボール5個。そして衣装箱8箱。
タチが悪いのはそれぞれの箱の中に、何が入っているのか分かっていないこと。
つまり整理を始めるには、どのダンボールに何が入っているのか?
一度確認しないといけない。

一旦は自宅に運び込んだものも、廃棄になるものなら良い。
保管する場合にはある程度モジュールを揃えた保管箱などを用意しないといけないので、
とりあえず全体像を確認しようと。

片っ端から箱を開け、辺りにぶちまけた。


部屋は一瞬にして近年話題の『片付けられない症候群』』の様相を体した。



実家から運び出す時に、一度選別はしている。

でも当時、両親の体調がすぐれず…ぼくがやらないといけない状況だった。
父も母も相当頑張っていたのだけど、あまりにも量が多過ぎたから。

もちろんぼくには仕事もあるし、『休みを取ってお手伝い』…という訳にもいかない。

会社が終わって、娘を迎えに行き、家族を自宅で降ろすと、そのまま実家へ、
引越し作業をして自宅に戻り・・・の日々で、自分の荷物の整理は『とりあえず』程度にしか
出来ないのは仕方が無いかと。
迫り来る引越しの期日までに整理を終わらせる為に…ほぼ毎日。


night
                     @アリビラ   『夜の誘惑』
                     ※是非クリックして下さいませ…






それにしても、その量たるや・・・半端じゃない。


これも以前も書いたが、廃棄した分だけでも区役所からゴミ出し『個数の制限』を
受けるほど大量のモノを選別して、整理して、仕分け、廃棄し続けたのだ。
綺麗に整理しながら吟味してパッキング…なんて「僕一個人のモノ」にこだわっていては、
終わらない恐れがあったから…本当に”とりあえず”と言う感じだった。


引越しお任せパックであっても、「捨てるのか持って行くのか?」と言う判断は依頼主がする訳で。
その依頼主が荷物の選別が出来ない以上、代わりにやるしかない。


ひたすら屋根裏に潜り、地下のシェルターに入り込み、駐車場の奥付近にいつの間にか作られた
「高さ3m×横4.5m×奥行き1.5m」収納庫から、ありとあらゆる物を引っ張り出し、
その横にある備蓄食料冷蔵庫が設置された収納スペース(これがまた3畳ぐらいある)を
ひっくり返して、ゴミと持って行く物に識別して…の繰り返し。




こんな調子だったから、持ち込んだダンボールの中身がさっぱり分からなかったのだ。




多分同じ事、多分違う事 2~部屋の惨状 編~

少し前に書いた「実家の引越」に伴って、それまで預かって貰っていた大量の荷物を、
一気に狭い我が家に引き取らなければならなくなった。引き取ると言っても、
全て自分の物なのだけど。


約6年前にマンションを買う時に一番に問題になったのは収納だった。
正確には収納スペースと言うのだろうか。

一軒家で育ったぼくは、「物を保管する」という感覚が鈍くて、そのスペースを確保する事の
大変さをあまり意識しないで大人になってしまっていたので、
「あーここは収納スペースがあまり無い」とか、「ここは大丈夫だ」とこぼす家内にも、
気の抜けた様な「あー」とか「ふーん」と言った返事ばかりしていた。

もちろんどうでも良い…と言う意味ではなくて、よく分からなかったし、
分からないのに意見をするのもどうかと思っていたのだ。

だからいざ「家を借りる」とか「転居する」とか、生活の場を変える時に、
間取り図や収納スペースの確認と言う事に無頓着で、その辺の確認は常に家内任せだった。


だから今の我が家は狭いながらも、取り敢えずその時点での収納スペースは確保されていたし、
特にストレージを借りるまでの荷物もなかったし。


ところが当時小学校一年生になりたての娘も、歳を重ねるのに比例して「所有物」が増えて行き、
その大きさも一人前の大人並みになりつつある。

服は言わずもがな、靴のサイズ、鞄サイズ、その他有りとあらゆる所有物が大人サイズとなり、
三人の大人が小さなマンションに暮らしている状態になっている。

君の歩くリズムが愛おしかったりする
                 @アリビラ 君の歩くリズムが愛しかったりする…笑い





住み始めた時は「パパの部屋」と呼ばれた部屋は、まず手始めに「ピアノ部屋」と名前を変えた。
それを皮切りに、ちょっとした荷物が届くとこの部屋に置かれる様になった。

最近では「物置き」とか「取り敢えず(あの)部屋」と呼ばれる様になってしまっていた。


たださえ6畳ちょっと小さな部屋だ。様々な荷物が運び込まれる内に、
足の踏み場もない状況になってしまった。
そんな時に実家から荷物。目も当てられない惨状に。

そもそも普段はドアは閉まっていて、娘がピアノの練習をする以外は、見て見ぬ振りが
出来るのだが、問題は壁一面の本棚は、我が家の唯一にして最大の書架なのだ。

他の物なら「整理しないなら、もう買うな」と思えるのかも知れないが、「本」と言うのは
実に厄介で、「何とかならないでもない…」みたいな…言い訳をし易かったりするので、
タチが悪い。

多分同じ事、多分違う事 ~不思議な夏休み始まる 編~


2010年の夏休み皆さんはいかがお過ごしでしたか?

家族で旅行に行かれた方、
「いやいや仕事でしたよ」と言う方、
「実はこれから夏休みなんです」と言う方、
「ウチに休みは無いのです」と言う方、
様々な過ごし方で、数日間を過ごされた事でしょう。

そう言うぼくも8月12日~17日の6日間を夏休みとして過ごしました。
そしてそれは振り返ると、ちょっと特別な夏になりました。


2010年の夏は、本当は「何もしない」はずだったのですが…、
ちょっと特別な時間になってしまったと言う感じです…。


 肩越しに…
                 @アリビラ 肩越しの視線 パティオにて




2010年の夏は8月7.8日を軽井沢で過ごした後、所用があって一旦東京に戻り、9.10日と
通常勤務をして11日から夏休みに入った。

いつもなら再度軽井沢に戻る所だけど、今年はそのまま東京で夏休みを過ごす事に
なっていたのだ。
どこかに遊びに行けば良いのかも知れないが、生憎東京を離れる事が出来ない状態だったので、
何をすると言う事も無く家で過ごしていた。

大体「カメラ好きの出不精な中年男」する事と言ったら、寝ているか、本を読んでいるか、
撮り貯めた写真データを整理しているか…そんなものだ。


でも…


実は今回

「何もやる事がないのか?」って正面切って聞かれると、そう言う訳でも無くて。

いや今回に限った事じゃなく、ここ三年越しで気になってる事があって、
やらなきゃならない事があったのだ。




明日…

申し訳ありません…コメントを貰いながら、リコメントが出来ないまま明日からお泊まり出張で
大阪に行きます。リコメント&ご訪問をもう少々お待ち下さい。
しょうさん、
naokoさん、
申し訳ありませんm(_ _)mペコリ

         バルコン
                   @アリビラ  影のとその正体




夏休みが終わった方も多いと思います。事故なく戻られたことを嬉しく思います。
今年も残り4ヶ月半…頑張って参りましょう。


23:55…渋谷の公式気温30.5℃だそうですぅ~。

おやすみなさい。





街を見て 街のルール

生活の中で、結構長い間パソコンを触っているのに、自分のブログやリンクしている
皆様のブログを訪問する以外、ほとんど全くネットサーフィンのような事をせず、
新しいサイトに出会うと言う事があまりありません。

本当は折角世界に張り巡らされたネット社会なんですから、そのメリットを享受すべく、
そう言う時間を持てば良いのですが…。


 それでも時々カメラのサイトなんかを見ていて、ふとクリックしたら思わぬサイトに出会って、
思わず覗き込んだりします。ぼくの天邪鬼な側面がでて「すごく話題性のある人気のブログ」よりも、
もっと個人的に「ああこの人良いなァ」思える「キャラクター重視」見方で惹かれる時と、
どんな人なのか全く分からないけど、とても素敵な写真(ぼくの好きな写真と言う意味です)を
撮っていらっしゃる人のブログに惹かれるらしくて、気がつくとリンクしている多くのブログは、
「人柄が出ている文章ブログ」
「視線の魅力的な写真ブログ」
の2タイプになっていました。


沢山カテゴリーがあるブログなのに、2つしかその方向性がないと言うのは、
ちょっと勿体無い気もしますが…(苦笑)。

        海から
                         @アリビラ 海から ”透”





 先日もどういった流れだったのか? 全く覚えていないのですが、「いつものパリ」という
サイトに出会いまして。プロフによるとフランス在住のライターの方のブログなのですが、
それ素敵なんです。
ライターさんなので、文章は素晴らしいのは当たり前なんですが、写真がなんとも素敵で。

「あーぼくが最近パリに行って写真を撮りたいって言うのは、
 こう言う写真を撮りたいからなんだよな」

と思ったのです。




そして(ライターさんなのに)文章が記されている事はごく稀で、大体は写真が一枚と、
文章が1、2行書かれている程度なんですね。なんとも惹かれるブログなのです。

あまりにも良かったので、ネット友人でもあるtarutaruさんにお知らせしたら、
さすがtarutaruさん一言。

「在住者の目線ですね」と。

あーなるほど、何か観光とはちょっと違った写真だなァ~と思ったら、「在住者の目線」で
パリを切り取るとこうなるのだなぁと妙に納得。

ぼくは時々「凄く良い、でも何処が良いのか言葉で言えない」って事があるので、
tarutaruさんの感想に思わずオオォーと深く頷いてしまいました。


2005年4月から始まっているそのブログは、左枠の「以前の記事」欄にあるmore…を
クリックして過去のブログを月毎に見る事が出来るので、初めからゆっくり見てみました。

とても整理されていて、気持ちの良いブログですので一度皆様ご覧になって頂けると嬉しいです。

※整理されているとは…カテゴリーの区切り方とか、タイトルの付け方が初めからルールに
 則っているので見易いのです。

 影 光
                    @アリビラ 時間と太陽がストライプを生む





毎回の事ですが、盆暮れの都内は、旅行や帰省中の人が多い事や、企業がお休みになる事から、
交通量が激減してとても快適になります。

今日も所用で自宅→麻布十番→目黒区八雲→港北IC傍のIKEA→江東区→自宅と移動したのですが、
渋滞によるストレスを感じないで移動し続けました。

正確には違うのかも知れませんが、有る一定の法定速度を基準に街を走ると、信号もスムーズに
通過出来るようになっているらしく、「110mハードルかよ!!」と、普段なら突っ込みたくなる様な
連続する信号機も、さほど足止めされる事も無く通過出来るので、心の中のイライラ・メーターも
アイドリング状態でした(苦笑)




でもですね…





全く



問題がない






って訳でも無くて…(-。-;






仕方ないとは思っているのですが、僕らが長期休みに旅行に行くように、東京に遊びに来ている
人も沢山いる訳です。大袈裟な話じゃ無くて、信号で停まって視界に入る三車線に停まる車全部が、
東京外ナンバーなんて事が頻繁に起こります。

もちろん、ぼくが旅行に行った時にそうで有るように、慣れない道を走るのですから、
スムーズにいかない面は多々有ると思います。

「えっ? 真っ直ぐ走っていたら、突然右折専用レーンになってしまって…すいません すいません
 直進したいので、車線変更を急にしますよ…」
と言う状況は、分からなくも無いのです。


多くを知りませんが、やはり東京の道って立体交差や、その側道が幾重にも続いたり、間違えても
直進しちゃえば良いや…と思ったら、進路規制が細かく指示してあったりして。側道は直進出来ない
交差点にぶつかる…なんで言う、慣れない人が通ったら、ちょっと面倒だろうなァ~なんて道が
沢山ありますから。そのぐらいの事は、ぼくだって分かります。

 ホテル
        @アリビラ どうしてもこのライフセーバーのチェアに惹かれてしまって
                UPしてしまって…何度もスイマセン…(^_^;ゞエヘッ






でもですね…。

やはり「郷に入ったら郷に従え」ですから、間違えに気付いたからと言って、
いきなりブレーキ掛けたり、急にハンドルを切ったり、Uターン禁止の場所でセンターラインの
キャッツアイをガタガタ言わせながら、超えて行ったりするのは無しです。


それに違法路上駐車も。


確かに駐車場も高いですから、アー路上駐車しちゃいたいなァ~と言う人がいるのも
分からなくは無い。
でも同じ路上駐車でも「ここに停めると実に迷惑」って場所が有る訳ですから、
その判断が付かない街に来た時は、やはり高くてもきちんとコインパーキングなり、
時間貸しの駐車場に停めて欲しいのですよ。


きっと
「えっ? こんなファミレス脇から幹線道路につながる細い路地、車通らないでしょう?」
と、見た目では思うかも知れませんが、生活している人達の「裏道」だったり「生活道」の出口
だったりする訳です。

見た目で判断しないで欲しいのです。



知らない街で路駐をするのは、やはりマナー違反かと。
もちろんぼくも、あなたの街に行ったら違法路駐はしませんから。

 撮る人を撮る
                       @バスルームにて どうも…




さて、今日はお部屋の片づけを致します。頑張ろうっと!!



寂しくはないか?

さて今日更新する文章は軽井沢でつらつら書いて、東京に戻ったら更新しようと思っていたものです。
一昨日の夜、上信越・関越道の30キロ以上の渋滞の中、やっと戻ったのですが…疲れ切ってしまって、更新を翌日に持ち越したのです。

ところが一夜明けて昨日、朝から微妙な片頭痛が。
我慢出来ないほどでもないので仕事をしていたのですが、ずっと鈍痛があり肩凝りもあったことから「終業後にマッサージに行こう」と予約を入れたのです。
 マッサージと言っても町のマッサージ屋さんではなくて、とあるJリーグのフィジカル・トレーナーでもある方が開業している所なのです。
診て貰うと…全身バリバリですね~と。
完全に自覚しているので「ですねぇ~」とぼく。そこで人生初めての「針」もして貰う事になったのです。
 ところが初めてだと(超初心者用にしたとしても)、結構反応が出てしまって怠くなったり、ちょっと痛みが出たり、血行が良くなり過ぎる事がありますよと言われたのですね。
 でも凝りが酷かったのでお願いしたら…まあなんと見事に先生の言う通りに。
台風が来ている事もあって気圧が不安定で、ただでさえ片頭痛になる要因があるのに、針ですから…。三か月に一度はなる「超ド級の片頭痛」になりまして。・゚・(ノД`)・゚・。トホホ

午後からやっと薬が効いて、今はパソコンの画面も普通に見る事が出来るようになりました(^v^)ニコ 前置きが長くなりましたが…更新致します。
文章は昨日の時点で時制になっていますので…ご了承くださいm(_ _)mペコリ

         切り抜く
                    @アリビラ 海も空も切り取ってみる





すみません…リコメントや訪問が全く出来ない数日でした。

と言うのも金曜日の終業後、一旦家に戻ってブログを更新した後、一路軽井沢に向かいまして。

今は所用の為、ぼくだけ早くに東京に戻って来たのです。

金曜の夜は結局、何だかんだで東京を出たのが21:15。
実はこの時期高速道路は、観光シーズンの浮かれ気分をたしなめる為に、道端に潜んだ警察官の
目がある事を知っているので(苦笑)、ゆっくりと軽井沢を目指したのです。

結局到着は23:50。安全運転をすると意外と時間が掛かるものなのです。
※因みに新幹線だと、きっかり一時間なので…やはりよほどの事がない限り、
混雑知らずの新幹線を選びたくなります。

         窓越しの…
                       @アリビラ そして花も切り取る






夜の高速道路を規則正しい速度…つまり一定の速度で走ると、センターラインが一定の速度で
通過する事になりますよね。

この一定のリズムが実に按配が悪くて、シュン、シュン、シュン、心地よく流れて行くリズムが
軽い催眠状態を誘発するらしく、特に眠かったわけでも無いのに、睡魔に襲われてしまいました。

もちろんなんとか乗り越えたのですが…、あれってなんとかならないものか?と
思ってしまいました。
あのリズムで居眠り運転になった人、結構いるのでは無いでしょうか?

まだ高速道路に街灯がある場合は良いのです。上信越高速道路なんかに入ると、
街灯が無くなって自分の車のヘッドライトが照らす範囲だけが視界なのですね。

その範囲外から視野に入って、自分の車の脇へ消えて行く。
これは視覚的にもかなり規則的な動きでして。

アレって問題だと思うのですが。出来たら白線の長さを不均等にして貰たら、まだ救われる…
と思うのですが。

夜の高速道路を長距離走った方、そう思いませんか?
 

見上げて
           @アリビラ 周りを見渡して、視線を上げると、そこも被写体になった





今回は短い滞在という事もあって、特にカメラもパソコンも持って行かず
(コンデジは持って行ったけど)、ただひたすら家事手伝いをして来た感じで(^◇^;)
全くリゾートとかバカンスって感じではありませんでした・゚・(ノД`)・゚・。トホホ

ゴルフをする訳でも無いし、何か特別に何処かに行くと言う事も無いし…一体なんの為に
行っているのか?と言われたら、完全にご接待と言っても良いのではないかと。


お客様を始め、別荘に泊まっている皆さんがゴルフをしている間に、
夜からのパーティの買い物に行ったり、その準備をしたりして。
少しの時間を見つけては本を読んだり、iPhoneでこの記事を書いたりして時間を過ごすしました。

たった2日間の滞在だったので、パソコンを持ち込まずにtomatoさんオススメのAppleの
ワイヤレスキーボードを購入して軽井沢入りしたのです。

iPhoneだけあれば、なんとか2日間のWeb環境は整うかなァ? と思ったのですが…それは






甘かった。




キーボードはtomatoさん言う通りしっかり機能するのですが、問題はソフトバンクの電波状況が
非常に悪い。

バリバリの状態だとアンテナのアイコンが5本立つiPhoneなんですが、基本は圏外、
何かの拍子でアンテナが立つ状態でも、一本立つのがやっと…という状態でした。

文字入力は快適に出来るのに、Webにアクセス出来ないとなると…出来る事はメモ帳に
記事を書くぐらいしかない。全く持って使えないSoftBankでした。


iPhoneはWiーFiでもあるので、EMから出ているモバイルルータを導入しようか?
非常に迷っています。なんだか二重払いになるような気もして。

今現在だって、docomo、ウィルコム(データカード)、そしてSoftBankの三つも月々課金
されているので…一回ちゃんと整理しないといけないと思っているのでした。


 ライフガード
                        @アリビラ コントラスト







閑話休題


きっと既に沢山のブログで取り上げられているネタだと思いますけど、
100歳以上のいわゆる「高齢者未存在問題」ですが…。

これってちょっとした盲点だった気がしませんか?

いやもちろん中には気付いていた方もいらっしゃるのかも知れませんが、
ぼくは今の日本でこんな事になるなんて…正直思ってもみませんでした。

そもそも今回の諸問題の発端になった「ミイラ化した老人が見つかった事件」の場合もそうですが、
人の生き死にがかかった問題で「無届け」が起こるとは思ってもいなかったのです。


百歩譲って「行方不明」というなら分からなくも無いのです。

それでも自分の親なり、祖父母が居なくなったとなったら…捜索願なりなんなりが出すものと
思い込んでました。

仮に健康な人で自分で生活できる人がいなくなった場合でも、居なくなったら
届出ると思うのです。
ましてや「生活する能力が著しく低下している老人」が居なくなったら…相当焦ると思うのです。


そこは「仲が良い」とか「不仲である」とか、そう言う次元では内容に思うのですけどね。

「アンタは平和だからだよ」
って言う人もいるかも知れませんが…やはり余りに人間関係が希薄になり過ぎていると、
思わずにはいられません。


まあ一身上の都合で、世間から身を隠さないといけない…と言う様な場合もあるでしょうけど、
100歳以上の老人にそんな事情があるとは思い辛いですしね。

何だかまだまだ増えそうな気がして、思わず人ひとりの命が軽んじられている…としか
思えないのですが、どうでしょう?
家庭には家庭毎の事情があるでしょうから、そこに深くは触れませんが、それでも何かちょっと
寂しい気持ちになってしまう話ではありませんか?


 北を目指して…
                     @アリビラ 南の島で北を目指す 




※我儘言って申し訳ないのですが…訪問が遅れています。もう少々お待ち下さい。





once upon a time LAST




「じゃパパのお爺ちゃんと言う事だから…
私にとっては曾お爺ちゃんって事になるんだよね」と。
「そういう事だね」
「いま生きていたら何歳?」
「えっと1900年生まれだから…110歳だなぁ」
「えっ? 1900年って…江戸時代?」
「あはは違う違う…明治時代だなぁ」

「ふーん 明治時代かぁ あっ!!」
「何?」
「ナチョ 2000年生まれだから、ちょうど100歳違いだ」
「あっ!そうか」

「でも知らないけど。じゃあパパ会った事ある?」
「あるさ。小さい時…小学生の三年生ぐらいまでは遊んで貰っていたから」
「そっかぁ」
「ジイジに似ている?」
「うーん…どうかなぁ」
「何屋さん?」
「パパも知らない。だってパパが遊んで貰っていた時にはもう完全にお爺さんだったから」

「そっか・・・」


       窓の外の…
              @アリビラ  エレベータ・フロアからの眺め






ボクにとって祖父がギリギリのルーツで、その先の曾祖父が分からないように、
娘もまた祖父であるぼくの父までは分かるが、その先の曾祖父までは分からない。
たった100年の差で祖父の家族、父の家族、ボクの家族、そして(やがては)娘の家族が
出来る訳だから、クロスオーバー分を除けば、ほぼ25年ずつが未来の子孫の為の
「受け持ち期間」なんだと言う気がする。

リレーに例えれば、受け持ち期間は25年分をしっかり走り切らないとならない訳だ。
もちろんなかなか25年でバッと受け渡す訳では無いから、助走期間なり併走期間があるのだけど。

それでもなんだか「たった25年…なんだ。」と思わずにはいられない。



例えば徳川家の血を引くとか(苦笑)、上場会社の創業一族・・・と言うのならばともかく、
ごく普通に生きてきた一般的な家にとって、財産とも呼べる様な資産を持たない我が家の場合、
引き継ぐと言ってもそんなに大仰な物はない訳で。
もし両親に何かあって「思い出の品だ」と言っても、大した事にはならない。


自分に置き換えて「あぁこれは娘に受け継がせられるな」なんて思っている物も、
実はそんな根拠貴重な物はどこにもなくて、曾祖父がそうであったように最後は一枚の写真
なんて言う物の方がずっとリアリティがある。


「じゃあ君の家には先祖代々受け継がれている物はないのか?」」
と聞かれと、それだって父が「昔から家にあったものだ」程度の思い入れで・・・祖父や曾祖父が
どんな思いで子孫達に託したのかなんて言うのは分からない。
あまり血の通った「思いの品」という意識がないのだ。


そう思ったら、今回ひらりと落ちた一枚の写真は、社会的な価値は全く無いけど、
自分のルーツを振り返る事ができたのだから、ぼくにはとても価値のある物だったのだと思う。


あーもちろん鳩山一家とか、旧財閥系のお家柄とか、どこかの企業のオーナー一族という場合は、
先祖代々の思い入れや、また受け継ぐ価値のあるべき物も沢山あるだろうから、
全く当てはまらないけど。

ただそうなってくると、思い入れはともかく物としての価値として維持・保存し続けなければ
ならない(ある意味"責任")も出て来ちゃうのだろうけど。

       日射し
                     @アリビラ 細部に宿る拘り






少し前までデジタルの世界はドックイヤー(犬の加齢は人間の6倍の速度で進む)だと
言われていたけど、現在はどうなのだろうか。
加速度的に進化が続いているのか、それとも鈍化しているのか。

どちらにしても三年前に購入したパソコンは大量の画像を処理するには役者不足で、
外付HDDにコピーするのも、DVDに焼き込むのも、その動作は緩慢な感じで
イライラするのだ。

色々なデータがドンドン重くなって行くのに、パソコンのメモリーだのCPUなどが
追いついて行かないって事なんだと思うのだけど。
それでもこのデータをひたすら残そうとするのは、以前書いた通りに、いつか離れて行く
娘の為なのだ。

で、あると同時に自分の為の記録でもあるのだけど。

ここに来て緑内障が見つかったり、DVDの寿命が30年~50年だと分かったり、
なにかと75年(歳)がフューチャーされていて驚いているのだけど、色々な事が一度リセット
される感があって、
「ある意味、実質の還暦って感じだなァ~75歳って」
って思ったりもした。

そう言う意味では、25年が責任区間のリレー選手と書いたけども、
妙に納得できる内容では無いか…と。


父や母が倒れた時に、たまたま引越しが重なって自分のルーツを見たぼくは、
いずれ自分自身がルーツになる事を思うと、実際に何代下までがリアルなぼくを
知る事になるのだろうと思った。

やはり曾祖父をぼくが知らないように、同じく娘がぼくの祖父を知らないように…
ぼくも娘の子供ぐらいまでしかリアルな存在としてはなり得ないのだろうなァ。

ぼくの父もそして母も、きっとぼくの娘の子供には「理屈ではいた」程度の先祖に
なるのだろうなァと思ったのだ。

 パティオ
           @アリビラ ホテルのパティの写真が撮りたくなるほど綺麗だった





その時代…いや正確にはその年代ごとに様々なドラマを乗り越えて、悩んだり、喜んだんり、
笑ったり、泣いたり、苦しんだりした事も、ルーツとしては三代程度の事なのだと思うと、
実に人生は儚い。

人生は儚いけども、それでもきっと、その儚さをつないで行く為に25年区間は必死にならないと
いけないのだけど。



時々…そう本当に時々で良いから、自分のルーツについて思いを馳せてみるのも
良いかも知れない。
お盆のこの時期に振り返るには、良い時期かも知れません(^v^)ニコ



長いお話しに付き合って下さって有り難うございました。






ナチョパパ


       写る
                   @アリビラ  小さくて大きな主張





once upon a time 2



引越の準備の途中で、母の大きな病気が見つかり、
最後の最後まで手付かずになったのがプライベートな重要書類達だった。


地下の納戸はL字型の変形10畳程度の広さがあった(もう少し広いかも知れない)。

笑うかも知れないが、この家を設計している当時、「東京にも大地震が来るかも知れない」と言う、
誠しやかな噂が有って、ならば!と空調の設備と通常の4倍という鉄骨で堅牢に作られた部屋だった。
そこを我が家ではシェルターと呼んでいた(※建築中、大工さん達がそう呼んでいたから…なのだが)。

その一番奥…、文字通り本当に一番奥に横90×縦120×高さ60センチのジュラルミン製の箱が有った。
その中にプライベート上、重要な物が入っていた。

主に写真とか母子手帳とか、ドロボーが見ても全く手を出したくならないモノだったが、
人生のその殆どを専業主婦として生きた母にとっては、ある意味生きて来た証のようなモノだった。

       カラフルシーサー
       @町の土産屋さん  守って下さい。沖縄と今の日本と ぼくの愛する人の全てを






最愛の長男を交通事故で亡くし、事故時に長男が着用していたTシャツや靴なども含まれていた。

豊かでは無い時に買い与えたのに今でも充分綺麗で、足の甲の部分にジャングル大帝の
絵が描かれていた。
岩場に立つレオの姿は所有者がいなくなっても、充分勇ましく力強くデッサンされていた。



居眠り運転の2tトラックはブレーキを踏む事無く3歳児を轢いた。
救いだったのは、遺体に目視出来る損傷がなかった事だろう。

頸動脈から出た小さな体中の血液は、飛ばされた道路脇の側溝に流れ込み、
現場を見た人の多くはそこで命が奪われたとは思わなかったと言う。

少し時代遅れでは有るけど、その靴だけを見ていれば、今にも持ち主が現れて
「それ 僕のだよ。ママが買ってくれたんだ」
とでも言われる様な気がした。

Tシャツとジャングル大帝は、もちろん大切に新居に運ばれた。

       眺め
                       @アリビラ  朝、ホテル窓から




娘が成長するのを身近で見ていると、日々の成長度合いは小さくて見逃しがちだ。

それでもふと街角のウィンドウ越しに娘と並んだ姿を見つけて、その身長差が
段々に縮まって行くのを確認すると、やはり成長を再認識して驚いたりする。

同じ様に、年々歳を取る毎に老いて行く両親にも驚かされる。
勝手な言い草だが、自分の親が老人になると言う意識が希薄だったのだ。
両親の加齢に鈍感だった言うべきか。

気づかぬ間に娘は成長し、両親は老いてゆく…至極当たり前なことだけど。

尤も自分に老眼が始まっているのだから、これもまた当たり前なのだけど。





家族が5人だった頃の写真が沢山出てきた。家族でフランス一周に出た時の写真も含まれていた。
まだ父も母も、妹たちも、そしてこの僕も充分若かった頃の写真だ。
兄妹で一番初めに結婚をした末っ子の妹ががいる…最後の家族旅行となった旅行だ。

普段、家族サービスなんて意識が薄かった父。旅行の初めの頃こそぎこちない顔の父が
旅行が進むにつれて本当に楽しそうな笑顔になっているのが、とても父らしくて可笑しかった。
一台の大きなワゴンを借り、パリを中心に北に南に東に西に…。
小さな町に入ればその場で交渉してホテルに泊り、夜は地元のレストランで食事をして。
『美味しいだの』『不味い』だの…5人の家族が楽しそうにそこにいたのだ。


水中1
                @沖縄の海 初のシュノーケリングにトライ






また粗悪な紙製の表紙のついた古いアルバムもあった。

なんと父と母の高校時代のものだ。ページを開くと若かりし頃の父母が写っている。
大学こそ別だが高校からの付き合いだったから…60年近く時間が止ったままの二人が、
少しカビ臭い古いアルバムの中にいた。

父の髪は黒々として、母の手にはしわ一つ無い姿を見て、ボクの白髪は父似なのだと改めて思った。
きっとぼくが74歳になった時も、今の父のように真っ白な髪になっているだろうと思りもした。


その古いアルバムの中に、挟み込まれる様に一枚の写真が有った。
一人掛けの椅子が有り、丸々とふくよかな男の子が写っている写真だ。
(多分、首が座ったばかりで、やっと一人で座れる様な年齢の男の子だ。)

モノクロでとても綺麗な写真だが一目で古いものだと分かる。
そしてそれは何処かの写真館で撮られたもののようだった。

その古さからてっきり父のものかと思い、傍にいた父に聞くと、父の父…つまり祖父の写真だった。
1900年生まれの祖父、明治33年に撮られた写真と言うことになる。
大学進学と共に上京してしまった父は、そもそも大した財産もなかったが、
殆ど財産を放棄したも同然で、幾つかの遺品と共にこの写真を譲り受けたのだ。
自分の父の生まれた頃の写真を。


薄れている記憶上の祖父の顔と、写真の中の赤ちゃんの顔が結びつく事はなかったけど、
確実にそこには生まれて大人になり、子供達を育てて、やがては孫が生まれて、
老いて死んでいった一人の足跡があるのを見て、少し不思議な気持ちになった。

当たり前の事だけど、人一人が確実にこの世にいた証なのだと、写真を見ながら思った。

水中2
                    @沖縄の海にて もちろんナチョも




つづく…