once upon a time


1977年衝撃的なTV番組があった。
当時ぼく12歳で余りにショッキングで夢にまで出て来たので事を覚えている。

アレックス・ヘイリー原作の「ルーツ」と言う番組だ。

当時、テレビドラマは一般的に一時間枠だった。その時代に二時間枠で8夜連続で放送され、
その内容から社会現象にもなった作品だ。

若い方はご存知無いだろうし、同年代の皆さんも覚えていないかも知れないので、
少しだけ内容を書くと…。

1977年4月米国ABCが8夜連続放送し、平均視聴率46%台と言う数字を叩き出した
モンスタープログラム。 遅れること半年、NHKが満を持して同じく8夜連続で放送。
本国には及ばなかったものの、23.4%の高視聴率は大きな話題になった。


南アフリカから奴隷としてアメリカに連れて来られた少年クンタ・キンテ。
彼から始まる親子三代に渡る黒人奴隷制度との戦いを扱った重い物語。
※後にルーツ2も作られるが、それは南北戦争後の奴隷解放後の話になる。

タイトル通り『自分の源流』をテーマにした物語なのだ。

 帳が落ちて
         @アリビラ  客室からの眺め…夜は更けて行く…





前回の続きと言う訳ではないのだけど、写真のお話。

ボクは撮った写真をまずPCのDドライブに入れる。更に各月初めに前月の全ての写真を整理して、
ほぼ全ての写真をDVDに焼き、バックアップとして外付のHDDに落とす。
つまり余程の事が無い限り『プリント』する事はない。

DVDには、そのディスク内のナチョと家内が写っているモノをチョイスして、タイトルとして
年月を書き込んで、プリンターで印刷して専用ファイルで保管している。
一応、出来る範囲で保存を心掛けているのだ。

色々な説があるので、一概には言えなのいだけど、DVDの寿命は30~50年らしいので、
ぼくが75才くらいまでしか持たない計算になる。

何の為に保管しているのか考えてみると…多分 歳を取ってから、若かりし頃の家族像などを
静かに見る為と言う事になるかと(あーでも正確には理由が分からないな)。
なんだとしたら、結構ギリギリなのね、と思う保存方法の寿命なのだ。

「自分の為」以外の目的で言うと、ナチョが結婚する時には、DVDにして渡したい
(その日までにはまだ10年ぐらいあるので、どんなメディアになっているかは分からないけど)
と言う想いもある。


           dinnerへ
                     @アリビラ  室内空間




母方はともかく、父方の先祖がどんな家だったのか? 殆ど知らない。
父方も母方も、祖父母までは顔が分かる(いずれも故人になっているので、
かなり記憶も曖昧になっているが)。

でも、その一代前…つまり曾祖父とか、曾祖母になると、皆目分からない。
幸い母方は、家系図的なモノがあるらしいので、なんとか辿れるのだか、父方になるとお手上げ。

父に言わせると農家の貧しい小作人だろう(本当はもっとエグい言い方なのだが).…みたいな感じで。
要は、自慢できる様な家柄では無いって事なんだけど。

まあギリギリ祖父を知っているから、クンタ・キンテと同じく三代に渡っての物語を
書く事はできるけど…(ドラマティックな話になるかどうかは別)。
祖父の代の事だってこんな調子だから…曾祖父などの時代については、もう『まったくだめ』
ってことなのだ。




一昨年に父が倒れて、昨年から今年にかけて母が倒れた。
幸いにして、予後の経過もよくほっとしている。
ただ『何の心配も無い』と言う状態には程遠いので、生活全般を見直していかないと
いけなくなってしまった。様々な事を考慮に入れて、家族間で話し合いを持ち、
長年住み慣れた町を離れて、マンションへ引越すことにした。

そこで一番困ったのは、荷物の整理だった。


世田谷の実家は、そもそも家族5人が不自由なく暮らせる様に作られて居た。
至る所に収納スペースが有り、子供達が独立をしてもストレージの様に沢山の荷物を
預かってもらって居たのだ。

当然新しいマンションに入り切れる訳もなく
(母は引越の時に荷物が1/10になったわ…と言うほどだったから相当な荷物あったことになる)、
子供達がそれぞれ必要なモノを引き取りに来て、それでもダメなモノは本物のストレージを借りて
荷物を移動させたほどだ。

           娘と廊下のカラーコーディネイト
        @アリビラ ワンピースが調度品とカラーマッチングしていた…笑った




「迷ったら捨てる!」

を合言葉に片っ端から捨てた。子供達はそれぞれの結婚に伴って家を出たが、最後に出たのはぼくで
それでも14年の歳月が経っている。
つまり14年間は老夫婦二人でその家で暮らして来たのだ。


新しい家の引き渡し日に向かって、整理を始め二ヶ月に渡って自治体で決められた
月水金のゴミ収集日に出して、別に粗大ごみを何度が依頼してもまだ間に合わず、
最後は廃品回収業者を呼んで、一括して持って行って貰った。
※余談だが余りに毎回大量のゴミが出るので、ゴミ収集車の作業員に、一回で出す量
(45Lの袋換算で)を制限されていた(苦笑)


14年間も二人暮らしなのに、未開封の寝具セットが20セットも有ったのには、本人達も驚いていた。
一体、家で何をしようとしていたのか?と両親と部屋の中央にうず高く積まれた寝具セットを見て
苦笑した。



つづく

苦笑いするだろうけど…



拙ブログをご覧になって下さっている皆様は常連さんが多くて、”ツーと言えばカー”という
関係が出来ているのは、とても嬉しい。
振り返ってみると、ブログを始めたのが2005年だから6年間と言う月日が経つのだなぁと
しみじみ思う…うん。

いつもお越し下さって、本当に有り難うございます。


当然、長い間ご愛顧頂いていると言う事は、『似たような内容』『同じ事の繰り返し』も
沢山あって…(尚且つ内容は浅く分量が多い(苦笑))、「読むのが辛いっす」って人も
沢山いるのだけど、今日まで「生活ダダ漏れ状態の文章」を読んで(読まされている)
下さっている事に深く感謝をして、その長い文章を「なげぇ~よ」と言いながら
読んで下さっている姿を想像すると、ちょっと苦笑いもしちゃうのですけど。


これも繰り返しの文章になってしまうけど、そもそも趣味で始めた写真を良くも悪くも
公開したいと言う…とても自分勝手な理由から始めて、誰かに「なんか文章も面白いよ」
と、お世辞を言われて真に受けて…気が付いたらエッセイブログみたいになっていた。

プロのエッセイストが聞いたら怒るのは目に見えているから…うーん、と悩んで、自分では
文章ブログって呼んでいる。
だって…日記と言うには即時性がないし、何にジャンル分けしたら良いのか、
全然分からないのだもの。


ただ、タイトルにもある様に35歳で、やっと授かった娘の育児を織り交ぜながら書きたいと言う
思いもあったので、6年間の前半はかなりの頻度で娘ネタが溢れていたのは、とても懐かしい。
幸いにして7歳ぐらいになったら、無視をされ始める…と言う大方の意見を覆し(苦笑)
今でも『探検隊』は続いているし、ちょっとした買い物も散歩も(今の処)喜々として
ついて来るので、ある日突然距離を置かれる…日は、10歳までは大丈夫そうだ。

その日をちょっと怯えている自分を思うと…やはり苦笑いだ。

           主を待つ
         @アリビラ いつ清掃をしているのか分からないが、古い椅子も実に綺麗だ。
                 ※大体、こう言う屋外に設置したものって、始めの想いはどこかに
                  消えて、座るのを躊躇いたくなるほど…雨ざらしになっている事が
                  多いのに、アリビラはきちんと清掃されていて…実に気持ち良い。





写真を始めた経緯は、今まで散々書いてきたから割愛するけど、カメラが趣味!と
言えるようになって、ここ半年ぐらい、
『あーぼくはカメラが趣味なんじゃなくて、写真が好きなんだなぁ』
と分かってきた。もちろんその好きな写真を写すカメラも興味の範疇にはあるのだけど、
メカニカルなカメラ自体はどちらかと言うと脇役で、あくまでもカメラで写し撮ったモノが
好きなのだなァと。

逆説的になるけど、だから心に響くような写真を見ると
必然的に「この写真を撮ったカメラはなんだろう?」と思う。

中には、安価で、巷に溢れているカメラで撮られた写真が、心の中のアラームを鳴らす事も
あって、その時は「写真はカメラじゃないな」と思ったりもする。
でも逆に「おっ!」と心に留まったモノの多くが、ライカで撮られたモノだって分かったりすると、
「ライカ恐るべし」だったり、「いつかはライカ」なんて苦笑いしちゃう。

もちろん、高価なライカを手にして写真を撮る事が出来る人…って考えると、
腕に覚えがある人か、写真(カメラ)が好きと言う人なのだから、素敵な写真を撮る
可能性は高いのだけどね。



もちろんその逆もあって、某カメラ掲示板で凄い機材を持っていらして、皆さんの質問にも
ガンガンに答えちゃって…この人はカメラメーカーの人か?と思うほどの知識を持っているのに、
貼ってあるURLからブログを拝見すると、心のアラームはうんともスンとも言ってくれない。

そこに絶対的価値なんてものはないから、単に好みの違いなので、
「ぼくは全くダメ」って事なんだけど。

そんな時も苦笑いしちゃう。


           …と抜けて。
               @アリビラ この先に何があるのか…つい奥まで行きたくなりません?





『オマエが人の写真を語るな』
って言われるのも、とてもよく分かっていて…ちゃんと自覚している。
でも、こう言ったら怒られちゃうけど、本当はもっと上達するって思っていた。

デジタルカメラの場合、自動化が進んでくると、同じカメラで同じレンズで、
仮に同じ場所にいたら、同じ写真が撮れるのじゃないか? って思うのだけど…
なぜかそうじゃない。

もちろん後加工なんかが普通になっているから、絵心があったり、画像ソフトのスキルがあったり
すれば差は出て来るのだけど…そういう意味じゃなくて、ある程度のシャッターの回数を押せば
それなりに納得がする写真が撮れるようなる…って思っていた。

今考えれば苦笑しちゃうけど。


ところが…これって機材を別にすると、殆どカメラを始めた時と変わっていない。
それには本当にビックリする。

きっと今、デジタルカメラを初めて手に入れた時のペンタックスS5iを手にして
街に出たら…笑ってしまうほど、写真を始めた頃とさして変わりの無い写真になるなァ~と。

今は当時のコンデジに比べると被写界深度を浅くする機材を持っているから、なんとなーく
それらしい写真を撮れている気になっているけど、実際には…アハハ、あんまり変わんない。


そうやって考えると、若い時にカメラに出会わなくて良かったとも思う。
だって勝手に『伸びしろがある』と思い込んだら、職業として選んじゃったりしそうでしょ。
で、食うや食わずや…なーんて事だって。

いやもちろん「化ける」って事がないとは限らないけど、こんなに楽しい『写真を撮る』って
行為で思い悩む…なんて嫌じゃないですか。
なんの数字的責任も負わないから、今は純粋に『楽しい事』を基準にシャッターを押せる訳で
きっと楽しさを享受出来ているのだと思うから。

 隙間から…
                       @アリビラ 支柱でフレーミング





「75歳かぁ~」
と思ったのは、眼科医がとても分かり易く病気の説明をしてくれている時だった。



ここ1、2カ月ぐらい前からデザイン画を描くと目がとても疲れて、焦点を合わすのが辛かった。
要は加齢による視力障害…つまり『老眼』が進行していて、結果としてデザイン画を描く姿勢が
苦痛で苦痛で。
メガネの半分から下を弱い近視用に作っているのだけど、その領域を使おうと思うと
顎を上げて視界を確保しないといけないのが苦痛だったのだ。

実は絵を描くと言うこの作業、人によって様々な約束事がある。
首の角度とか肘の高さとか、時には使っている筆記具の軸の太さとか重さとか、微妙な違いで、
思うような線が描けなかったり、バランスが取れなかったりする。


気のせい…って事もあるだろうけど、やっぱり仕事でノルマが決められた状態で絵を描くなら
少しでも負担がない様にしたい。
長い年月を掛けて培われた癖(書き姿勢と言うのかどうか分からないが)なので、そう簡単には
変える事が出来ない代物なのだ。

家内などはその辺の拘りが全くなくて、コンビニで売っているような100円のシャープペンで、
家のソファの上でも全然平気だったりするのだけど(苦笑)



で、デザイン画を描く時専用の老眼鏡をちゃんと作ろうと、朝から眼科に検眼に行った。

約一年半前に作った使っているメガネでも全く問題がないのだけど、近距離を見る視野域が
狭いので、近くを見る専用のメガネを作る為の処方箋を書いて貰う事になった。



検眼が終わって、最後に先生の診断になって…思わぬ事を告げらた。

 認識
 @ホテル上空  遠く離れていたので爆音は殆ど聞こえないが……軍用機が頻繁に飛んでいた
        ※クリックしてご覧頂くと両翼の照明やプロペラらしき突起も解像していた
         なんかちょっと嬉しかった。




「眼底の神経が特異な形になっている」
先生は、この台詞で切り出した。

眼底検査などで分かる事なのだが、目の奥に視神経が集まる所に窪みがある。
この窪みがどういう形かと言う事で、緑内障という病気がある事が分かるのだ。
詳しくはこちらをご覧頂きたいのだが…視野欠損から始まり、徐々に進行し、最後は失明するらしい。

簡単に言うと「初期・中期・末期』の三段階に分かれていて、各段階は10年スパンで
進行していくらしい。
今45歳のぼくは55歳で視野欠損が初期に入り、65歳で視野欠損が顕著になり、
75歳で失明…と言う事になるのか。

で、「75歳かぁ~」と思ったのだ。



普段、人は両目でモノを見ているので、片目の発症だと初期の欠損は殆ど自覚出来ないらしい。
特に検査をする機会がなく、欠損に気が付いた時は末期に入っていて殆ど失明状態なんと言う事
もあると言う。

すぐに眼底検査をして貰って、眼底写真、視野角検査などをすると…今はまだ正常範囲内と言う
事だったのだが、左目のある部分に「危ないエリア」があって、このまま何もしないと…異常値
言う事になりかねない部分があったのだ。


確かに眼底の写真(画像)の神経乳頭解析では、素人が見ても「変形」しているのが
分かる状態で(初期にも入らないギリギリではあるけど…)緑内障の兆候を
見せているのが分かった。

この病気は30人に1人の確率で起こると言われていて、そう珍しいモノではないのだけど
厄介なのは治療の方法がなく、進行を止める・遅らせる…って事しか出来ないのだ。
まあ早い段階で見つかったので、「失明」なんてショッキングな言葉を聞いても、あまりパッと
しなかったのだけど。

普通だったら、職業であるデザイナーなんだから「目が!!!」と思うはずなのに、
なんとぼくは「あっ写真が撮れなくなる」と思ってしまった。

思わず苦笑い。


 楽園の現実
                  @ホテル上空  現実を忘れてはいけない 沖縄と言う地






そもそもが文系のぼくは、機材の事も写真が写る仕組みの事も良く分からない。
で、何か新しい『美』の提案…なんて言うのも、全く出来ない。
だからどこかで見た事ある様なもの…つまり既に『類型されている範囲内』でしか、
写真を撮れていないのだけど、それでもせめて自分の見つけた綺麗なモノとか、綺麗なバランスとか、
気になる構図を見つけてはシャッターを押し続けてる。

報道写真でもない限り、今後ぼくの写真で注目されることないだろうから、ただ自分の為に一生懸命
シャッターを押しているに過ぎない。
そう思うとやはり職業にしようなんて、大きな勘違いをしなくて良かった、若い時に出会わないで
良かったと、改めて思う。


でもこれから…もし視力が落ちて、あまりモノがきちんと見る事が出来なくなったら…と思うと
ちょっと苦しいのだけど、でもそれまでに一杯写真を撮って、ぼくが見たものを記録として
残していたら、娘はきっと『パパはこう言うモノの見方をしていたんだ』って思うかなぁと。

なんだかそれはそれで悪くないなァ~と。

また苦笑い。



出来たら、ナチョがきちんと成人して、もし子供が生まれる事があったら…
それもちゃんと見てみたいと思う。
やっぱり愛する者を見る事が出来ないって言うのは、辛いだろうなァ~と思うからだ。

子供であれ、孫であれ、妻であれ、友であれ。


まぁ、ちゃんと検診をして行けば、進行を遅める事が出来るので、今の時点でそれを考えるのも
苦笑いなんだけど。


 楽園に沈む
         @部屋のバルコンから  耳を澄ますとジュッ音がするかも知れない…海に沈む太陽





デザイナーなんだから「目が悪くなる=仕事が出来ない=失職への恐怖」を、
もっと感じても良い…とも思ったら、なんだか苦笑いなんだけど…、考えてみればデザイナーの
目に対する依存度も、経理の人の依存度も、タクシードライバーの依存度も、専業主婦だって…
皆同じなんだと思ったら、デザイナーは関係ないなァ~と苦笑してしまった。




結果として二時間近く眼科にいて、その間ずっとナチョは待合室で待っていて…
うんざり顔だったけど、状況を聞いて無口に(苦笑)
どうも大変な事が起こったと思ったらしくて、目に涙が溜まっている。

オイオイ…今すぐ見えなくなる訳じゃないよ…と苦笑い。

その足で表参道から地下鉄に乗り、新橋へ。
ナチョの夏休みの課題が、クラス全員に振り分けられた「各都道府県調べ」の担当が愛媛県と
長野県で、その愛媛県のアンテナショップが新橋の駅前にあるからだ。

長野県は軽井沢に行くので、まずは愛媛県から…と調査へ。
でも、基本は特産物が売られているってだけで、愛媛県を調べるって所まで行かない(苦笑)
建物の二階にある観光相談コーナーにあったパンフレットと、ガラスケースに並べられた
特産品をメモして…帰宅。

あまりの暑さに倒れそうでした。

※あのぉ~観光コーナーの受付の女性。全然気が効かない人で、明らかに愛媛県を調べている
 と分かる親子が居ても、まーーーーたく無関心。地元からの派遣なのか分からないけど、
 しなまみ街道などパンフレットが沢山あるのだから、それを渡すだけでも良いからアピール
 しないと…わざわざ人が居る意味ないよ…と思ってしまった。



 そして宵
                         @部屋のバルコンから  いよいよ宵に



 


今夜ナチョは會田夫妻(常連さんはご存知ですね…)と食事に行きました。
ぼくは家内と今から自宅で夕飯です。パパとママが居なくても段々自分の人間関係が出来上ってきて
それを思うと成長したなァ~と苦笑いのぼくでした。










ドヨンがやってくる!(終)





ドヨンとは、どのような精神状態なのか正確に語る事はとても難しい。
言うまでもなく、ぼくは医者でも無いし、ましてや医療従事者でも無いし…。

ただ気持ちが塞ぐと言う点だけとれば、鬱に似ていると言えるけど。

尤も「鬱」の定義さえちゃんと知らないのだから、あまり断定的には言えない。
だからあくまでも素人の話として聞いて欲しい。

        灯り
             @アリビラ 細かいディティールに手抜きがないのは気持ちが良い





ただどうも鬱とは違う精神状態であることは間違い。

ドヨン状態の時に雑誌で特集される「鬱診断」みたいな単純なテストをしてみても、
"該当せず"に分類されるから、やはり根本的に違うのだと思う。

つまりドヨンは鬱ともまた違う種類の感情で、ドヨンにはドヨンの独特の特徴があるのだ。


まず、

□ 過去のある一点を振り返る時に起こる不安定な感情であること。

□ そしてその多くは既に解決している事。若しくは結果を変えられないと分かっている事。

この二つの条件は外せない。
この二つの条件がいずれも当てはまっていないと、「ドヨン」と断定する事はできないのだ。


        いや前回とはちょっと違うのですよ…この写真
           @アリビラ アングルが違うのです…先日アップしたのとは(^_^;ゞエヘッ



例えば現在進行中の問題で心が塞いだり、深く悩んでいるなら、
それは本当の鬱になる可能性も有るので、然るべき医療機関で対応する方が良いと思う。

ただでさえ、日本はもっとカウンセリングやセラピーの日常的に活用利用すべし!
という持論でもあるし。


繰り返しになるが、ドヨンは既に完了してしまって、現時点でなにか出来る事は殆ど無いこと
について、心が塞ぎ込む状態の事を 言うのだ。

直接的かどうかは分からないが、過去に於いて起こった出来事が要因で、現在にも大きな影響を
及ぼす…ことで心が塞ぎこむようなら、それはドヨンとは言えない。

それにもう一つ。


ドヨンはとても苦しいけれど、実生活に支障を来すような事はごく稀で、一日ぐらい眠れない事が
あっても軽い不眠症ぐらい、2日も3日も眠れないとなれば…それはドヨンの領域を超えている
と思うのだ。

        階段を…
             @アリビラ 階段でちょっと日が陰った…でも風が気持ち良かった




間違えて欲しく無いのは「嫌な記憶」じゃなくて、「嫌な気持ちの記憶」が、
心を塞ぎ込ませると言う事。

雰囲気からするとPTSD(心的外傷後ストレス障害)の軽いヤツ…(つまりASDって事になるのか)
と言うイメージもあるが、少なくともWikipediaに記されているPTSDなりASDを見ると、
それほど深刻なものではないので、やはりこれは「ドヨン」というカテゴリーなのだろうなァと。
※PTSDの詳しい事はWikipediaで見て欲しい。


もちろんぼくのドヨンも命が関わる様な重大な事件なんかじゃなく、人から見たら
「大変ですね…」
ぐらいには思って貰える程度。

でもボクにとっては「まずい!」とか「やってしまった!」と頭を抱えたくなるような出来事で
あることは間違いない訳で。この頭を抱えるような「負の感情の記憶」が、実にリアルに蘇ってきて、
いても立ってもいられない…なんともやるせない気持ちになってしまうのだ。

感覚的に言うと、ある昔の曲を聞くと何年経っても過去をリアルに思い出してしまう事があるでしょ?
胸が苦しくなるような感覚(メランコリック)に包まれる…あの感覚に似ている。




そのメランコリックな感情が、恋愛だとか、恋慕にまつわる様な…ある意味ロマンティックな
感情を兼ねているようなもの(恋愛など)なら良いのだが、僕の場合は受験の失敗だったり、
目指していたモノを諦めざるをえなかったり、力不足から上手く仕事が運ばなかったり、
信頼していた人に思わぬ行動に出られたり。


今となってはある意味「自分を作る」為の『栄養』みたいなものになっていると分かっていても、
それでも…やっぱり、当時は充分に苦しくて、辛かった事を心の深い所では、確実に覚えていて
普段は思い出す事もないのに、ふとした瞬間にその感情が蘇って来るのだ。


        南国の夕焼け
                @アリビラ 東京より日が暮れるのがちょっと遅いのだ 



ここからはあくまでも推測なんだけど、辛い思いが全部『ドヨンの種』になるのではない事が
最近分かってきた。

その時々できっと一生懸命だったのだと思う。でも自分の力ではどうしようもなくて、
誰かの優しさに助けられたりしながら、なんとかかんとか越えてきた『辛い思い出』なのだが、
最後の部分で「時間」に助けて貰うしかなった問題だけが『ドヨンの種』になっている気がするのだ。

きっと自分一人で乗り越えたものは、心も体も「乗り越え方」を覚えているのだけど、
時間の力を借りないと乗り越えられなかったものは、(結果としてちゃんと乗り越えた後も)
『ドヨン』としていつまでも心の中にいるらしいのだ。






皆さんの心の中にドヨンの種はあるのだろうか? 
もしドヨンの種があったら、それはきっと…忘れがちな自分を振り返るチャンスなのかも知れない
と、最近思うのだ。





<終わり>

笑っちゃうぐらい…






もう



笑っちゃうぐらい



原稿が進みません…。・゚・(ノД`)・゚・。トホホ




以前はどうやっていたのか?って、自分で過去を振り返るほどブログの記事を書く時間が
どうしても作れませんm(_ _)mペコリ 申し訳ありません…もう少しお待ち下さい。




        シャドーストライプ
    @ホテルアリビラ 多分この影のストライプを見られただけでもぼくは満足したかも知れない。






暑い日が続いています。

どうか無理をしないで、水分補給をきちんとしながら、暑さを乗り切りましょう。
因みに明日23日は…








    















      暦の上では… 大暑です。







ドヨンがやってくる!3

影
                   @沖縄  いきなり写真から始めるのであった。




どんなに忙しい時も、バタバタと慌てる事もなく、常に安定したしごとパフォーマンスの小田課長。
1年や2年ならともかく5年もの間『慣れ合い』になる事もなく、感情の浮き沈みの無い…
ブレないキャラクター。

とてつもなく強い精神なのか、基本的にポジティブシンキングの人なのか…。

で、聞いてみたのだ…
『いつも小田課長を見ていると、心が乱れないというか、安定していますよね。イライラするとか、
 なんか今日はモーレツに機嫌が悪いもんねオレ!みたいな感情の起伏というか、
 ブレとか無いのですか』と。




と言う所から、今日は「ドヨンがやってくる!」シリーズ久々に続きを書くが…最後までは…





いけないなぁ…。

          日を浴びて
                  @沖縄 なんか話を写真が全く関係ないなァ(^_^;ゞエヘッ






『いつも小田課長を見ていると、心が乱れないというか、安定していますよね。イライラするとか、
 なんか今日はモーレツに機嫌が悪いもんねオレ!みたいな感情の起伏というか、
 ブレとか無いのですか』と。





すると、










間髪入れず、






「ありますよぉ」と。








本当ならここで納得する所だが、普段あまりに感情によるブレがないので、
逆に驚いてしまった。
何度も繰り返す事になるが、そのギャップが大きくて…。


そして更にこう続けた。


「ありますよ。上手く言えないのですが、過去の一点の嫌な思い出がふと蘇って…暗い気持ちになる。
 嫌な思い出に感情が支配されちゃうとか…そんな感じなんですが」


「端から見ていると全然そういう素振りは感じないですけどね…』
と言うと、本人はいたって冷静に
「そうですか?」と答えて、

「逆にナチョパパさん そーいう事ありませんか?」
と質問された。




正直な話、「ありませんか?」も何もそんなことはしょっちゅうで…その過去の嫌な感情
(出来事)と思いだして、暗くて深い穴にドーンと落ちちゃう名人でもある訳で即答した。



『それはドヨンと言われるモノですね』



          夕暮れ
                   @沖縄   夕暮れ時 それもまた美しい





『ぼくは春になると、今でも心が苦しいような…何と云えない気分になるのです』

これは年下の地元の遊び仲間が、真夜中のファミレスで言った台詞だ。

とても真面目な家庭に育った彼は、小学生の時から優秀で、中学受験を経て私学に進んで、
そのままエスカレータで大学まで行き中央大学の法学部に入って、アメフトをやりながら
大学時代を過ごしていたのだが、法曹界には進まず「映像」関係の仕事を目指すようになった。

厳格な家庭で金融マンを父に持つ家族がどう思っていたのかは分からないが…
目標が決まってから、段々と大学に行かなくなり、ズルズルと留年を繰り返した。


今、彼は夢を叶えて首都圏の大きなテレビ局のディレクターになっている。

そもそもが頭脳明晰で、物事をきちんと自分の目で見る事の出来る人間だったので、
いずれはきちんと目指す道を進むだろうとは思っていたが、『春になると気が沈む』と
言ったのは、もう既に自分の夢をほぼ手に入れた後だった。


『春になると、新入生が学内に溢れるじゃないですか? まあ単位とっていない確信犯
 なんですが…それでも卒業できない自分が、希望に溢れたキラキラした 新入生を
 見ると『あー何してんだオレ』って気になってしまったんですね。
  あれから何年も経つのに桜の花を見ると…あの時のドンヨリとしたなんとも言えない
 暗い気持ちになるのですよね』


と。



そう実はこのドヨンと言うは、鬱ともちょっと違って…ある特徴があるのだ。


          塔
                   @沖縄  建物が照らされる力が強い









あー今日もここまでになってしまいました…。次回こそは最終回を目指すのでした。





突然ですが…





こんばんわ皆さん


なんだか梅雨全開の東京の夜ですが…ここ数日ブログをお休みを頂きましてm(_ _)mペコリ
しかも話も途中のままで…再びm(_ _)mペコリ



今にも落ちそうなほど眠いのですが…プチ旅行に行っていました。



本当はその話も書きたいのですが、写真の整理が全く終わっていないのと、尚且つ『ドヨン』の
話も皆様へのリコメント&ご訪問も出来ていないので、まずは写真を整理しつつ、皆様への
コメントを書きつつ、ご訪問をしつつ…リハビリ・ブログにしていきたいと思います。


撮って出しなんです。
           @Beach  なんとこれでもnaturalのカラー・モードでjpegで撮ったモノです。
                   vividならどうなっていた事やら!
                   ※写真をクリックしてみて下さい…お願いします。



しばらく不規則な更新になりますが、宜しくお願い致します。



ナチョパパ

ドヨンがやってくる!2



この日はトワルチェック(デザイン画に基づいてパタンナーが仮の生地で模型を作って来てくれるの
を見て、クライアントの意見を盛り込みつつ、修正箇所を指示する日)で、クライアント、制作者の
バタンナー、そして発案者のぼくは用意された応接室で仕事が始まる前にたわいもない話をしていた。


この時の会議というか、議事進行は基本的にデザイナーに主導権がある。
まだ模型の状態なので大まかなシルエットと構造しか分からないからだ。

もちろん最大の権限はクライアント(課長)にあるのだが、ここまでは発案者であるぼくが"したい事"
もしくは"したかった事"を確認する場なので、この時点で強権を発動されて中止勧告が出ると、
非常にやりにくく、基本的にデザイナーなんかいらない…と言う事になってしまうから。


但し、次の段階「本当の生地を使って作る1stサンプル」の段になると、発案者もへったくれも無く、
クライアントの意見が強くなる。企画を生かすも殺すも課長次第となる。


           意味なく可愛い風船
            @南青山 なんかこのたった一個の風船が可愛かった…値段は可愛くないけど





実はこの時期、担当の小田企画課長(仮名)は目玉が飛び出るほど忙しい。
詳細を書く事は出来ないが、日本全国を飛び回っているのだ。

順不同だが、東京を皮切りに大阪、福岡、仙台、名古屋、札幌、そして時折広島の物流に
顔を出したかと思うと、生産地の鹿児島に行って研修(指導する立場だが同時に要望も聞いてくる)。

本来の勤務地は東京だが、本社が大阪なので事あらば本社に顔を出す事もある。


最も悲惨なのは、この日の会議は11SSのトワルチェックで、キャラバンをしているのは、
1シーズン前の10-11AWと言う事だ。

「服には変わらないじゃ無いか!」
と思う人もいるだろうけど、実際には大きく違う。


長年この業務に携わっていても…いや長いからこそ手持ちの仕事が幾重にも重なりあって、
一体この瞬間 目の前の仕事はいつのなんの季節のものなのだ⁈と言う混乱が日常的に起こるのだ。


一日とか二日置きに大都市をキャラバンし、商品を見ながら商談し、ユーザーの声を拾いつつ
あたふたと日々を過ごし、やれ「襟空きが大き過ぎる」と言われたかと思うと、
別のユーザーからは「襟空きはもっと大きい方がモダンだ」と言われて、さらに次のユーザーからは
「この空きがエレガントなのよね。変えないでね」と念を押されて…振り返ると、
「夏物はまた別よ!」と言われ。


それはスカート丈にも襟の大きさにも、全体のシルエットやサイズ感にまで多岐に渡って
注意や要望を受けるのだ。

繰り返しになるが、全国を回ってその合間に季節の違う商品の、しかも実質一年先に販売になる
模型を見ても、頭の中でスパッと切り替えるのはとても難しい事だと思うのだ。

この辺の心の葛藤は、これだけでブログネタになってしまうので、割愛するが、心身共に疲れた
状態で我儘な発案者…つまりデザイナーと対峙しないといけないのだ。
※デザイナーのぼくが言うのもなんだけど…。


 ぽっかり
                     @日本橋本町 ぽっかりと浮かんだ雲が可愛かった






記憶に間違えが無ければ、小田課長は三歳下なので、そう若い訳でもないのだ。
ただでさえものが売れない時代に、会場で商品説明に明け暮れているのだから、
さぞ辛いだろうなァ~と思ったのだ。



ところが…相変わらず爽やかに対応するので
「小田課長、忙しい時期だけど疲れていませんか」と聞くと、大丈夫ですと。


そこで常々疑問に思っていた事を聞いてみた。

『いつも小田課長を見ていると、心が乱れないというか、安定していますよね。イライラするとか、
 なんか今日はモーレツに機嫌が悪いもんねオレ!みたいな感情の起伏というか、
 ブレとか無いのですか』と。







すると…、








って所で(;^_^Aエヘヘ 次回になるのでした。










明日からブログが出来ません…リコメント&ご訪問が遅れると思いますが、お許し下さい。
戻り次第、リコメント致しますm(_ _)mペコリ


ドヨンがやってくる!





今回の話は「分かる 分かる」と言う人と、「アホか! アホか!」とか「非生産的じゃ!」
と言う人がパキッと分かれるだろうなァ…と。

若い読者の方は知らないと思うが、今は死語になってしまった言葉で
「ネアカ=(心根が明るい)」
「ネクラ=(根が暗い)」
というメンタリティを表す言葉が流行ったあった。

表面上はともかく性格の暗い人が、
「ぼくはネクラなんで…」と言う様に使うのだ。



その後も時々「ポジティブ・シンキング」など、心の動き・心の状態…つまりメンタリティを
表す言葉が流行る事がある。

"流行る"と言うのは言葉の響きの面白さだけではなく、時代や社会的ムードとか様々な要因が
合わさって、ピタッとイメージが重なった時に、生まれるのだろうなあと思うのだけど。


そもそも"心の状態"を言葉や単語で端的に表すのは、とても難しい。

今までなんと表現すれば良いのか分からず…モヤモヤとした思いを、妙にピタッと言い表す
言葉が生まれると、ワッと人が群がるのも分からなくは無い。


 俯瞰
                     @お台場 人それぞれにそれぞれの人生がある。





自分も常にそうで有りたいと思っているのだが…日常的にお付き合いをしているクライアントの
課長は、『なぜそこまで?』と不思議に思うほど感情的なムラがなく、安定しフラットで
実にブレが無いのだ。


かれこれ五年の付き合いになるのだが、どんな人にも有りがちな”今日は機嫌が悪いな”的な
感情のムラが、ただの一度もないのだ。

もちろん仕事上議論を戦わせて、互いに相容れず…結論を各上席に委ねたと言う事も
ない訳ではないが、それもお互いに社命を背負いながら、職責を全うする為に入り込んだ状況
ならではなので、激論は必要な事だと思うので…除外するけど。


一年や二年ならともかく、この五年間ずっと安定しているのを見ると、この課長の持っている
ポテンシャルとはどんなものなのだろうか?と。

本質的にクレバーでロジカルにモノを考えるのかも知れないが、一時的な感情の乱れで心が荒れたり
しないのだろうか?と。
それとも果てしなく器が大きくてググッと全てを飲み込んでしまうのか? よく分からないのだ。

簡単には計り切れない、どこか怖さが伴う感じもするのだけど。
もし深く深く物事を考えているとしたら、こっちは油断してはいけないのだけど…。

            ママのお仕事は大変だ
                       @中央林間 お疲れちゃん!!





仕事の細かい事を書いても興味がないと思うので端折るが、いわゆるデザイナーは絵を描いた後、
幾つかの段階を経てサンプル化していく。


絵を描く→アプルーバル※1を取る→プレゼンをする→デザインが決まる→
パタンナー※2に説明をする→トワル※3を作る→修正する→工場に出して本物の生地で
サンプルを作る→修正をする→サンプルを作る…と言う具合だ。
注)※1 アプルーバル…責任者にデザインの許諾を得ること。ボクの場合は『先生』と呼ぶ人。
  ※2 パタンナー…デザイン画を見ながら形作る為に製図を書き、簡易サンプルを作る人。
  ※3 トワル…模型用の布地を使って、製図に基づいて作られる簡易サンプル。
     デザイナーが自ら作る事もあるが、多くは専任のパタンナーが作る。

もちろん最後の2工程、「修正する→サンプルを作る」は修正が出なくなるまで繰り返されるのだが、
通常2ndサンプルから3rdサンプル辺りでスケジュール的なリミットが来る。
つまりここまでに完成しないものは『中止』の憂き目にあう。


2ndサンプルなり、3rdサンプルなりを作った時点で、かなりの経費が使われている
(生地も作っているし、パターンも何度も修正しているし、世界でたった1枚の為に工場に投入されるので、
ビックリするほど高額な縫製工賃が掛って出来上っている)ので、
「はいはい、これは失敗ですね。もー止めちゃうものね」
と、簡単に諦めるのはなかなか難しいのだ。


難しいけども、こんなご時世なので、中途半端な完成度の物を商品化など出来ないし、
ましてや実験的な販売が許されるほど、企業にも社会にも余裕がないから、
中止にせざるを得ないのだ。


あくまでもデザイナーは発案者なので、発案した物が『作れないモノ』もしくは『中止品番が多い』
となると、それはデザイナーとしての実力を測るバロメータにもなるのは事実で、シビアな判断が
必要になるのだ。

でも失敗を恐れて安全なデザインばかりをする訳にもいかず、いつも実験的要素を含みながら
試行錯誤している。多少の失敗は織り込み済みなのだが、期限内に『完成品』が出来ないのは、
やはりプロのデザイナーとしては失格なのだ。








あー今日も本題に入る前に時間が経ってしまった。




もちろん本題はドヨンの事だ。

つづきはまた明日以降なのだ。

3(終) イニシアティブ係数


そもそも朝起きたら何故かパンツ一枚になっていたボク。
ウーン…なぜ? と思っていたら…その夜に理由が判明。果たして真夜中に何があったのか?
本日その真相が!

※ここまでのお話はこちら(その1)こちら(その2)をどうぞ…







ドライ設定で快適に一夜を過ごそうとの試みが…玉砕。
極寒の朝を迎えた翌日、家内はタオルケットを出してきて防衛したと言う事だった。

うーーん そこでボクも考えた。

そもそも『足出し問題』で分かるように、快適室温の感覚が違うのだから、どちらかが譲歩するか、
対策を取るしかない。で、まずは家内がタオルケットで寒さ防衛に出たと言う事で、

『今度はこっちが譲歩して「我慢できる室温(設定温度)」を見つけなければ…』と。


何しろ既婚者の40%は『性格の不一致』で離婚されていて、その理由は『性格』だけじゃなく
生活様式なんかの違いなども入っているのだ。あまりに危険過ぎる…
正直、一般人として全く使い物にならないぼくを、まーしょうがないって諦めてお世話して
くれる人を探すのは、極めて困難なのであるから。

離婚理由が『寒くて眠れません』じゃ洒落にもならんのだ。




まずリモコンを見ると『冷房→暖房→ドライ』の設定しかない事が判明。
ドライがダメなら冷房をゆるめにかけるしか方法がない。せめて『送風設定』があれば、
また違ったのかも知れないが、ないものをあーだこーだ言っても始まらない。


そもそも眠りの浅いぼくは、たとえば夜中に急激に気温が変化したり、地震があったり、
雷が鳴ったりすると、スパッと…(スパッとは大袈裟か、でもフニャフニャぐらいでも)起きる
たちなので、今夜はまず30℃の温度設定をして寝始めたのだ。

「暑くて我慢が出来なければ、起きて一度づつ温度を下げよう」と。
         トンネル
                     @広尾 涼しげな緑のトンネル



しばらくして…多分、20分ぐらいして、どうにも我慢が出来ず…手探りで一度下げた。
理由は簡単でウチのエアコンのリモコンは0.5℃ずつ下げる事が出来ないからだけど。

これが猛烈に暑い。



以前26℃にした時『凄く寒い』と、このボクが思ったぐらいだから、
今回は初めは30℃、暑きゃ1℃ずつ下げて行く作戦にしたのだが…、この30℃は暑過ぎた。
因みにこの日の昼間の気温は31℃だった。




いきなりだけど僕は目が悪い。
近視、乱視、老眼の三重苦の上に“夜目”が効かない。暗い所でモノが見えづらいのだ。
更に明るい所から暗い所に入ってから、目が慣れ周りが見えるようになるまでの時間が人より
かなりかかるという事もある。

昔の人の言い方だと『鳥目』と言うのだろうか? ともかく暗がりにめっぽう弱い。

その上、眠りが浅いからしっかりとした遮光カーテンじゃないと、
夜明けと共によーよー白くなりゆく山際状態になると、
うっすらと覚醒しちゃう面倒臭い体質でもある。


従って我が家の寝室のカーテンが遮光レベル5(最高位の遮光性)の物が付けられている。


         レール
          @芝公園  子供の時はこういうエッジの上を歩きたがった…理由は分からん





で、目が見えない(夜目が効かない)状態で、夜の真っ暗な中 手探りの状態でサイドテーブルの
上に置かれたリモコンを探して、温度を下げる事を繰り返したのだ。


30℃から二度三度覚醒して、起きる度にリモコンで温度を下げる。
多分その時点で室温は27℃になっているはずで、次に起きたら26℃に下げないといけない。
でも26℃は『寒過ぎた』のだから…ちょっと悩んだ。

もうこれはこの26℃の状態で、どんなに暑くてもここは一つ我慢しなければ…。
とそのまま寝苦しいまま眠りに入ったのだった。


が、


あまりの暑さに、どこかで覚醒して自らTシャツを脱いでいた…というのが、
どうやら真相だったのだ。



えっ?


なにもオチがないじゃないか!って!!!



いやいや


それが



ちゃんとあるのだ。

ゴージャス
                       @広尾 ゴージャスぅ~









朝、いつものようにペシペシされて起きてリビングに行こうと、廊下に出ると寝室があまりに
暑かったせいで、リビングからのエアコンの冷気が気持ちの良いこと、気持ちの良いこと。

ボクの中では「やっぱりエアコンを始めにつけておかないとダメだな」と思いながら、
リビングに行き娘を送り出し、ボォーとソファに座ってテレビを見ていると、家内が入ってきて…

家内『昨日暑かったね』と。


ボク『あーそっか(冷え性寒がりの)ママが暑かったなら、ボクが暑いはずだよ。起きたら…』


家内『パパ、裸だったよね…』

ボク『パン一だった…』



それにしても今回は、もう熱帯夜の中でノンエアコンで寝ているぐらい暑かったのだ。



コーヒーを飲みながら、用意された朝食を食べていると家内がなんだかオデコに『納得』と
スタンプを押したような顔して現れ…一言。
















『パパ 暖房になっていたよ!! しかも、風量最大で!』










ガーン!!








そうぼくは真っ暗闇の部屋の中で、半分眠りながらリモコンを操作しているので、
温度を下げるつもりが『運転』と書かれた『運転を切り替えるボタン』を押していたらしいのだ。


道理で暑いはずだ。






今日もまた寝る際の温度設定に悩むのであった。













裸になったボク。


なかなか適応能力のあるな…イヒヒ。



長くなって…スイマセンでした。





スイマセン。リコメントが遅れていますm(_ _)mペコリ 明日までお待ちください。

2 イニシアティブ係数


昨日のブログ『イニシアティブ係数(副題:『なぜパンツ一丁になったのか?)』の続きでございます。
ごゆっくりどうぞ!









昔から…(と今、書いて気が付いたのだが40歳台も半ばを過ぎて幼い頃の事を語ろうとすると、
    「昔」と言う言葉がリアルな意味を持つな)

つまりは子供の時から就寝時に布団から足を出して寝ていた。


40年以上前から、夏はもちろんのこと冬も布団の端から足を出していないと、眠る事が出来ない
体質なのだ。言ってみれば逆湯たんぽ状態でも言おうか。

出していない時でも気が付くと布団の中で冷たい所冷たい所を探しながら寝ているのだ。

この癖、なんと娘にも受け継がれていて、ある日『足が熱くて眠れない』と言われて困ったなあ…
と苦笑したのだ。

しかしこの体質


ボクも父から受け継いだもので、DNA恐るべしなのだ。


        インパクトあるよなァ
         @高樹町付近   これ合成じゃなくて、誰かの悪戯なのだが…インパクト大!!






もし世の中に「家庭内イニシアティブ係数」なるものがあって、YES or NOチャート表に
従って進んで行くと、
「あなたのKTI(ka teinai Initiative)係数は65%ですね」
とか出たりしないだろうか…と。


で、そのKTIを我が家に当てはめて算出すると、多分90%以上の高割合で家内の意向に沿って
生活が営まれているのでは無いか…と思うのだ。


そこにストレスはないのか?と聞かれると…これが上手く…いや…「巧く」仕組まれていて、
気付かない内に『家内の思惑』に取り込まれている。

ストレスを感じないほど巧みな技なのだ。



逆湯たんぽ状態のボクに対して、家内は冷え症で時には靴下(ナイトソックスと言うらしい)を
履いて寝ていたりする。




『君は、なって無いな(怒)』
と、えいねんさんとtomatoさんに怒られそうですが、春と秋の一時期を除いて、
我が家は就寝時もエアコンが点いている。

身体的にもエコの観点から言っても、本当にだめだめなのだけど、暑ければ暑いで、
寒ければ寒いで過剰に反応してしまい、寝不足になる超軟弱体質。
『一度慣れれば、あとはドンドン健康なれますよ』
と言われても、その慣れるまでが耐えられんのじゃ、としか言えなくて申し訳ない。

でもやっぱり…近年の夏、酷暑35度越えの昼間の太陽で、温められたコンクリート筺体の
マンションは夜になってもコンクリート自体が温まっちゃって、室内気温が全く下がらず、
プチサウナ状態なので許して欲しい。

まずはじめにお詫びしておこう。

『tomatoさん、えいねんさん、ごめんなさい』


そもそもは三日前の夜に、ドライ設定で寝ていたのです。
理由は簡単で、湿度さえ下がれば蒸し暑さが取れて気持ち良く眠れるのではないか、
それなら横で寝る家内も寒くないだろうと。





ところがそれは











大間違いだった。





湿度が下がると気温もググッと下がってしまって…朝起きたら、僕でさえも寒いほどの
室温になってしまったのだ。
最近のエアコンは湿度だけを下げて、室温はキープされるらしいのだけど、
我が家のエアコンにはそういう機能が付いていないのだ。

この作戦失敗で、家内はタオルケットを何処からか出して来たという訳だったのだ。


             コントラスト
               @日本橋 日射しがコントラストを引き立たせた樹皮の模様







いかん



今日も裸になった所まで辿り着けなかった…。

大した話じゃないのにドンドン長くなってしまって申し訳ない…。
つづきは明日に譲るのであった…。





イニシアティブ係数







ベスト16入りで終わった今回の日本にとってのW杯。
日本代表も無事日本に戻り、これからは冷静なゲーム分析が始まるだろうな。今日はこれから
ドイツVSオランダの好カードがあるのでそれが楽しみ。

今回の日本代表の健闘に、日本国中がサッカーの渦に巻き込まれた感じで、僕が高校生の時には
考えられなかったけど、何かこれは『国民的お祭り』という感じがして、実に楽しい。

今回のW杯もそうだけど、WBCやオリンピックも、「無意識かつ平和的」にややもすると
日々の生活で薄れがちな『ナショナリズム』を喚起させる目的もあるのではないか…
と思ってしまった。

ニュースで何度も流された渋谷駅前のスクランブル交差点の若者達を見て、多分眉をしかめる人も
多いと思うのだけど、反社会的なエネルギーが内在し膨張しがちな年頃の青少年の、あの位の乱痴気
騒ぎは、ガス抜きとして大目に見て上げたいなァと思ってしまうのだ。

ボクの中でのW杯は、取り敢えず一区切りついたので、今日からはゆっくりゆったり世界の技を
堪能しようと思っている。でW杯ネタは一応これで終わります。


 憧れ
                     @日本橋 本物のZ1裏路地で見つけた






いずれも2005年のデータで直近の数字ではないけど、
日本の離婚率は38%と言う事らしい。成婚した10組中4組弱が離婚している事になる。

この数字を見て「多い」と思うのか、「少ない」と思うのかは、やはり自分の周りの状況にも
よるだろうな。
離婚に至る理由は、なんと言っても「性格の不一致」がダントツ。まぁ子供の育て方から、
生活様式、ある意味「生き方そのもの」も、すれ違いが起これば「性格の不一致」と言う事になる
ので、ダントツの理由になるのも分からないでもない。

中には「肉体的精神的な暴力」なんてものもあるので、それに比べたら平和な気もするけれど。

因みに離婚そのものは、2000年をピークに緩やかに減少に転じて2005年に至っている。

残念ながらその後のどの様な推移を見せているのか、分からない。

 フィンが美しい
                     @日本橋 空冷のフィンは美しい







我が家は、家内が一番早起きで、次に娘、最後にぼくが起こされる。

一応、娘を見送る為に家を出る直前に足をペシペシと叩かれて起きるのは、ここ一年ぐらいの習慣。
なんでペシペシされるかと言うと、まぁ内心「いつまでも寝てんじゃね~よ」と言う気持ちもある
のかも知れないけど、耳栓をして寝ているから、と言うのが建前なのだ。

以前はなるべく一緒に朝ごはんを食べていたのだけど、流石に最近はついて行けなくて、
「お見送り」で勘弁して貰っている。


寝起きは悪くないので、ペシペシされてフニャ~と上半身を起こすのだけど、
いつもの如く超大作の夢をみていると、脳の半分はスパイの世界に居て、もう半分は
だらしの無いTシャツ&パンツお父さん」の状態なのだ。




しかし今日は







なんと








パンツ一丁で目覚めたのだった。










なんで?







昨朝もいつもと同じ様に訳の分からない夢…ひたすら大袈裟な靴を履いて登山の途中で、
ペシペシされてフニャ~と起き上がると、隣の家内のスペースにゆるい人の抜け殻状態の
タオルケットがあるのだ。



うむ?


1997年に結婚して以来、夏は夏用の羽毛布団を使っていて、記憶にある限りタオルケットを
使用しているのを見たことがなかったのだ。


疑問に思って聞くと…「エアコンが寒い」と。


あっ!





実は…






って所で続きは明日以降に…(^_^;ゞエヘッ