で、焼いたのか? 焼津忍野旅行編(最終回)



さて今日はいよいよ焼津最終話です(苦笑)皆さん最後まで頑張ってお付き合い下さい。




色々な条件をくぐり抜けて、辿り着いた「アンビア松風閣」。
当日は見なかったけど、きっと団体客も受け付けるカジュアルな温泉ホテルといった感じ。
快適に過ごす事が出来ました。
まあコストパフォーマンスという意味では「まさにジャストプライス」だと思います。

が・・・

そこは口うるさいナチョパパ(苦笑) どうしても色々な旅館やホテルと比べたり、
こうだったら良いのにな・・・とか、ここはどうなの?って事がある訳で(;^_^Aエヘヘ


もし仮に「ここがもう少しこうであれば・・・」的な『たられば』があるとしたら、
やはりお料理と仲居さんの着物と着付けの仕方。
そしてゲームコーナーをもう少し充実して欲しいとヾ(*°▽°)ノアハハ・・・冗談です。


でも料理と着付けは再考した方が良いと思いました。

いや値段が値段ですから、料亭のようなお料理を出せ!と言っているのではありません。
じつは…
お料理の…


量が半端じゃないのです。

  これでも全部じゃない…
              @アンビエ松風閣にて  うーんこれで全部じゃないなんて…





確か前回、草津温泉に行った時に、「こういう旅館の料理は地産の物を美味しくちょっとで良い」
みたいな事を書いたと思うのですが、今回も例に漏れず
「(¬v¬^)イヒヒ あなた方はこれを全部食べることが出来るかな?」
的な賭でも密かに厨房でしているのじゃないか?って思うほど、大量の料理が運ばれてくる訳です
(苦笑)


で、もう今回は仲居さんに聞いちゃいました。

「あのぉ 一つお聞きしたいのですが、とても沢山のお料理を出して下さるのですけど、
 他のお客様はみなさんこれを全部召し上がるのでしょうか?」と。

すると・・・

「いや皆さん二時間近くお食事なさいますから、お酒も入って最後は何となく無くなるような・・・
 そんな感じじゃないでしょうか? やっぱり完食って事は少ないですが・・・」
と言う事でした。

うーん・・・やはりそうなのか。


いやコストの計算がどうなっているのか分かりませんが、多分金銭的に これ以上のコストは
掛けられない・・・って事はあると思うのです。
であれば、料理の品数を1/2にしてその分、一つ一つのクオリティを倍にする方が、
ホテルサイドもお客さんも喜ぶのではないかと思うのです。

単純に食材費は変わらないとしても、品数が半分になった時の調理人の手間ひまを考慮しても・・・
その方がずっと良いと思うのです。

シケで食材が入らないなんて事は許されない世界ですから、
相当の苦労があるのも分かるのですが、
「ここでしか食べられないもの」「その料理人でしか食べられないもの」に限定しても、
お客さんは喜ぶと思うのですよね。


マグロの刺身が5切れあって、中トロと赤身のにぎりを一巻ずつと、
漬け丼が用意されていたのですが、これなんかも どれか一種類だけにして良いから、
ワンランク上の食材を使った方が良いですよと。

いやいや部位によって使わない所が出るから、そこを漬け丼にして出しているのですよ!と
言う事であれば、それこそ「作り手の論理で料理を出している」って事なので、
魚も美味しい部位だけを仕入れても良いのじゃないの?と思うのです。

どっちにしても1/2もしくは2/3でも良いような分量の料理を『これでもか!』って出すと言うのは、
“食べ物がない時代の贅沢”って感じがして、もうちょっと違うのじゃないか?って思いますよ・・・
などと考えてしまったのです。





それからもう一つ。

ユニフォームとして支給されている着物。
きっと汚れるだろうし、かと言ってその度に専門業者に「洗い」を依頼しないといけない様なモノじゃ、
とてもじゃないけど採用できない・・・って言うのも分かるのです。

また重労働だから着崩れるって事もあるかも知れません。
でもですね、それならケアのし易い物って、他にもイッパイあります。
無理にあの「空港で外国人のお土産用に売っているような着物」である必要はないと思うのですよ。


折角、着物を着ているのに、それ自体が間違いに感じてしまいますよ・・・と。

僕もユニフォームのプロの端くれですから、和風なら和風、コストも意識して、ケアも楽で・・・って
言う選択肢が沢山ありますから、どうか「見た目」の重要度は大切にして下さい。

ちなみに「団体客を受け入れているような旅館」に泊まるのは、三回目になります。
だから代金の対価って意味では納得しているのです。
訳もなくただ噛み付いているのでは無く、この宿泊料金でこれなら、まあ良いと思ってはいます。

親子三人一泊75,000円強。高級な旅館と比べてはいけないと思っています。


ただ焼津の町がとても良かった事から、また来たいな~と思った時に、
「だったらまたアンビア松風閣に泊まりたいなぁ」
と言われる為には、たった二つのこと・・・料理の見直しと、ユニフォームかなぁ~と思ったのです。

もちろん旅館でゆっくり本物の贅沢を味わいたい・・・って方には、違う選択肢もあるでしょう。
でも気軽に家事から解放されて「少しの休養」を望むなら、アンビア松風閣も有りだと思います。


ちなみにこのホテルからのオーシャンビューは、ここ数日ご覧になっている通りなんですが、
実は視界を左にグッと振ると、前々回に「ナビが指示した崖沿いのクネクネ道」の通る海岸線があるのです。

              似ていると思うのだけど…
                      @焼津にて  ホテルの窓からの景色


この海岸線・・・どっかで見たことあるなぁ~と思ったら、これ(△←クリックしてね)に似ていませんか?

だから僕は焼津のことを日本の「アマルティ」と呼びたいと思います(^⊆^)ウン 
尤も焼津の人に言わせたら…アマルティがイタリアの焼津だろ!と言いたいかも知れませんが…
(^∀^)ゞ ハイ

なかなか良いぞ日本のアマルティ! 負けるな日本のアマルティ!!(って何に?)





翌朝目覚めると、すぐに朝食をとってナチョとママは再び温泉へ。
僕は昨日ほとんど写真を撮っていないことから、これは何か撮らないと、イカンなぁ~と
思い始めていたので温泉には行かず、ひたすらカメラをいじっていました。

でもだからと言ってカメラを携えホテルを出て撮影に繰り出すほど、ホテルの立地が町中には
なくて・・・仕方がないので ほぼ180度視界のある部屋の窓から海を見て、船が通るとカメラで
パチリ。

絵面としては さほど変化のない光景なのですが、海を望む景色って本当に飽きない(苦笑) 
そこが凡人なのでなんと表現すれば良いのか?いまいち分からないのですが、
時折 白い軌跡を残しながら走り去る船を、ただぼぉーと見ているだけで見入っちゃうのは
何故なんでしょうね。

今回も「あぁ良い町だなぁ」と思いながら海を見て、シャッターを押していたのですが、
家に帰ってPCで見たら愕然としました。

全く変化のない海の遠景が、サムネイルで並ぶ134枚。

自分でも呆れました。


「写真に関してはもう(自分のセンスに)諦めました・・・」と公言している僕ですが、
それでもブログに載せる写真はそれなりに考えているつもりなのです。
ところが・・・どこをどう贔屓目に見ても、「これは見させられる方も堪らないな」と思うほど
同じ様な写真ばかりなので、134枚から「まぁいいか」って思える8枚を残して
全て削除致しましたヾ(*°▽°)ノアハハ

正直、134枚のサムネイルが並んだのを見た時は、「連写かよ!」って一人突っ込みを
したくなるほどでしたから。
※実際には同じ様な写真を、単写で一枚一枚撮っていたのですから、タチが悪いのですけどねヾ(*°▽°)ノアハハ



このあとは…今回の旅行の第二編…つまり7/23の「高速道路無料化って、本当に良いのか?」に
続くのです。

えっ? 忍野の陶芸は?って…。







アーやっぱりそこが気になりますよね(^_^;ゞエヘッ

いや

じつは、何しろ焼津から忍野までの『鬼のような大渋滞』を抜けて辿り着いた事もあって、
もう全く気分が萎えちゃって…tarutaruさんが見たら怒りそうですが(苦笑) 
椅子から動けないような状態でした。

富士山を望む
            @忍野にて 椅子から立ち上がれない…富士を眺める




エアコンの効いた車の中で渋滞と格闘している時に、横と後ろでスヤスヤとお休みになられていた
『女王様とお姫様』は当然元気で(苦笑)、二人で工房に入って何やらコネコネしておりました。

           どうぐ
                          @忍野にて…  道具はどれも美しい


           作っています
                          @忍野にて…  何やらコネコネ




一ヶ月ほど乾燥させてから窯入れだそうです(^∀^)ゞ ハイ

走れ夏少女
      @忍野にて… コネコネが終わると、いきなり走り出す…成長しろよ…。・゚・(ノД`)・゚・。トホホ



さて…思いの他 長く引き摺ってしまった『焼津忍野渋滞旅行』は本日で終了です。
長い間お付き合い下さいまして、有難うございました。

             木々
                          @忍野にて… やはり空気が美味しい所だ…


また今回 偶然にもこのブログのスキン(テンプレート)を創って下さっているdenpaboyさんが、
たまたま焼津のご出身という事でコメントを下さいました。世の中狭いなぁ~と改めて思った次第です。


それでもは皆様、次回の記事をお楽しみに…。

★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆
ごめんなさい…ちょっとリコメント&ご訪問が遅れます。もう少しお待ち下さい。

お宿はドコじゃ? 焼津旅行編




行き先はダーツで決まる・・・訳ではないけど、白地図とにらめっこして決まります。
決まるに至る 今回のその条件はなんだったのか?と言うと…5つありました。


一つは、今回「温泉行きたい」から始まった話ですから、温泉があると良いなぁ~って事でした。
恥ずかしい話ですが、ナチョパパ一家はあまり「地理的なこと」に明るくありません。
たとえば昨年の草津温泉もそうですが、温泉と聞いて「草津」という文字は頭に浮かぶのですが、
じゃあ「草津」ってどこよ?って事になると・・・全く当てにならない(苦笑)

有馬温泉ってよく聞くけど、それってどこの訳?って調べてみて兵庫県だと知って断念する・・・
みたいな情けない状態なのです(苦笑)。ある意味一般常識に欠けているのだと思います。


「季節労働者」的な仕事のスケジュールで働いているので、たとえ一泊の旅行でも我が家の場合は
かなりその時期が限定されてしまいます。

まだナチョが幼稚園の時は、それでも巧いことスケジュールの合間を縫って、海外って選択肢も
あったですが・・・初等部になってからは、親と子の両方のスケジュールを合わせないといけない
ので、尚更ピンポイントで予定を立てなければならなくなりました。

今回はそれが7月の三連休、「海の日」だった訳です。

            穏やかな海を見ながら、渋滞イライラの心を鎮める…
                      @ 焼津にて  ホテルの窓から…





白地図とにらめっこをしながら、幾つかの候補が挙がっている時に、予想外の条件が加わりました。

先日から話していた知り合いの陶芸家の工房に「土をいじりに来ませんか?」と言う誘いが
あったのです。誘われたのは7月11日。ならば前日の10日に どこかに前泊しようと決まった訳です。

それで二つ目の条件は「翌日に工房に行けること」になりました。
陶芸は富士山麓の「忍野【オシノ】」。以前にも一度お伺いしているですが、改めて忍野をネット検索して
場所を確認しました。

検索をしている途中で三つ目の条件が出てきました。
まあ海の日って事もあるのですが、忍野は山ですから・・・折角なら二日間で全く違う世界を
味わいたいと、海に近い所にしようとなりました。

生憎、7月10日前後は長期予報でも「雨マーク」が付いていて・・・ちょっと悩ましげなんですが、
富士を挟んで海側が良いとなると静岡が中心になります。

神奈川県って選択肢もありますが、すでに白地図が塗られているので。


そして海水浴もしたいなぁ~と。
実は春のイチゴ狩りの時は、折角漁港や九十九里浜に寄っても、いまいち「海を堪能」とまでは
いかなかったので、四つ目の希望は「(入れなくても良いから)海水浴場が側にあって欲しい」と
いうものでした。

まあ「信じる信じない」は皆様の自由なんですが(苦笑)、ナチョの旅には「晴れ晴れぽっち」が
ついているだろう・・・という思いもあって、海水浴場が傍にさえ在れば、可能性として海に入れる
だろうと言う事だったのですヾ(*°▽°)ノアハハ


五つ目、どうせ海に行くなら前回のイチゴ狩りの時に、千葉の漁港で買ったような「海の幸」を
ゲットしたい・・・と言うものでした。
これは本当に単なる偶然なんですけど、「海産物センター」みたいな所じゃなくて、親子でやっている
小さな即売所で入手した鯛が、ちょっと信じられないほど美味しかった経験から、今回ももしかしたら
そのような事があるかも知れない・・・と期待したのです。

要約すると…、
1、温泉に行きたい
2、翌日には忍野行けること
3、海側であること
4、海水浴場があること
5、出来れば・・・海産物を入手

この5つを念頭に、ナチョの白地図を睨むと・・・自ずと場所は絞られてきます。

そう…目指すはやはり静岡県に決定しました。




さて静岡県と決まった時点で、本屋さんに行くのです。そう簡単に言うとガイドを買いに行きます。

これをアマゾンなんかで買わないのは、旅行ガイドってブックメーカーやシリーズでの違いよりも、
その地域毎に『沖縄編は◎◎が良い』とか『沖縄編は▲▲が良い』とか…かなり違いがあるので、
実際に本屋さんで見ながら買うようにしているのです。

ところがこの『静岡県』って…以外とガイドが無いのです。

部分的にはあるのです。
『伊豆』や『浜松』、『清水』など…それぞれに分かれて本になっているのです。

そもそもこの段階では『静岡のどこに行こうか?』って大まかに考えている段階なので、
大雑把過ぎて…ピンポイントの本を買うには至っていないのです。
京都だって、大阪だって…他の都道府県は多くの場合、県単位である事が多いのですが、
この静岡は…なぜか『部分』が細切れに編集されているので…ちょっと困った状態なのです。

海の色の変化は毎日見てもきっと飽きないな…
 @焼津にて  ホテルの窓から…左の黒っぽいものはゴミではなく鳥です…(^_^;ゞエヘッ





一つにはあまりにも県として大きいので、分割しないといけないのかも知れません。
または色々な魅力的な側面を持っている県なので、『静岡』って括りにしてしまうと、
やたらと分厚いガイドブックになってしまうからなのかも知れません。

この部分的に編集されている…って意味では『金沢』って言うのもそうかも知れません。
『石川県』という括りじゃなく『金沢』って括りの本の方が多いですから。

んで…僕が見つけた中ではJTBの「るるぶ」のシリーズ。
これには「静岡」ってタイトルがあるのです。もしかしたら他にもあるのかも知れませんが、
TUTAYA六本木ヒルズ店ではこれしか在りませんでした。

速攻で買って家族で読んで字の如く 頭を付け合わせて片っ端から候補地を探しました。

ただ静岡県繰り返しになりますが・・・これが本当に広い(笑)

東端は神奈川県に接していて、西端は愛知県に接している。ちょっと馬鹿げていますが、
それぞれの県庁所在地は『横浜』と『名古屋』だって考えると…間に挟まれた静岡県の大きさが
分かるってものです。


まずは条件の中から海産物を見て行くと…さすがに県の南側が全部太平洋に接している
だけあって、シラスや桜海老など…枚挙にいといません。
まずどこに行っても上質の海産物に出会えることは間違いなし。

海産物…って言うのかどうか、実に微妙ですが…静岡県の浜名湖を考慮に入れると『うなぎ』
だって食べられる。でも…翌日の忍野行きを考えると、浜名湖は遠過ぎる。

るるぶの『静岡版』の地図を広げて…浜名湖から東へズズゥーーーーと進むと、
そこに焼津の文字が。しかもガイドによると『焼津はマグロ』が有名。ここでネット検索すると
焼津の地名の由来も面白くて(△←由来はここクリックしてね)、あとは…海水浴場があるのかどうか? 
太平洋に面して『海水浴場』が無い訳では無いのですが…果たして駿河湾はどのような地形
なのか…全く分かっていないので、それを調べてみると…やはりこれも選べる状態にあって。

あとは…温泉があれば言う事なし。これはホテルによってかなり違うようで、ネットで調べる事に
しました。ホテル…ホテル…と探しているうちに重要な事に気が付きました。

じつは上の1つの条件で場所を特定したら、ホテルにも条件がある事を忘れていました。

それは…

実は草津旅行以来、宿泊先への要望が一つ出来まして(^_^;ゞエヘッ それはなんと…

“ゲームコーナーが欲しい”
というものです。


えっ? 邪道だろう?って…!!











はい。邪道です。



いや、ウチの娘ナチョ。折角アンバサダーホテルに泊まって ディズニーランドに行って
『これは良い思い出になっただろう』と思って、
『今日楽しかった?』って質問に、
無邪気に
『うん(^v^)ニコ !!』って応えて、
『何が(アトラクション)が一番楽しかった?』って聞いたら…。
『ママと影踏み!』と即答した...ツワモノ ( ´△`)アァ~ア

なんとさんざん散財して必死に走ってファストパスをゲットして、あらゆるアトラクションに乗った事より、
パパがクマのプーさんハニー味のポップコーンを30分も並んで買っている時に、ベンチでママとやった
『影踏み』が楽しかった…と言われた訳です。


つまり…なんだか分からないけど、圧倒的なゴージャスな旅行そのものよりも、
その場でゲラゲラ笑ったり、どうしたどうしたと地図とにらめっこしてみんなで道に迷ってしまったり
している方が、ずっと楽しいらしいのです。

だったら何も無理して予約の難しい所でじゃなくて、お気楽ご気楽に楽しめる所にしようと・・・
金沢で泊まったホテルが大成功だったこともあり、今回もそういう観点で「焼津界隈」のホテルを
検索したのです。



ところがですね・・・同じ静岡でも「熱海」や「伊豆」、「伊東」や「小田原」なんかだと、
温泉ありのゲームコーナーありのホテルが 何件かヒットするのですが、焼津になるとほとんど
選べない。

在ることはあるのですが、諸条件(宿泊日の空き室状況、お部屋のランク等々)が噛み合わず・・・
結局「ホテル・アンビア松風閣」という所になりました。

この辺の所は基本が家内に任せているので、パソコン画面を見ながら時折「海側が良いよね~」とか、
「和室が良いよねぇ」とか・・・質問に答えていき、最後に「ここで良いかな」と画面を見るとホテルの
HPが開いていると言う感じでした。


HPを見た時は「全室オーシャンビュー」と書いてあったので、どんな構造になっているのかなぁ?と思ったのですが、これをご覧下さい。

          これがそのホテル
                     @焼津にて アンビア松風閣のエントランスを見上げる




これはホテルエントランスの前に立って見上げた写真ですが・・・海に向かって正面、
つまり玄関に横腹を見せている状況なんですね。

考えてみれば当たり前なんですが・・・まさか海に向かってしか部屋がないとは思っても
みなかったので・・・(^▽^;)アセ
でも向かって右側に配置された廊下から見るシティービューも大変綺麗だったので、
何かモッタイナいなぁ~とも思ったのですけどね。

 シティービューもなかなか…でしょ?
             @焼津にて   アンビア松風閣の10階の窓から夜景を見る




今回、なんか写真が少ないでしょ(苦笑)

いや、忍野に行く御殿場インターでの混雑ぶりは書きましたけど、東京から焼津に入るのも
基本的には同じ様な混雑ぶりだったので、ここに来るまでに本当に疲れてしまって(苦笑)、
いまいち集中してカメラのファインダーをのぞき込むって事をしていなかったみたいで。

ブログにアップ出来るような写真の少ないこと少ないこと。
※家に帰ってから気づいたのですけどね。


いやもちろん家族がバッチリ写っている写真はあるのですが、家内の写真は載せるべからず令が
出ていますから・・・そうやって考えると、もう全く写真がない。

今回は12ー60ミリ(35ミリ換算24ー120)のレンズ一本と、コンデジDPー1だけしか持って行って
いないので・・・他にデータが全く無い状態で。本当に申し訳ないです。


で、ホテルはどうだったか?と言うと、可もなく不可もなくって感じでしょうか? 
もう一回泊まるか?って言われたら





多分YES。

何と言うか、そもそもが旅行通のtomatoさんやnaokoさんが、宿泊されるようなホテルや旅館とは
条件が違い過ぎますから、料亭のようなお料理を期待しちゃいけないし、アメニティーとか館内の
設備のナンタラを語るタイプのホテルではない訳で・・・(^⊆^)ウン

そういう意味では、満足出来る内容だったのではないか・・・って思います。





あーいかーん…tomatoさんからコメントが入らなくなる「細切れ状態」になってしまいました。
まだ終わらないのですぅ~(^_^;ゞエヘッ
多分次回には「終わる」と思うので、どうか皆さん…もうしばらくお付き合い下さい。


一休み (^v^)ニコ


いやそれにしても…やはり気候変動が現実になっているのか分かりませんが、山口県や九州の大雨、そして群馬県の竜巻と、今までのデータからは予想が付かないような自然災害が猛威をふるっています。「怖い」と言うよりも、地球に一体何が起こっているのか…って不安になってしまいます。

今回の災害で命を落とされた方もいらっしゃいます。また大変な思いをなさっている方が沢山いらっしゃいます。お亡くなりになった方のご冥福をお祈りすると共に、心身ともに傷ついた多くの方が一日も早く立直れる日が来る事を心から願ってやみません。

毎年毎年、「異常気象」って言葉が続くと”この異常さが普通なんじゃないか?”って思ってしまいます。が…それでも日本でこんなに酷い豪雨や、竜巻が起こる事は無かった(僕の記憶する限り)ので、普通じゃない状態になっていると言うのは、間違いない…と思うのですけど。

これ、原因をつき詰めていくと「人間が仕業」なのか、それとも自然のサイクルがそもそもこういうモノなのか…判断に悩むところです。

いや…特にボクはキリスト教でも何でもないのですが、この大雨を思うと「ノアの方舟」の逸話(逸話って言っちゃいけないのかも知れません…もしそうならキリスト教の人ごめんなさい)である「大洪水」の話が思い浮かびます。あれが単なる作り話なのか(あー何度もすいません)、それとも何らかの天変地異が教訓として「ノアの方舟伝説」として言い伝えられているのか分かりません。

でも…なんと言うか、

やはりもし仮に何らかの史実があって、それが脚色されて逸話になったとしたら、やはり数千年に一度…このような事が起こるのではないか…って事もあるかなぁと。そう言う意味で言ったら、ポンペイの大噴火だって一緒なんですけど、やはり100年とか200年とか、そういう単位じゃなくて1000年とか2000年とか…そう言う単位ではあるのではないか?っと。

だとしたら異常気象と言うよりも、1000年、2000年のルーティンとも言える訳で。その説が仮に当たったとしても、だからなんだ…っていう事もあるのですけど。何とも怖い話です。

西麻布で初めて見た看板
           @西麻布交差点にて   今日まで気付かなかった…お店



本当は今、焼津の話を書いているのですが、まだ出来上がってなくて…お茶で濁してしまいました(;^_^Aエヘヘ きっと「おいおい話が変わってんじゃね~か」と思っている方もいらっしゃるかも知れませんが、きっと明日には更新できるのではないか…って思います。もう少々お待ち下さい。

ナビよどこに行く? 焼津旅行


実を言うと始めにあったのは「どこか温泉に行きたい」という話だったのです。

我が家の特殊な事情から、「夏休み」を自由に使えないので、
夏休み前にどこか家族で旅行をしようという計画を練っていました。

とは言うものの、お金も時間も沢山ある訳ではないので、「ナチョの白地図」を見ながら、
その候補地を探していたのです。


この「ナチョの白地図」というは、新聞を広げたサイズの白地図で、
娘(ナチョ)の部屋のドアの内側に貼ってあるのです。

白地図は文字通り線で日本列島が描いてあり、各都道府県の形だけが書き込まれている
極めてシンプルな地図です。
娘は旅行などで滞在した事のある都道府県を、ブルーの蛍光ペンで塗り潰していきます。
実際にはまだほんの数県なのですが、今は旅行先を決める時に
「まずはまだ塗られていない所から選ぼう」という感じで、旅行先の検討に入ります。

初めはどこかのテレビ番組でやっているように、地図を的にしてダーツを投げ、
矢の刺さった所に行く・・・と言う方法を採用しようか?という話もあったのですが(苦笑) 
やはり余りにもリスキー(時間が取れない時に"石垣島”なんてなっても困るし(苦笑))なので、
塗られていない所から選ぶ・・・と言う、単純な方法になりました。

ゲーム性はなくなりましたが、海か山か、自然か都会か、遠近どっちにするか、
その時々の様々な事情で選べるので、今はこの方法に落ち着いています。


              遠くに小さく見える府には泡のように美しく溶け込んでいた
                            @焼津にて  駿河湾の水平線




前回の記事でも書きましたが、大渋滞の末(苦笑)辿り着いたのは14:30。
晴天だったら地図にもある近場の海水浴場「浜当目(ハマトウメ)海水浴場」に行こうと
思っていたのですが、天気は生憎の花曇り。↑の写真のような感じでした。

時々思い出したように晴れ間が顔を見せるのですが、お世辞にも「快晴」とは言えない感じで。
でも天気予報では、この土日は「かなり強い雨」と言う話だったので、
大混雑の中「車の中でも日に焼けちゃう」と言う状況だったことを思うと、
晴れ晴れぽっちの威力は凄まじい(苦笑)


ホテルのチェックインは15:00からなので「どうしようか・・・後30分」と相談の上、
近場の港に行ってみようと言うことで話はまとまりました。

前回のイチゴ狩りの時に、何気なく寄った漁港で思わぬ拾いモノ(美味しい鯛)が手に入ったので、
今回も運良く何か見つけられるかも・・・という思いがあったのです。


とりあえずホテルの前でナビ検索をして「最も近い漁港」を検索して、8キロ先に大きな漁港が
あることが判明。
そのまま画面をタッチしてインプット。崖沿いのクネクネした道を走り向かったのでした。


この道が結構スリリングで、行きは右側が眼下に海が見える崖、片道一車線ながら
場所によってはかなりスピードを落とさないと互いにスレ違えない場所もあり、
「この先大型車通行不可」という看板を見ながらのドライブになりました。

因みに、この感じをちょっとお洒落な感じに言うと・・・
「サントロペからニースに向かう海沿いの道」に似た感じです・・・ちょっとオーバーかな(;^_^Aエヘヘ

でまあ・・・そのサントロペ もとい焼津から漁港に向かって走っていたのですが・・・
初めこそ海沿いの道だったのに、ある時点から完全に内陸の方へ向かっている感じなんです。

案内しているのはナビなので、間違いはないだろう・・・とは思うのですが、
ともかくナビ上からも海の絵がなくなっている(苦笑)

僕は通常ナビを100メートルスケールの画面にしています。
でも・・・このナビになってからかなり細い道での案内が多いことから、
知らない町では50メートルスケールの画面で設定しています。

もちろんその縮尺では、画面に映る範囲も狭いですから、
「あれ? なんか気持ち的にかなり内陸に入っているような気がするのだけど・・・」と
思いながらも、確認することなく進んでいたのです。

            夜はオーシャンビューより綺麗なシティービュー                       @焼津   ホテルの駐車場から  





ところが大きな橋を渡った途端、地図上にチェッカーフラッグマークが現れて、
そこにドンドン近づいて行っているのに、目の前には全く海なんか無い雰囲気。
設定したはずの港の画面じゃなくて、変な町のど真ん中がゴール地点になっているのです。

50メートルスケールですから、ゴールが見えた時には
「もうとりあえずここまで行ってみて考えよう」的な状況で、変な交番の横がゴール地点に
なっていました。

なんじゃこれ?と思いながらも、港の気配は全く無く・・・ナビ地図を見ながら、
うーんと悩んだのですが、悩んだからと言って港になる訳でもないので、
とりあえず「ここはどこだろうか?」と現状を確認していると・・・目の前になにやら老舗って感じの
店構えの古めかしい建物がある。

店の前には幟があって「元祖安倍川餅」と書いてある。

これがですね・・・なんというか、時代劇に出てきそうな感じなんです。

えっ?その写真はないのかって? それはちょっと事情がありまして・・・後ほど分かります。



とりあえず三角コーナーのようになっている場所を、少し戻るような感じで店の前に行くと、
店の横に砂利道があって駐車場を示すPマークがあるのです。

砂利道って言っても、どこかに通じているような感じじゃなくて、この元祖安倍川餅の店の
敷地で30メートルぐらいで行き止まりなのです。
道幅も狭いですから、帰りのことを考えると一旦前に出てバックで入って行かないと
帰りが面倒だな・・・と。

何しろ結構な交通量のある道沿いなので、帰りにお知りから出て行くと、かなり危険かと。

車の往来を確かめながら、一旦頭を逆に振ってそろそろとお尻から入っていきました
(僕の数少ない自慢。後進や縦列駐車に困ったことがない・・・従って、こういう状況が好き)。

ただでさえ狭い砂利道(駐車スペース)の左側にホンダのオデッセイが停まっていまして・・・
そこに微妙につめながら車を止めようとすると、白い上っ張りを着て頭がツルッパゲの
50歳代後半の日焼けした気難しそうなオヤジが立っていまして…
「奥まで入れてくれ」みたいな事を、ものすごく無愛想に言う訳です。

          雰囲気だけは良いのだけどね…                  @安倍川のほとりにて うーん雰囲気は良いのだけど…





明らかにここの店主なんですが、一見するとヤクザっぽい感じなんです。

無事、車を停めて店の正面に回り、木製の格子の引き戸を開けて店内に入ると、
笑っちゃうぐらい江戸時代・・・みたいな感じで、しかもエイジング加工を施したようなものじゃなく、
完全に経年と共にこうなったと分かるような立派な老舗でした。

えっ? 写真はないのか?って?

だから

それはちょっと事情がありまして・・・後ほど分かりますって(^▽^;)アセ



店に入るといきなり土間で、部分的に座敷になっているものの、
広い土間の一部に台が設けられていて、毛氈が敷かれてこの台の上で食べることが
可能なのです。

壁に掛かっているメニューらしきものを見ようと壁を見ていると、さっきの日焼けしたツルッパゲと、
やたらと目付きの厳しい中年女性が現れて、「何しますか?」と店の中にあるガラス張りの
古めかしいショーケースを指さすのです。

その中に三種類ぐらいの短冊みたいなものがあって、そこから選ぶように
「これで以上 人は不機嫌になれません」ってほど、無愛想に言われるのです。


とりあえず「安倍川餅セット」というのを選んだのですが・・・日焼けのツルッパゲと
目つきの悪い女が、ず~とこっちを見ているのです。

僕の方は写真が撮りたいので、時折店の中にあるものに目星をつけてシャッターを
切るのですが、そのシャッターの度に、ちょっと異常なほどの眼差しでこっちを見ているのです。
因みにこの日焼けツルッパゲと目つきの悪い女は、安倍川餅を出している商売人と言うよりも、
ヤクザと姐さんって感じで・・・ものすごい迫力なんです。


一切愛想のない店で出された安倍川餅セットを食べるのですが、ずーーーと店のから
こっちを見ていて。僕は写真を撮ってはいけない所なのかな?とも思ったのですが、
そうでもなさそうで、ただひたすら厳しい目で客を観察している、もしくは恫喝しているような
感じなんです。

食べ初めてしばらくの間はこの異常な雰囲気に飲まれていたのですが、
しばらくして僕ら以外にお客さんが入って来ました。
法事明けみたいな喪服姿の格好をした老人の男女が8人ぐらいのグループが入ってきて、
我が家と同じようなオーダーをして、お座敷に上がっていました。

何かちょっとホッとしたのですが、愛想の悪さは僕らに対してだけではなく、
この老人たちのグループに対しても同じだったので、もしかしたら・・・この店はこれがデフォルト
なのか?と思いながら餅を食しました。

因みの壁に掛かっている短冊状のモノは、メニューではなく、ここに来た有名人のサインでした。

          歴史を感じるけど…頼む事は出来なかったメニュー                       @安倍川のほとりにて 一瞬メニューに見えるでしょ





本当ならゆっくりしたい雰囲気のお店なのですが、このヤクザっぽいツルッパゲと、
姐さんのような鋭い目つきの女店員のせいで、食ったらすぐに出ることにしました。

ここで本当は店の正面の写真でも撮ろうと思ったのですが、砂利道から車を出して、
国道に車を停めてさあ・・・写真を撮るか・・・とバックミラーを見ると、さっきのヤクザ風ツルッパゲが、
変な木刀みたいな物を持って、ゴルフスイングの真似をゆる~い感じでしているのです・・・
店の前で。


でも視線だけはこっちをグゥーーーーーゥと見ているのです。
いやここまで来ると見ているって感じじゃなくて、睨み付けていると言った方が正しいかも
知れません。
このお店はある意味とてもインパクトが強かったので、写真に撮りたかったのですが…
身の危険を感じるほどだったので(苦笑)そのまま店を後にしました。


ここに辿り着く前に通った川を渡ってホテルに戻る事にしたのですが、
この川の名前が「安倍川」。
つまりこの川のほとりで生まれたのが、「安倍川餅」って事なんだと。なるほど…納得。


結局「港」は諦めてホテルに戻る事にしたのですが、橋のたもとにはこの怖い感じの
「元祖安倍川餅」の他にも二、三軒の安倍川餅屋があって…よりによって(見た目で老舗っぽい)
ここを選んだ事を後悔しました。・゚・(ノД`)・゚・。トホホ

ちなみに味は…普通 
          @安倍川のほとりにて 元祖安倍川餅の正体  








すいません…今回は短い旅行記にするつもりだったのに…また続きものになってしまいました。


あっそうそう、ナビなんですが…なんで全然港に関係ない所に連れて行かれちゃったか?って言うと、
多分…タッチパネルで設定をする時に、変な所を触ってしまったのだと思います。でもそのおかげでこの
「怖い安倍川餅」が食べられたので、結果良かったかなぁ~と思っています。

因みに肝心の安倍川餅ですが、アンコにざらざら感がって…餡子を作ってから時間が経っているのではない?って感じがしちゃったのが残念です。


高速道路無料化って、本当に良いのか?




いや…なんだか随分と時間が掛かっての更新になってしまいました。
渋滞という事もあったのですが、異常に疲れてしまって、毎日ひたすら早くベッドに
入っている状態です。

リコメントも訪問もきちんと出来ない状態で…猛烈に反省しながら、今日やっと更新に至りました。


本当はすぐにでも焼津の旅行記を書こうと思ったのですが、連休中にホテルで書いてた文章が
中途半端にあったので、、、そっちから先に掲載します。

宜しく御願いします。





この三連休を利用して、静岡県焼津市と山梨県忍野に行ってきました。
まず初めに『忍野【オシノ】で陶芸をしよう』・・・と言う話が、三連休の中日の計画だったので、
それならばどこかで前泊をして…そうだ温泉に入りたいなぁ~と言うことで、焼津を選びました。

まあ旅行に慣れていない…素人考えだった事もあるのですが、青山の自宅を8時半に出ました。

距離的には180kmの道のりなので、どんなにゆっくり走っても3時間あれば着くはず。
既に、ここの時点でお分かりだと思いますが(苦笑)、渋谷で首都高速に乗った瞬間に
「渋滞」表示が点灯。

途中の話を書いても切りがないので、記しませんが・・・到着したのは14:30。
正直疲れました。


よく考えてみたら、高速道路1000円均一になってから大移動したのは、
今年の春に「いちご狩り」に行って以来 一度もない訳で(春の軽井沢は新幹線だったし)。

まさかこんな大混雑になるとは思いませんでした。


しかも渋滞で亀の歩みの状態の所に、制限速度の標識(電飾が数字を表示するタイプ・・・
雨や霧の時には50Kや30Kの表示がされるのです)に80キロの表示がずっとされているのですね。

ただでさえ「奇妙な車間距離を取りやがるバカ者」などでイライラしている時に、
ほとんど停まっている状態なのにも関わらず、いつまでも80キロ表示って・・・
なんと無神経なんだろうとイラッ!(苦笑)

えっ? 大したことじゃないよ!って思う方もいらっしゃるかも知れませんが、
もう笑っちゃうほど圧倒的に停まっている時間の方が長い時に、「80キロ」の表示を何回も見ると、
本当にイライラしますよお~ヾ(*°▽°)ノアハハ

               隙間





それにしても今回渋滞に呑まれながら思った事が三つ。

一つは、皆が渋滞でイライラしている時に、すごく前が空いてからやっと走り出したと思うと、
すごい速度で走り、また前がすごく空いてから走り出す・・・みたいな、下手糞な運転をするバカがいること。
※中には本を読みながら走っている奴がいて・・・出て行ってキレようかと思った。

二つ目は、もしかしたら高速料金の均一1000円って、土日じゃなくて平日にした方が
良いんじゃないか思ったのですわ。
しかも営業車だけが均一1000円で良いんじゃないか?って思ったのです。

えっそれじゃ「恩恵が受けられないじゃないか?」って! イヤ、物流のコストが下がるって
大きいと思うのですが。
今の状態って極端に週末に交通量が増えて、非エコだし、営業のトラックは渋滞に巻き込まれて、
動けていないし・・・。

それに・・・どうしても土日高速をレジャーに使う人が増えるので、大渋滞の温床の訳です。
これを解決するにはインフラとして施設の拡張ってことも、ないわけじゃないですけど、
まあコスト的にも将来の人口の減少時のことを考えると得策とは思えないし。

ってことは、土日は課金して、平日に無料化なり均一1000円にすれば、レジャーをとる日の
分散もあるでしょうし、高速の利用者の分散があるし・・・良いこと尽くめだと思うのですが。

無料化・・・なんて話しもありますが、なんか日本国中「大渋滞」になる気がするのですが・・・。
うーん無料化大丈夫なんだろうか?

どうせやるなら平日と営業車(営業車は常に)だけで良い気がしちゃうのですが。

ダメですか?

三つ目は…いや今回も「ゴラァ!」目線バシバシの運転だったのですが(苦笑)、焼津のホテルを出た後に、ホテルから10分程度の所にある「浜当目海水浴場」という所に立ち寄りました。
※この海水浴場に関しては改めてまた書きます。

そんな事もあって実際に焼津の地を発ったのは、11:00頃でした。13:00過ぎに忍野に入れば良いと
思っての行動だったのですが・・・甘かった。

もう既に混雑は始まっていて、御殿場(ゴテンバ)インターで高速を出ようと思っても、
出口の3キロ手前から高速道路の路肩に長蛇の列なのです。

関東近県外の方はご存じないかも知れませんが、この御殿場には関東最大級のアウトレットが
あります。正確なデータが手元にないのですが、多分・・・関東圏では尤も古い(言ってみれば老舗)
のアウトレットです。

残念ながら行ったことがないので、詳細は語れないのですが、今でこそ沢山のアウトレットが
出来て、お客さんが分散していると思うのですが、にも関わらずここは廃れることなく大人気の
アウトレットなのです。

そのアウトレットの最寄りの御殿場インターに高速道路が均一1000円になり、
しかも三連休のど真ん中につっこんで行くのですから、高速道路上に3キロ以上の渋滞の列を
作っても仕方のない事かも知れません。

これがスゴかった。

              窓に映る空気とか音とか色とか…





高速道路上の渋滞だって、(通行止めになっている以外は)3km程度なら普通15分とか20分
で通過できると思います。
ところが詰まっている所がゲートの外からなので、なんともう40分間もひたすら出口に向かって
並んでいるのです。
※実際にETCゲートに辿り着いたのは1時間近く経っていました。

ところが…

ひたすら3km40分も並んでまっているのに、出口付近になってウィンカー出して並ばないで
入ってくるヤツがいるのです。

まだ出口まで100mぐらいあるので、文句の言いようがないのですが、割り込んで来る車の
多くが…超高級車だったりする訳です。

ベンツとか
レクサスとか
ベントレーとか


イラッヾ(▼ヘ▼;)

実際に割り込む瞬間は100m先なので見られないのですが、完全にウィンカー出して入っていく
車の多くが、窓を真っ黒にしているあふぉの車で(少なくとも私が確認した4台は全部そう)、
多くの人がちゃんと並んでいるのを、「僕は当然」当然みたいな感じで入って行くのでムカッときて、
自分の所に来たら絶対に入れない!と、逆にひたすら自分の時に真っ黒車が現れないか…
待ちました(* ̄▽ ̄*)イヒヒ(この時、悪の心が疼いている)

すると

冗談みたいな真っ黒な車レクサスLS、ホイールも真っ黒が現れまして…クックク
もうひたすらブロックですわ。

ここでぶつかったら警察呼んでしまう気ですから、相手の運転席をひたすら見ながら完全ブロック。
こういう時は右ハンドルは強いです。
だって相手の車に近いですから、「後数センチでぶつかりまっせ」って状態でも絶対に入れない。

30メートルぐらい粘ってずーーーーーーーーーと相手の顔をみて、諦めた相手が後ろに入りました。



良かったね?って??

とんでもない。後ろの車に言いたかったですわ。


『オメー入れさせんじゃねーよ』って(苦笑)


ゲートが見えて来ても、今の時期ETCレーンの方が混んでいるのです。

ご存知だとは思いますが、ETCのカードを機械から抜いて、一般の方の窓口に差し出すと、
普通に通過出来ちゃうのです。
だからガラガラの一般のゲートに向かって、ETCカードを差し出し、駐車場化した料金所および、
ゲートを出た所に溜まっている車の列を最左から最右まで、くねくねとウィンカーを出して横切り
通過したのでありました。

で…言いたいのは、警察よ。
もしくは高速管理者よ。
中途半端なスピード違反を捕まえるより、出口付近や路肩を疾走する高級車や、
横入りをする゛ならず者″を捕まえんかい!!…と。


スイマセン…書きながら怒りが蘇って、話がずれてしまいました。

いやつまり…高速無料化って事になると、当然『お金掛かるからこの位なら下で行くか』って
思っていたの人も、『タダなら高速乗るか』って事になる訳です。

もちろん今のような大渋滞が至る所で起こることが考えられる訳です。それはどうなのかと?

いや百歩譲って『大渋滞でも移動で経済効果が出るじゃろう』っていうかも知れませんが、
そうなった時の日本の物流の要であるトラック輸送なんかは混雑で大打撃を受けるのではないか
って思うのです。

しかも一番新しいデータに基づいて経済効果を試算すると、2~7兆円の経済効果があると
言われていたはずの無料化が、実は値下げをしてみたら後で計算するとGDPに対して0.49%しか
貢献しないって説もある。

だとしたら…寧ろ利用客の少ない平日の無料化なら良いですよと。
※ここは二つ目の指摘と同じになるのですが…

そして土日は今まで通り課金する。
だたでさえ土日のプライベート使用の多い土日に無料化してどうすると。


でも今は有料の営業ドライバー(つまり物流)こそ、完全無料することが望ましいと思うのは
僕だけでしょうか? 

物流コストは下がり輸送の対する時間も計れるようになる。
今のままでは異常に増えたレジャーの車の為に、にっちもさっちも行かなくなっている訳です。

もちろん一般の車も出口に向かって路肩に長蛇の列を成しているのですが、
その間にはエンジンを切る訳にもいかない訳です。エコカーのように車が停止している間は
エンジンも自動で止まり、走る為にアクセルを踏むと自然にエンジンが掛る…システムもない車が
普通ですから、環境にも良くないのです。



きっと皆さん 民主党政権になって公約である「高速道路完全無料化」に大喜びの方が
沢山いらっしゃると思うのですが…僕は反対だな…と思ったのでありました。


久々に更新したと思ったら、怒りの記事ですいませんm(_ _)mペコリ

帰京しているのですが…


 鬼のような渋滞の中、無事東京に戻ったのは昨日の夜9:00。
富士山麓を出たのが16:30。もう裏道裏道の裏街道まっしぐらで帰って来ました。

疲れた(苦笑)

 大して写真も撮らなかったのですが…それでも写真の整理をしていたら、結構な時間が掛って
しまって…なかなかブログのリコメントも含めて時間が取れませんでしたm(_ _)mペコリ
すいません。

           和風アマルティ…(¬v¬^)イヒヒ                              @静岡県焼津市 アンビア松風閣の窓景 




コメント欄を一旦閉じますが…時間が出来次第、リコメントご訪問を致しますね。




静岡県の…

                     縦にしました。

今、焼津市に来ています。
明日富士山麓『忍野』にある陶芸家會田雄亮先生の窯に
遊びに行くので、前泊で焼津の温泉ホテルに
泊まっているのです。

出張以来、体調が優れていなかったので、しっかり温泉に
浸かって少しでも快復させようと思います。

そんな訳でリコメントと訪問が遅くなりますが…
お許し下さい。

本当に滅茶苦茶…Σ(|||▽||| )

それにしても今の自由民主党、凄いですな。

いや…“思想信条は限りなく「個人の自由」に帰属する”事は揺るぎないので、
「私は自民党を支持します」というも良いのですが…。あまりにも酷いので目に余る。

まあ政治家が「先生」と呼んで貰えて、沢山のお金を貰って、多くの特権を享受しているのが、
選挙の結果によっては、ただの無職の人になってしまう訳ですから、必死なのも分かるのです。

でも彼らの本当の仕事はなんなんでしょうね。

少なくとも選挙は仕事じゃない。













選挙は単なる就職活動ですから。







                 ココダケイギリス
                                   @大阪淀屋橋界隈




テレビや新聞などのメディアから流れる情報を、話半分だと思って受け取ったとしても
何とも情けない。
今の彼らの「私利私欲」で活動している行動も、全て我々の税金で行っている…と言う事を
忘れてはいけません。

戦後の壊れた国をここまで発展させた「一翼」であることは認めますが、
もう時代は確実に変わって、その役割も終えたのではないのか…と思うのです。

一度下野して、改めて本当の政治家が出て来る事を心から祈るナチョパパでした。

とても暑い…一日でした。



ただでさえこの暑さの中でうんざりなのに、体調がイマイチなので一層辛い日でした。
東京はかなり強い風が吹いていたのですが、それが「熱風」の状態なので、
「まだ風がある分 良いよね」
と言う事は全くなく…このままだときちんと汗がかけないで、熱中症になる人も出るだろうな
と思わせるものでした。


             本当に海外のワンシーンに見えませんか?                                    @淀屋橋界隈にて 
このビルからの看板の出し方は、東京ではなかなか見られない。やはりモダンな感じがする。



今日は夕方から先日の講義の内容を、「レポートにしましたので校正して下さい」と言うメールを
受け取り、自分の話した内容を文章にしたモノを拝見しました。
これは今回のセミナーの一切を取り仕切った、女性のコーディネイター(要はプランナー)さんの
女性が起こした文章なのですが…それが凄かった。

そもそも筋だけはアバウト決めていた内容なのですが、話は生き物なのでセミナーを受けている
人を見て「食い付きが悪いな」って感じたら、次の話に行くので…なんと言うか、書き言葉として
しまうと、なかなか難しい訳です。

ところがこのコーディネイターさん 上手くまとめているのですね。
まあプロと言えばプロなんですが、話の山が前後する所も綺麗にまとめていて…天晴れ。
校正すると言っても、実際の話ではその場のニュアンスで伝わる事も書き言葉では補足が必要
である場合があるので、その部分だけ「赤入れ」をして、後はお任せした次第です。

何か上手くまとめて貰うと「なんだか僕ちゃんと話をしていたじゃないか」って思うのですが、
実際にあの時のビデオなり、レコーディングされたものを聞いたら…ボロボロだったことが
白日の下にさらされるので(苦笑)、後はもう彼女に任せた次第です。

               雨の跡も味に感じる医師の質感                                           @大阪淀屋橋界隈にて



今夜もまた熱帯夜。
皆さんエアコンのかけ過ぎには十分気をつけましょうm(_ _)mペコリ

熱は下がって…でも

ご心配頂きまして有難うございました。
何とか私の方の熱は下がりましたが、今度は家内が…(^_^;ゞエヘッ 
帰りの新幹線…時間が遅かった為か、空いていたのは良いのですがえらくエアコンが強力に
効いていまして。

当日半袖のニットポロシャツを着ていて、ジャケットの類を持っていなかったのですね。
日中が暑かったこともあって新幹線に乗った時には「アー気持ちいい!」と思ったものの
30分後には…「寒いなぁ~」と。

そのまま頑張って起きていれば、まだ何とかなったのかも知れませんが、
気が付いたら…寝てしまい、気がついた時には新横浜。
ほぼ二時間、爆睡してしまいました。

あまりの寒さに目が覚めたのですが…「ヤバい 喉が痛い」と思った時には、しっかり風邪を
引いていました。

                そして…僕                                 @御堂筋にて…並木がうっとりするほど美しかった





話が全然違うのですが、何かホッとする曲だな…といつも思います。






                 疲れている時にこのCMの曲を聴くとホッとする

体調が戻らず…



すいません…何名様かのご訪問を致しましたが、なかなか体調が戻らず…
今日もコメントが出来ません…すみません。
朝は熱が37.2℃(実に微妙) 薬を飲んで36.4℃まで落ちるのですが…
平熱が35℃の前半(大体35.2℃)の僕には辛いです。

本当に情けない状態なのですが…もうしばらくお待ち下さい。
回復次第更新いたしますm(_ _)mペコリ

                     

             どこか遠い国にいるような気持ちになった…                             ※ちょっと海外のようだった…大阪倶楽部

キオク ノ キロク シネマ ト フィルム (下編-完結)

(前回から続く…)

当時の僕の家の経済状況って、その後の生活とはちょっと違って、起業したての父の会社は
まだまだ不安定な時期だった。
この小児病棟に何日間も入院するのも、ちょっとした負担だったはずだ。

実際にどのくらいの額だったのか、当時5歳児の僕には知る由もないが、
ともかく大変な額だと言うことは解った。もしかしたら車ぐらい買えちゃう額だったのかも知れない。

父はきっと必死にかき集めて工面していたのだと思う。
きっと長男を亡くした時のような思いをしたくない一心だったのだろう。
病院にもあまり来れない状態で、来る時は必ず人形だの ぬいぐるみだのを持って来ていたのを
覚えている。

5歳の僕は子供ながらに「僕はいらないから神様助けて」と思っていたから
(自分で考えても健気だ(苦笑))、きっと気づいた時には、相当数の玩具でベッドが
埋まっていたらしい。

きっと貧しいながらも必死だったのだと思う。

                 大阪の空も東京空も美しい                                          @大阪淀屋橋 暮れる空は美しかった




二つの「鳥のもも」は一つはベッドの中の妹に、もう一つはなんと隣のベッドの女の子のものだった。

今はどうだか分からないが、当時この小児病棟に入るのに特別な補助はなかったのだと思う。
しかし当然ながら「重い病気」は貧富に関わらず、ある意味平等に降り懸かる災難の訳で。

隣のベッドに入った幼い女の子の家は、我が家より更に貧しかったらしい。

当然その小児病棟に入るには、それ相当の金銭的な負担がかかる事でもある。
親はそのお金を工面しなくてはならない。そういうこともあって、彼女の親は毎日ここに
通う訳にはいかなかったようなのだ。

我が家もギリギリである事には変わらないが、それでも毎日面会の時間内なら、
何時間も側にいて上げることが出来る訳で、子供にとっては「おみやげ」とか「お見舞いの品」
なんかよりもずっと大切なことだったのだと思う。

記憶が正しければ、その子は小児癌だったと記憶している。

母は妹だけに「鳥のもも」を買って行く事が出来なかったのだ。高価なものは買えないが、
ノートやシール(子供が欲しがるもの)はいつも2セット買って、お見舞いに通うようになっていた。

兄妹喧嘩をすることもあった僕も、なんだか全面的にそれを肯定していて、
いつもそれを母が買っているのを心穏やかに見ていた事を今でも覚えているのだ。



45日の入院生活を終えて、「12歳未満の立ち入りを禁ずる」と赤く大きな文字で書かれた
両開きのドアから、父と母と、妹は三人横並びで出てきた。

毎日分厚い扉と壁を隔ててすぐ側にいたのに、隔離されたような状態だった為に、
45日間ぶりに見た妹はパンパンだった。これでもか!ってほど太って・・・ちょっと目にはそれが
妹だとは思えないほどだった。

お洒落な店が本当に多い                                @いつもこういうBARを見る度にお酒が飲めたら…と思う





四肢の血管が破れると言うこともあって、絶対安静だったこともあるだろうけど、
多くは薬の副作用だった。兄妹で恥ずかしいと言うのも、なんだかちょっと変な感じなんだけど・・・
うーんなんと言えば良いのか。

丁度、夏休みが終わって「見違えるように真っ黒になった友達と9月の始業式で会うような」
そんな感じの気恥ずかしさがあったのを、とても新鮮な気持ちで覚えているのだ。

母は毎日会っていた事もあって、妹の変化が徐々に起こっていた事もあるのだろうが、
僕の場合は明らかにドォーンと太った状態で現れたのだから、その衝撃は大きかった。

結局、妹はやはり45日(つまり太った時間と同じだけの時間が掛かって)元の体に戻っていった。
もちろん「アレルギー性紫班病」は再発することは無かった。

自宅から20分間の自転車通勤を高校生時代に経験すると、彼女は家族の中でも
最も強靱な体を持つことになる。

幸いにして、あの時の「ムクんだようにパンパン」になることも、思春期を通じても一回もなかった。
もしかしたら人生で蓄えるべき脂肪細胞を、あの十数日間で消費費し尽くしたのかも知れない。

古いものをきちんと残してある                            @贅を尽くすって事はこういう事なのかも知れない…と思った。





僕の中にある記憶の多くのは、時間と共に色褪せていくか、とてつもなく美化されて行くかの
どちらかで、ただそのまま何の脚色もされずにフィルムのように「淡々と記録されている」ような
ものが少ない。

でもこの小児病棟の待合室で、幼い妹と一日何時間も病室いるもう一人の妹を見守っている
思い出は、色褪せることもなく、また過度に美化されることもなく淡々と記録フィルムのように、
いつでも再生可能な状態で、記憶の奥底に沈んでいる。

きっと当時の僕が幼過ぎて、美化するほどの感情の複雑さも持ち合わせていなかったし、
色褪せるには強烈な思い出になっているのだろうと、今年44歳になった僕は思うのだ。


                                                    終わり




すません…話は終わったのですが、大阪の出張から戻って、思いきり体調を崩しました。
リコメントが遅れます…すいません。

キオク ノ キロク シネマ ト フィルム (中編)


”あれるぎーせいしはんびょう”正しくは「アレルギー性紫班病」と書く。
これは実にやっかいな病気だった。
小児の時に発症すると、主に四肢に無数の痣が出来る事から「紫班病」と呼ばれる。

原因はハッキリしないが、始めは四肢の血管が弱くなり破れる。つまり内出血を起こすのだ。

やがては全身に及んで、内蔵も出血する事態になる。重篤であれば脾臓を摘出。
そしてもちろん最悪の場合は「死」を免れない病気だった。
しかも原因を特定出来ないと言うのは、逆に言うと治療も困難を極める。
これは今から40年も前の話だから、当時は非常にマズかっただろう。

母が・・・いや父も含めて血相をかいたのは想像に難しくない。
父も母もすでに長男を交通事故で亡くしている。もう二度と子供を亡くすと言う衝撃には
耐えられないであろうからだ。

初めて行った順天堂病院は、キューゴードーとは比較にならないほど大きな病院だった。
今でこそ「小児病棟」と言う言葉を知っている人も多いと思うが、当時は順天堂病院小児病棟と
言えば、子供に対しては日本有数の先端医療だった。

多分、キューゴードーの医師の顔がなかったら、簡単に入院する事も出来なかったのでは
ないか...と思われる。

首都高の屋根…うーん 参った。
                 @日本橋の首都高速いつも惹かれる…でもやはりない方が良いと思う




病院に着くとワサワサとした雰囲気の中で、入院の手続きがなされた。
5歳児の僕が何故そこまで覚えているかというと、なんと待合室みたいな所で
2歳になったばかりの妹の世話をするように言われて...ひたすらそこで妹をあやしていた記憶が
鮮明にあるのだ。

これは大人になってから母に確認を取ったので、間違いないのだ。

その時に母が
「いやあの時は本当に命がかかっていたから必死だったのと、貴方はお兄ちゃんに思えたけど・・・
今5歳くらいの子が幼い妹をあやしているのを見ると、何かあったら・・・と思うと、ちょっと可哀想だったわね」
と言うような事を言っていた。



何故入院手続きを一緒にしなかったのか?

出来なかったのである。

この小児病棟は、とても重篤な状態の子供達が日本中から集まっていて、
ある意味感染防止もあるのだろう、待合室から続く両開きのドアから先は、
12歳未満の子供は家族と言えども一歩も中に入る事が許されていなかったのだ。

                  良く見ると、この家の内部構造が気になる
                             @神奈川県のとある駅の前にある店





彼女はここで沢山の死に直面する事になる。
幼い心にはそれがどう言うことなのか、始めは分からなかったようだが、入院が45日間に及ぶに
従って、昨日まで隣のベッドにいた子が今日は居なくなっていて・・・数時間の後、
新しい子供が入ってくると言う光景を見続けたのだ。きっと何かを感じたであろう事は分かる。


そして病院の性質上、ここに書くのもはばかれる症状の子供達が、
ドンドン入院しては色々な形で去っていくのだ。中に入れなくても状況が分かるのは、
毎日のお見舞いの帰り道、お茶の水から荻窪までの電車の中で、病棟での妹の話を聞くのが
日課になったからだ。

この時の話を母に聞くと、記憶と所々違っていて、覚えていないことも沢山ある。
入院そのものは45日に及んだが、僕が待合室で一日6時間近く2歳の妹と待っていたのは、
記憶の中では45日間毎日だったのだが、実際には一週間ぐらいだったらしい。

その間に父の妹が九州から出てきて、僕らの世話をしていたという。それも全く覚えていない。
この話を書くにあたって聞いてみたのだ・・・
「あのさぁ5歳児に2歳児を預けて何時間も放っておくのって、どうなの? 心配じゃなかったの?」
と。

ところが
「うーんなんか当時はやっぱりお兄ちゃんだと思っていたし、◎◎ちゃん(一番下の妹)もやっぱり
お兄ちゃんといる。。。ってことでペタッと貴方の横にいたしね。今考えると(つまり孫と見比べて)、
本当にちょっと怖いわね」
と苦笑していた。


じゃあ当の僕はどうだったか?っていうと・・・、

実は待合室に幼い子供達が静かに何時間も本を読んだり、小さな声でお歌を歌ったりしながら、
過ごしているのを見て、受付のおばさん達がとても優しくしてくれた事を、リアルに覚えているのだ。


「怖い」とか「寂しい」って思いが、全く残っていないのだ。
そして5歳児なりに
「妹が大変な事になっている。僕は小さい妹を守らないといけない」って思っていた事を、
昨日のことのように思い出せるのだ。


                  どんどん街は変わり 街から体温が逃げていく気がする
                               @地上の流星たち




妹は思いの外すぐに投薬の効果が出た。
実際には4日目には足の痣が消え始めたらしい。しかし投薬されたのが副腎皮質だった為に、
急に投薬を止める事が出来なかった。
その後は徐々に投薬量を減らしていって、自分でホルモンを分泌できるまで、細かなバランスを
みないといけないらしい。
※投薬で十分のホルモンが分泌されていると判断してしまうと、脳はホルモンの分泌を止める
指令を出してしまい、そのままでは死に至る事になるので、投薬の量を計算して予後を見るのだ。


気づいたら、この大きな病院でも僕と二歳の妹はちょっとした有名な兄妹になっていた。

今考えると、確かに5歳児が2歳児と何時間もお留守番して、夕飯時になると地下の食堂まで母が
連れていってオーダーだけして、病室に戻ってしまい(苦笑)、僕は2歳児と食事をするのだ。
食事が終われば、妹を連れて一階の待合室にまた戻る。

なんか想像すると、ちょっと健気で可愛い(笑)。




母は一日置きに近所の肉屋さんで「鳥のもも焼き」を二本買って病院に行くのだ。
それは僕と幼い妹の分だろう?って?? 

今となっては、なんだかどうでも良いような「鳥のもも」だが、当時の子供・・・
(いやもしかしたら我が家だけかも知れないけど)には、「鳥のもも」は大御馳走だった。

誕生日や、何かちょっと特別な日のリクエストで、食べる事が出来るものだった。

きっと病院からの許しも出ていたのだと思うのだが、味も素っ気もない病院食にうんざりしていた事も
あるのだろう。隔日でおやつ代わりに近所のお肉屋さんで売っていたももを二つ買ってから、
病院に行くのだ。

二つ?

そう二つ?






と…言う所で、続きは…明後日になりますぅ~。
明日から大阪に出張です。一泊なので…すいませんが、一日だけ間が空きます。

今から明後日のセミナーな原稿を仕上げますぅ…。・゚・(ノД`)・゚・。トホホ
大変申し訳ないのですが、リコメントもちょっと遅れます。ごめんなさい。

キオク ノ キロク シネマ ト フィルム (前編)


過去を振り返ると、『ある一時期の記憶の断片』は鮮明に覚えているくせに、
全体像としてはボケてしまっている事がある。

多くの場合、記憶は時間と共に色褪せていくか、とてつもなく美化されて行くかのどちらかで、
ただそのまま何の脚色もされずにフィルムのように「淡々と記録されている」ようなものが
少ないのは、僕だけだろうか。

そんな中、ただ記録フィルムのように記憶の一片に残るシーンがある。

それは小児病棟だ。

そう連日、お茶の水にある「順天堂病院」の小児病棟に通っていたのは、
まだ幼稚園の時だったと後から聞いて、ちょっとビックリした。

          夜の街は時々よそよそしくなる
                               @夜の青山五丁目交差点





僕と妹は、出来上がった夕飯をダイニングに運んでいた。
考えてみると「おっ」と思うのは、当時僕が5歳で妹は4歳だったから、
「お手伝い」としては今、8歳の我が娘レベルとそう変わらないと思うからだ。

どう言う訳か、母は「大皿に盛る」と言うことをあまり好まない人で、父と母、そして僕と妹
それぞれに配膳をし、きちんと全てが整った状態でないと、食事を始めないのが、
我が家のルールだった。

尤も晩酌を常としていた父は、一足早く食事を始めるのだけど、子供たちは料理を
自分の席まで運ぶのが習わしだった。


ある夏の夜、それは突然襲いかかった。

あらかた料理を運び終わっていたが、妹の分だけが遅々として運び終わらないで、
母親から「早くしなさい」と言うような注意をされたのだと思う。

僕はとにかくお腹が減っていて、いつものように兄妹喧嘩をフッカケるように「早くしろよ」と
言うような事を言ったことを覚えている。
もちろんこれから起こる事など予期もしないでの言葉なのだが、この後何年も、
いや今でも思い出すと後悔が浮かぶのだが...。

妹は「足が痛い」と言ったのだ。
母も深く考えずに「きっとお手伝いを嫌がっているのだろう」ぐらいに思ったらしい。
「足が痛くても自分のご飯は自分で運びなさい」と言うような事を言い、
特に気にも留めなかったのだ。

僕は一旦着いた席を立ち、妹の後ろに回って両肩に手を乗せ「よいしょ よいしょ」と言いながら
後ろから押したことも覚えている。

何でこんな事まで覚えているのかと言うと、この後 妹が
「痛い」と言って泣き出したからだ。


さすがに母も心配になったらしく、妹の所に行き彼女が痛いという足をじっくりと見た。
すると膝とふくらはぎに小さな痣があって、どうも今日の幼稚園の時に打ったのじゃないか?
と言う結論に達した。

「今日幼稚園で何かがここに当たった?」と言うような事を問いただしていたが、
どうも要領を得ずに(4歳児なんだから当たり前かも知れないが)、結局そのまま食事を母が運んで、
極端に歩幅の小さくなった妹も どうにかこうにか席に着いて食事は始まった。

      順番待ち
                               @恵比寿ガーデンプレイスにて





翌朝、妹は朝から泣いていた。
昨日と同じように足が痛いというのだ。母は昨日確認した痣辺りを再度確認して、
「うーん」っと唸ってから、今日は幼稚園を休んで病院に行くわと言った。

果たして意地っ張りという言葉が、4歳児でも当てはまるのか分からないけど、
普段、熱があっても幼稚園に行く!と聞かない気の強い妹が、足の痛みを訴えてベッドから
起き上がれないのだから、変だ・・・と思ったのだろう。

父は「筋肉痛かな」と言うような暢気【ノンキ】なことを言っていたが、母はおかしい事に気づいていた。

僕はその日幼稚園を休んで、母と妹とキューゴードーと言う地元の医院まで自転車で向かった。
※一般に幼児は筋肉痛にはならない。遅筋がまだちゃんと発育していないから。



母はこの町医のキューゴードーをとても信用していた。普段から子供達も含めて、家族に何かあると、
キューゴードーに行くのだ。
近くに他にも医院はあったが、母は「滅多な事で薬を出さない」「簡単に注射をしない」って事と、
文学者のような医師の穏やかで物静かな雰囲気を買っていたのだと思う。

善福寺公園からほど近いその医院の敷地に自転車を停めて、妹をおぶると静かに受付をして、
そのまま待合室で妹と僕をソファに座らせ、備え付けの本を読み始めた。

しかし読み初めてすぐに呼ばれたので、結局おさるのジョージはイタズラをする前に、
先生の前に座らせられる事になる。

いつもと変わらない静かな物腰で、妹の足を見ていた先生は少々お待ちください・・・と言うような事を
言って、受付に備え付けられている電話でどこかに電話しているようだった。

5分も待っただろうか?この辺の記憶はとてもいい加減だ。

          錆の質感
                               @南青山の六本木通りにて




先生は戻るとこう言った。

「まだハッキリしたことは申し上げられませんが、◎◎チャンの病名は
”あれるぎーせいしはんびょう”だと思われます。紹介状を書きますから、出来るだけ早く
お茶の水の順天堂大学付属病院の小児病棟に行って下さい。
まだ症例が沢山ある病気ではないのですが、一時を争いますから」

と言うことだった。


その話は当時の僕には難し過ぎて全く分からなかったが、とにかく妹の体に大変なことが起きて
いて、大きな病院に行かなければならないと言うことだけは分かった。

母は決して取り乱してはいなかったが、とても厳しい顔をしていて家に帰る迄の間、
何度も何度も「大丈夫だからね」と妹に言い続けていた事を覚えている。

母は家に着くと父に電話をして何やら真剣な話をして、僕と妹に出掛ける用意をするように言った。

でもハッと気づいたように妹を手早く着替えさせ、僕に
「あなたはお兄ちゃんなんだからさっさと自分でやって」
と言うような事を言ったのを覚えている。

実はこの時、我が家にはもう一人2歳の妹がいたなのだが、記憶の中ではどうしても
彼女が出てこない。母が2歳児をおいて病院に行くことは考えられないし、きっと一緒にいたのだと
思うのだけど。

足が痛いと言っている妹は、早くにお姉ちゃんになっていたので、自分で着替える!といつもなら
言っていただろうけど、この時は本当にだるかったのだろう・・・ただ黙って母に着替えさせられていた
記憶がある。

その後、再び母は妹をおぶってバス停に向かった。二歳の妹はどうしていたのか・・・
やはり記憶がない。






と言う所で話は次回に続きます。
皆様 あきらめずに最後までお読み下さい。大阪の制作会社のO部長も宜しくお願いします。
m(_ _)mペコリ

今は知らない…2 (完結編)

「珈琲の店オアシス」は朝8:00~夜11:00まで開いていて、60歳過ぎの仕事をしないマスターと、
イッツぁんと呼ばれる無口な二十歳台半ばの青年で切り盛りしている、さして流行っていない・・・
喫茶店だ。

深川にあって時々町全体が「潮の香り」に包まれる事のある古い小さな店だ。

 たとえばマスターが、たとえばイッツぁんが、もう少し商売熱心だったり、話好きだったりしたら、
状況は変わったかも知れない。でも実際はそのどちらでもなかった。

だから昼時のほんのわずかな時間を除いては、客が入っている事は希だった。
でも19歳になろうとしている浪人生の僕達には都合が良くて、食事をしながら、コーヒーを
飲みながら、堂々とタバコが吸える場所だったからだ。

寮生達にさえも流行る事がなかったのは、偏に【ヒトエ・に】前歯が一本ないマスターと無口な
イッツぁんが、あまりにもサービス業に向いていないキャラだったから・・・としか言いようがない。


マスターは出入り口から一番遠いカウンターの席に座って、釣り竿を磨いている。
そうでない時はウーロン茶みたいな色の老眼鏡を鼻に引っかけて スポーツ新聞を読んでいる
のかそのどっちらかだった。


朝も昼も夜も、そして火曜日を除く全ての時間を過ごしていた。もしかしたら火曜日だけが
釣りの日で、それ以外は”釣り竿を磨く日”と自分に課しているようにさえ見えた。

彼が結婚しているのか、そうでないかは全く分からなかった。僕らは三日と空けずに通ったけども、
その中の一日でもしかしたら家族との語らいがあったかも知れない。釣りにも行っていたのかも...
知れない。

尤も、それは全くの僕の想像だけれども。


もう一つだけ覚えているのは、マスターはヘビースモーカーだった。
人の健康にとやかく言える立場ではないけど、体に割悪いだろうな・・・って思うほど、
いつも吸っていた。

おしぼりとお水を持ってオーダーに来る時以外は、いつもタバコをくわえていて、タバコの先から
立ち上る煙が目に入らないように左右どちらかに頭を傾けて、釣り竿を磨いている・・・そんな感じ。

その姿は独特で、いつも前歯の抜けた所にタバコを挟んでいたのだ。

そうだ、そう。この話を書き始めた時に何でそれを先に思い出さなかったのだろう?
いつも抜けた歯の部分に、挟んだタバコは落ちることはなく、灰皿に擦りつけられるまで、
抜けた歯の代わりにそこにあって、なんとユーモラスなんだろうと思ったのだが、気付くとそれも
「珈琲の店オアシス」の日常の風景に溶け込んでしまっていた。

                 重ねてたたんだ時の美しさをデザインする




イッツぁんのあだ名が「イッちゃん」なのか「イッツぁん」なのかはマスターの歯が抜けた事が
曖昧にさせていたけど、彼の名前が本当は「寿一」だと言う事は、後々分かる事になる。

そしてイッツぁんは「寿一」という名前を嫌がっていて、みんなには「純一」と名乗っていると
言われていた。

でも正直言うと事の真偽は全く分からない。
何しろ「みんなには...」というほど、彼が自ら名乗っているような雰囲気がないから。
相手が誰であれ 彼が話している事をみたことがないのだ。

これは僕だけじゃなくt、少なくとも僕の知っている範囲で彼の話し声を聞いた者は皆無だった。
一時は彼は喋ることが出来なのではないか と言う噂が寮生に流れたほどなのだから。

でもそれも寮生によって覆される事になる。

当時は携帯電話などこの世に無かった。
いやもしかしたら在ったのかも知れないが、少なくとも僕は見た事が無かったし、
多くの日本人には想像すらつかなかった…時代なのだ。

その代わり至る所に公衆電話があった。
一時期の赤い古いタイプとは違って、グリーンのタイプに変わり始めていたような
気がするのだけど、この辺の記憶は怪しい。
ただオアシスの公衆電話は…赤でもグリーンでも無かった。


ピンクなのだ。

最近ではすっかり無くなってしまったから、電電公社時代の純正の色としては、
ピンクって嘘のように思うかも知れないけど、正真正銘デフォルトの状態でピンクの
公衆電話が在ったのだ。

きっと何らかの意味(例えばレンタルとか買い取りとか)があっての色合いだと思うのだけど、
当時はよく店舗に置かれていた公衆電話のタイプだった。



残念ながら僕はその時にオアシスにはいなかったのだけど、隣の部屋のナラ君とウツノミヤ君が
お昼を食べに行った時、店に入った瞬間 一言二言何かを言って ピンク電話に受話器を置く
瞬間を見たと言うのだ。

残念ながら店のドアに意味なく取り付けられた大きな鈴の音で、イッツぁんの声は
聞こえなかったらしいが、明らかになにやら電話の向こうにいる相手に伝えていた・・・と
ウツノミヤ君は得意気に言ったのだった。



でもその日以来、イッツぁんに関しての情報が色々と飛び交うようになった。
事の真偽は・・・かなり怪しい。

イッツぁんは「イッちゃん」らしい・・・
本名は寿一と言うが、本人がその名前を嫌い「順一」と言っているらしい・・・
名字は誰にも言ったことがないらしい・・・
東大を出ているが学生運動で人を殺めたことがあるらしい・・・
警察から追われている(だから名前を変えている)らしい・・・
19歳の時に子供ができて、この春から小学生らしい・・・
実家が大金持ちらしい・・・

僕が覚えてるだけでもこれだけあるのだから、それ以外にも相当あったに違いない。

                  物語には関係ないけど…この質感凄く解像感があると思いませんか?





一年が過ぎるとこの寮生活は終わる。予備校の寮だから当然と言えば当然のだけど。
寮を出る時の立場が、浪人生なのか、それとも数週間後には大学生になっているのかは
それぞれだけど。

大方の進路はもう既に決まっていた。
だから僕らは退寮期限の3月20日までに引っ越しの手はずを整えてさえいれば、約3週間近い
モラトリアムな時間を享受できた。

その日オアシスで、ナラ君と数名で「今までの一年間」と「これからの数年間」を話しをしていた。

相変わらず一年間も通ったけど、一言も話をしたことがないイッツぁんが珍しくオーダーを取りに来て、
三つしかないフードメニューから思い思いの注文をして・・・静かに時間は過ぎて行った。

ふと誰かが「歯抜けがいない」と言った。

猛烈な違和感があったのは、マスターがいなかったからだ。
僕が記憶している限り、「歯抜け」がいないことなど一日もなかったのだ。
もちろんそれはイッツぁんにしても同じ事ではあるのだけど。


しかしそれを深く追求しようとする事もなく、歯抜けのいないオアシスは、
イッツぁんがきちんと回しているように見えた。この店はそれ以外のバイトなどが
いなかったのだから仕方がない。



寮生活が残り10日を切った頃、ウツノミヤ君の情報で歯抜けは病院に入っているらしい
という噂を聞いてきた。並びにある誉寿司【ホマレ・寿司】の人からの話だという。

そしてその話がみんなに伝わったその翌日には、店に女の子のアルバイトが入っていた。
どうやら「歯抜け」は戻って来るのに時間が掛かるようだった。

退寮日まであと3日を残した寮は、もう十数人しか寮生がいなかった。
多くの者が、それぞれの新しい生活の場へ巣立っていったからだ。かく言う僕も、
生活の基盤のほとんどを実家に戻していた。

ついに僕は「歯抜け」のマスターの姿を二度と見る事のないまま、深川の町を後にした。

                  拳を合わせてみよう





1987年の夏。

ボクは久しぶりにこの町にやってきた。
僕は大学生になれないまま、デザイナーを目指して勉強するようになっていて…
軸足をどこに置いて良いのか分からない生活から、事態は一変していた。

今思えば、きっと色々な事に やっと落ち着いて対処できるようになっていて、
数年前のとても不安定で心が揺れていた時期のあの生活をちょっと懐かしく思ったのだと思う。

ボクは駅裏の駐車場に車を入れて、まずオアシスに行った。
そこにはあの時と全く変わらないお店があって、ボクは一瞬あの時の「何か息苦しいような感覚」を
リアルな感覚を思い出していた。


店に入ると、歯抜けのマスターはいない代わりに、イッツぁんがマスターが座っていた席に座って、
カウンターの中には長い髪を後ろに結んだ青年が入っていた。

席に着くとイッツぁんが紙製のウエットナプキンと、お水を持ってきた。その時はじめて声を聞いた。

「いらっしゃいませ。久しぶりですね。何にしますか?」






覚えていたんだ。

ボクは本当にびっくりしたのだけど、アイスコーヒーを頼んでこの事を寮友に伝えたい心から思った。

そして、アイスコーヒーを持って来ると…
「この店来月で無くなるんですよ。拡張工事の影響なんですけど…この並びが全部一気に
無くなっちゃうですよ」と。

あまりにも雄弁な事に驚き、そしてこのこの辺一帯が無くなることにも驚いた。

そして僕は84年から気になっていた「歯抜けのマスター」の事を聞いた。
するとイッツぁんは少し微笑んだ後、真面目な顔をして教えてくれた。

1984年のあの時、やはり病気で倒れたと言う事だった。その後一時的に回復したけど、
やはり昨年の春に亡くなったと言う。
家族も親族もいなかったマスターは、当時大学7年生だったイッツぁんに全てを譲って
亡くなったそうだ。



2009年の春。
ボクは仕事で偶然深川にあるテキスタイルメーカーと仕事をする事になった。
このブログによく登場するライセンス先の課長さんと、運河沿いに咲き誇る桜を見ながら
「以前、この町に住んでいた事があるのですよ」と説明をして ゆっくりゆっくり運河沿いの
遊歩道を歩いた。

拡張され綺麗に整備された清澄通りは、きっと清潔で誰もが安心して歩ける街になったのだろう。

でもボクは瞬きをして、ふっと眼を上げたら咲き誇る桜の花の向こうに、
ガタガタと窪みだらけの舗装道があって、目の前を車が横切たその瞬間 
向こう側にはオアシスがあったりするのじゃないか…って思ったりしたのだ。
もちろんそんな事はないのだけど。

そしてボクはひたすら2009年のこの町と桜の写真を撮ったのだった。

                   あの時と同じように…

今は知らない…1 (今日はまだ短いよ(^v^)ニコ)

 18歳の時、1年間だけ東京都江東区に住んだ事がある。
門前仲町と言う所で、東京在住者にとっては「下町」の認識がある場所だ。
本来は今の皇居、つまり江戸城の周りに配置された職人町を基準に「下町」を定義していったのだろうから
正確に「下町」と言って良いのかどうかは…ちょっと分からない。


当時、浪人生だったボクの住まいは、通っている予備校が管理している寮に入っていた。
その寮では400人もの浪人生が生活していたが、本来は地方から通う人の為に作られた
寮だったので、ボクのように実家が東京にある者は、一人もいなかった。

ここでの生活は、これから幾つもの話が書けるほど僕にとっては刺激的な毎日だった。
本来の目的は「希望校への合格」を目指しているのだが、ボクは結局大学には行けず専門学校に
通う事になるのだから入寮した役割としては大失敗だが、僕にとっては人生の中でも重要な位置づけに
後々なって来る。


寮の食事は最悪で、入居者の数からきちんと栄養士を置かないといけない事から、カロリーの計算が
されていたとは思うのだが、必要なカロリーを稼ぐ為に「海苔」まで揚げ物になって出てくることがあった
のだから、今考えてもゾッとする「餌」状態の食環境だったのだ。
※ちなみに寮費とか学費は目玉が出るほど高かったので、単に暴利を貪っていたのだと思う。

そんな食事に耐えきれず、ほとんど寮では食をせずに外食が多かったのも当然の帰結だ。


清澄通り沿いに「オアシス」と言う喫茶店があって、その看板には「珈琲の店 オアシス」と言う古めかしい
字体で書かれていた。

朝は8時から夜は11時まで開いている事から、何人かの予備校生が入り浸るようになるのには、
そう時間が掛らなかった。

当時、もう既に見る事がなくなっていたインベーダーゲームがあって(と言っても稼働するのは6台中
2台しか無かったが)、食事をしながらパチパチと言う音が聞こえていたのを今でも覚えている。



そこのマスターと言うか店主は60歳過ぎで、ほとんど一日中釣竿を手にして磨いたり、ルアーを
投げる真似したりして、過ごしているそんな人だった。
オーダーを取りに来て、おしぼりとお水を置くのはこのマスターの仕事だった。

実際にコーヒーを入れるのは、「イッツぁん」と呼ばれる25歳ぐらいの青年だった。

もしかしたら「イッちゃん」と呼んでいるのかも知れないが、前歯が一本ないマスターはいつも
「イッツぁん」と呼んでいて、僕らも蔭で「イッツぁん」と呼んでいた。


                  麻布十番の生活感 フカフカのお布団
                                            麻布十番にて…





門前仲町一帯は「深川」と呼ばれていて運河の町でもあった。東京湾につながる幾つもの運河が
張り巡らされているのは、江戸時代の名残だ。
実際に僕の寮も文字通り「運河の脇」に建っていて、門限を過ぎてからの行動は入寮も出寮も
この運河の脇に出られる非常口からの出入りになった。
寮監から見つからないように、門限外に出入りをするにはそれしかなかったのだ。


この一帯は時折「潮の香り」がした。きっと風向きとか、潮の満ち引きで干上がった所に
強い日差しが当たると発する強烈な「磯の香り」など…さまざまな理由があったと思うのだが、
時々冬の寒い朝、無風の状態でも磯の香りを感じる事があったから、詳しくは分からない。

仕事をしないマスターとただ黙っている「イッツぁん」が居る店は、コーヒーとナポリタンとサンドウィッチしか
無かったが、コーヒーだけは30種類ぐらいの種類があって、いくつかを除いては420円だったから…今考えると充分高い喫茶店だったのだと思う。



あー今日は終わらせようとしたのだけど…無理でした。次回完結しますので…宜しくお願い致します。
※因みに…先日から書いている「長い話」はこれではないですぅ(;^_^Aエヘヘ



涼しい時間

 まずはご安心ください。まだ長い記事は出来上がっていないので(苦笑)、今日も軽めに…。

 先日の「ザ・プーチン」がちょっと重い話だったので、今度は気の抜けた優しい本が読みたいと
本屋さんに行きました。「本が好き」と公言しているボクですが、tarutaruさんのブログにマルクスの
「資本論」とか、プルーストの「失われた時を求めて」なんて著書が出てくるので…マズイと(^_^;ゞエヘッ

すいません…全く読んだことがありません(;^_^Aエヘヘ


 で、「失われた時を求めて」…を横目で見ながら(苦笑)、今回はエッセイを読みたいなと。

実は、「次回エッセイを読むなら…」と狙っていた作者がいるのです。



それは「博士の愛した数式」の著者「小川洋子」氏のエッセイでした。
小説は沢山の作品があるのですが、小川洋子さんのエッセイをまとまった形で読んだ事が
なかったのです。でも彼女のエッセイが極上であることは知っていました。

と言うのも、仕事で「ドマーニ」と言う女性ファッション誌を見るのですが、その雑誌に三年ぐらい、
エッセイを連載していたのです(今はもう終わってしまったのですが…)。

初めは仕事に関係のない「読物の部分」だったので、全く気にしないで飛ばして「服の写真」ばかりを
見ていたのですが、何かの拍子に読む機会があって…。
読んでみると、実に素晴らしいエッセイである事が分かりました。
幸いにして会社には過去二年分のバックナンバーがあるので、時間のある時に過去のナンバーを
引き出して読み尽したのです。

本当はこの時の連載エッセイが一冊にまとまっていたら、それが良かったのですが…残念ながら
本になっていないようなので…買ったのは、
犬のしっぽを撫でながら (集英社文庫)犬のしっぽを撫でながら (集英社文庫)
(2009/01/20)
小川 洋子

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↑これです。

ドマーニに連載されていたものとは、ちょっと違いますが…著者のナチュラルな語り口が、
やはりボクは好きで、沢山の短編が収まっているのです。
その短編をゆっくりゆったり大切に読みました。

この「犬のしっぽ…」はドマーニそれとは全く違うのですが、きっと日常を切り取るエッセイを
書くと言うのはこういう事なんだなぁ~と思いました。
暑苦しくなく、堅苦しくない、でも芯のある…極上のエッセイとはこういうモノなのだと。
とても涼しい時間が流れているようなそんなエッセイです。

                  時間を止めて
                                  ノスタルジックカフェ 新橋にて…





そしてもう一つ…実は同じドマーニの中にもう一つ連載されているエッセイがあるのです。

元TBSのアナウンサーの雨宮塔子さんが、現在も連載している「「酸いも甘いもパリ風味」。
このエッセイも同じような雰囲気があって、質の良いエッセイだと思います。

小川洋子さんの連載が終わってしまった今、このエッセイがある事で救われます。
なかなかエッセイって難しいと思うのですが、実に軽快なリアルな空気感を文章に出来る
エッセイストなのだなぁと思います。

このエッセイにも涼しい時間が流れます。
まだ単行本にはなっていませんが…バックナンバー分が
金曜日のパリ (小学館文庫)金曜日のパリ (小学館文庫)
(2007/02)
雨宮 塔子

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↑となって、出ています。いずれ読んでみたいと思います。



余談になりますが、向うは覚えていないと思いますが…雨宮さんは僕の結婚式の司会をして貰いました。
あっ! だからこのエッセイを薦めているのではないですよ。
本当に単なるタレント本…だと思って中を読むと、良い意味で予想が外れます。
ほっこりとした涼しい時間が流れるのです。

是非皆様、小川洋子さん、雨宮塔子さんのエッセイ、一度お読み下さいませm(_ _)mペコリ





すいません…リコメントが遅れます。