考えちゃうよね 本当に…

次の記事がちょっと長くなりそうなので...(苦笑ー多分前後編)今日はあっさり(^v^)ニコ

昨日の天気予報では、この一週間東京はずっと雨マークだったのですが、
今日は雨は降ったものの途中で晴れ間がでて、火曜日にしてもう既に外れてしまいました。
昨年、何年かぶりに新しく導入されたスーパーコンピュータも自然の前には形無しですね。

あのぉ、ここは日本ですし、政治的のネタはタブーなのかも知れませんけど、今日は触れます。

今の日本の政治の状況って本当に末期って感じがしませんか? 
いや、自民党でも民主党でも皆さんが支持するのがどちらでも良いのですが、
世界が未曾有の危機と言っている時に、なんだかもう「自分の立場」だけを考えてひたすら
頓走(奔走じゃなく)しているのを見て、情けなくなって。

5月の有効求人倍率って過去最悪の状態で、派遣社員だけじゃなく、
正規社員の削減が三割にもなると言われていて、中高年の自殺者は年間に三万人にもなって...
生活保護申請者も過去最高の数に上っている。
社会保障も安全保障も国の根幹をなすべき諸問題も崩壊しているように見えるのに、
改革派を気取っていた誰とかの息子が、結局世襲するだのしないだの。

そりゃそういうことの積み重ねが大切なんだろうけど、なんか もっと高所から日本の未来を
俯瞰するような政治家って出てこないのですかね。
天下国家を語るような人が出てきませんかね?

                  ノスタルジックカフェにて…



結局、政治家の質が低いって事は、それを選んだ国民の質が低いって事でもあるので、
自分の意見が「天に唾する」って事になるのが…情けないし悲しい。

それにしても、こんな状況で一体 日本の政治は今何をしているのでしょう。
自民党とか民主党とかそういう判断は各人でなさると思いますので、どうこう言いませんけど。

でもなんだかちょっと情けないな...と。

これだけ教育の充実した、または教育の行き渡った国家なのに、それでも投票は地元の世襲に
投票するのですかね。良く解りませんけど、なんだか本当に民度も低いなっと。

きっとフランスなら高校生でも口にする「政治」のあり方を、日本は何故か黙して語らず...
なんで今日は敢えて政治ネタにしました。

党内人事...茶番だな。

それにしてもぶら下がりの記者に「やらねぇ~と言ってんだろ!」と言った勘違い政治家。
選挙前は土下座せんばかりのお願い行脚なのに、当選しちゃうと どうしてあーも偉そうな態度
なれるのか不思議でならない。

それでも地元じゃ投票する人が沢山いるのだろうな。。。僕には良く解らない。

想い出は積み重なるのか通り過ぎ行くのか...

やけに深遠なタイトルのブログになってしまいましたが、実はそんなに深い話ではないです(^▽^;)アセ




先日テレビを見ていまして、島田紳助さんが
「男はバカだからいつまでも過去(の女性)を引き擦って生きて行くけど、
女性はそんなことはお構いなしに「さようなら」って別れて振り向いた瞬間に、もう忘れている」
って言っていたんですね。

幸いこのブログのコメントには女性も男性もいらっしゃるので真偽はどうなのだろうと。

                  なちゅらるものくろ





自分の人生を振り返って、いくつかの象徴的なシーンと言うのは確かにある訳です。
そこには過去の恋愛のワンシーンもあります。

何もそれは恋愛や女性が出てくる思い出だけではなくて、今ではすっかり偉くなってしまった
親友との「もう時効だよね」って、初めに断らないといけないシーンもある訳です(苦笑)


先日ブロガーのtomatoさんがyoutubeの動画をブログ内にリンクを貼っていて、
そこでスターダストレビューと言うバンドの「木蓮の涙」って歌を紹介していたんです。

僕、実は声が高いのでカラオケなんかでも女性ヴォーカルの歌を唄う方が圧倒的に多いのですね。

後数日で44歳なるまごうなきオジサンですから、カラオケで初めの何曲かはかろうじて
最近の歌も歌えるのですが、もう3曲を過ぎようとすると・・・いきなり「ナツメロ」状態の訳ですヾ(*°▽°)ノアハハ

最近の歌を唄おうとすると、画面に流れる歌詞を目で追いながら合わせて行く有様で...。
要は何度唄っても歌詞が頭に入らない。
そのくせ10代、20代に覚えた歌は、もう覚えてから二十年経っているのに、何年か振りに聞いても
メロディーに合わせて、自然と歌詞が口から出てくるから不思議です。
※尤も所々一番と二番の歌詞がごっちゃになっていたりする所もあるのだけど(苦笑)

                  おやじ やってる?





僕の父は・・・いや僕らが子供の時の「父親」って、基本は「NHK」以外の番組は見ない・・・
そんな感じじゃなかったですか? 僕の父も例外じゃなくて、ニュースに始まって、「大相撲」
「大河ドラマ」「クイズ」と...まるで「受信料の元を取る!!」って宣言しているようにNHKばかり
観ていました。

まだ今のようにテレビが「一人一台」の時代じゃなく、我が家では居間にドーンと鎮座していて、
父の在宅時はチャンネル選択権は常に父に在り、有無を言わさず「父が選んだ番組」を
家族で見ていました。

ニュースはNHK以外を見ても結局も分からないし、大河ドラマはそれなりに楽しめたし、
朝は何がテレビから流れていても気にならなかったし...。

そもそもテレビってそう言うものだと思っていたので、生活上で何か問題があった訳ではなく・・・
NHK比率が以上に高い我が家でした。

でも・・・

一つだけ

どうしてもイヤだったのが・・・






ナツメロ番組でした。


歌謡番組を見ている途中に父が帰宅したりすると、露骨に「うるさいな」と小さな声を出して、
チャンネルをニュースに変えてしまう父が、一年に一度ぐらいたまたまNHKで「ナツメロ歌謡ショー」的な
番組をすると、一緒に唄うわけでもなく 黙ってじっと見ているのです。

こっちにしてみれば、おじいさんおばあさんが出てきて、古臭い歌を唄い続けるのを見ている訳で、
唯一「見ていても文句を言われない」ナイターなんかに変えようとすると「あー!」という「こら!変えるな!」的な
唸り声を上げる・・・すると僕は仕方なく すごすごと退散する訳です。

まあ まだ家庭用のビデオデッキもない時代に、オンエアのリアルタイムで見ないと、
またそういう番組が在るまでは見ることが出来なかったのですから、きっと無表情ではあったけど、
楽しんでみていたのだろうなぁ~とは思うのですけど。

今なら見たくなった時に有りとあらゆる手段で、動画をみれるのですけどね。

                  さあくうぞ どんとこい





スターダスト・レビューの「夢伝説」というアルバムを、なぜか僕はミュージックテープで持っていました。
もしかしたら外出中に街中の有線などで耳にして、思わずその場でレコードッショップに入り
買い求めたのかも知れない。

CDなんか無い時代ですから、街中で音楽を聴こうとすると、あらかじめレコードからカセットに録音して、
ウォークマンで聞くか、ミュージックテープを買うしか方法がなかったのです。

きっと今なら配信サイトからダウンロードして一瞬にして曲を収得できるのだろうな。

「夢伝説」はヴォーカルの根本要さんの声が高くて、ハイトーンの僕には珍しく原曲キーで歌える
「男性ヴォーカル」の歌でもありました。
その手の歌は当時かなり少なくて、当時の僕の習慣になっていた「歌える曲があったらすぐに入手」と
言う状態だったので(苦笑)、この曲を知ったらかなり早い段階で入手して持ち歩いていただろうと
想像するのです。

実はこの曲を聴くと、脳裏には自動車教習所が浮かぶのです。
川沿いにあった教習所で僕は車の運転を習っていて、教習と教習の空き時間に、脇に流れる川の土手で、
この曲をウォークマンで聴きながら、時間を潰していたのです。
そのシーンが甦ってくるのです。

特に何があった訳でもないし、他の場所でも聞いていたのに、春の夕暮れの土手でイヤホンを耳に
突っ込み、鼻歌交じりにウォークマンを聴いていた自分を思い出すのです。

車の免許を取って、かなり早い時期から「足」のように車を使うようになっても、
車のオーディオと言ったら、ラジオかカセットしかない時代ですから、このミュージックテープが伸びるほど
聴かれて・・・。
気づくと時は流れて・・・スターダスト・レビューのアルバムをレコードではなくCDで聴くようになっていた。


次にスターダスト・レビューの曲でシーンを伴うのは「stay my bleu」。
この歌の歌詞をそのまま、かつての好きだった人といた時間に重ねる事が出来るのです。

歌の歌詞通りに寸分違わずシーンが重なることが出来て、グッと来るのですね。
きっと記憶が美化しているだろうから、実際に遠くで当時の僕を見たら笑っちゃうほどヘロヘロ
なんだろうけど。

少なくとも、僕の記憶と言うのは、僕に優しいんだな。
きっと皆さんの記憶は、皆さんに優しいのと同じように。

                  誘・惑・幻・燈





もしかしたら・・・あの日、無口でNHKばかり見ていた父も、ナツメロを聴きながら彼の若かりし頃に
思いを馳せていたのかも知れないと思うと、それはそれでちょっと良いものだなぁ~と思うのです。

どんな青春時代を過ごしたのか、彼が声高に話す事はないけれど、決して裕福ではなかった
父の若い時代に、そっと思いをシンクロさせているなら、それはとてもロマンティックな事だと思うから。


僕がスタレビの「stay my blue」を聞きながら思い浮かべるシーンで出てくるかつて好きだった人は、
とても良い笑顔をしている。
それは決して未練とかそう言うことではなくて、かつて好きだった人はやはり人生の中で出会った
中でも相当「素敵な人」の訳で...。悪く思ったりは。。。やはり出来ないのだなぁ。

じゃもう一度人生のある時点に戻ってやり直せる...ってなったら、どうするか?って聞かれたら。

やっぱり、やり直しはしない。
今のままでナチョがいて、家内がいて、同じ道を選ぶな。
歌で甦るシーンと今の自分の幸せは、比べたりは出来ないものなのだなぁ~と。
その思い出が今に取って代わったりは出来ないと。振り返るとやはり僕の場合は・・・
想いでは積み重なって行っているのだと思うのでした・・・。

                  よるさんぽ





でも...まあ...

当時の彼女に聞いたら、「イヤあいつは最低だった」って言うかも知れないので(苦笑)、紳助さんのいう
「男はバカだからいつまでも過去(の女性)を引き擦って生きて行くけど、女性はそんなことはお構いなしに「さようなら」って分かれて振り向いた瞬間に、もう忘れている」
って言うのは正しいのかも知れないけどね(苦笑)



すいません…リコメントが遅れています…お許しをm(_ _)mペコリ

違うのに…

今日も暑い…今(13:04)パソコンのディズプレイに表れているガジェットでは、外気温30℃を
表示していて…ちょっとうんざりする初夏の東京です。

いや昨日のブログで書いたのですが、昨夜会社から娘を迎えに行き、買い物もあってそのまま
六本木ヒルズに行きました。食事の材料を買いに行ったこともあるのですが、この土日にゆっくり
ビデオでも観ようと思ったのです。

もちろん新作も観たいのですが、新作コーナーに立ち寄りながら「無いな…これって気分じゃないな」と
言いながら、プラプラ店内を見て歩いていると、当初借りたかったはずのモノを上手く思い出せなくて…
結局、その時のニュアンスで選ぶのです。

で、今回は以前「お勧め」した本、藤原伊織氏の「シリウスの道」がテレビドラマ化されていて、
それがDVDになっていたのを見つけまして…早速借りたのです。
本当に単なる偶然だったのですが、さんざん悩んで棚から棚へ歩き廻っていたのですが、
このタイトルを見つけた時は「嘘」のようにスパッと借りることに。

理由は特にないのですが…単純に私が原作者の「藤原伊織」氏が大好きなだけなんです。
藤原氏は2007年5月17日(なんと私の結婚記念日)、癌を患い59歳の若さで亡くなりました。
「テロリストのパラソル」で史上初の「江戸川乱歩賞」「直木賞」を同時受賞。
取った作品を読んで、猛烈なファンになって以来、常に新作を楽しみにしていたのに…
若くして亡くなるとは…とても残念です。

実は私は本を読んで泣く…と言う事はあまりないのですが、この「シリウスの道」を読んだ時は
思わず「グっ」と来るシーンがありまして…土下座に纏わる【マツ・わる】シーンで思わず涙がポロっと
したのですが、それが実写化されているシーンもグッときまして(苦笑) 
実写で見ても同じシーンで泣けるなんて、あーもうなんてツボを押さえた設定なんだと、若くして
急逝された藤原氏を改めて尊敬してしまったのでした。
東大仏文を卒業後、電通に勤める広告マンだった経験が作品の骨になっているのですが…
その分リアルで本を読み始めると、すぅーっとナチュラルに物語に入って行けます。
是非皆さんにお読み頂きたいのですが、


が、

出来たら

「テロリストのパラソル」をまず初めにお読みになってからの方が良いと思います。

ちなみに実写であるドラマのキャストは主人公に「内野聖陽」氏がなのですが…これがまた良い。
これも単純にファンってだけなんですけどね(;^_^Aエヘヘ

日差しを探して…





今日は家内がゼミ時代の友人宅で飲み会をすると言うので、会場になる高円寺へ、
ナチョと一緒に車で送って、送り届けた後そのまま吉祥寺に行ってきました。

単純に夕飯を食べに行ったのですが、「焼き肉を食べよう」と言う事になり、ボクが8歳の時に行っていた
焼き肉屋さんがまだあるので、そこに行きました。
6時ちょっと過ぎにお店には着いたのですが…待ち時間が一時間もあると言う事で、
名前だけ「ウエイティング・リスト」に書き込んで、ナチョと二人で「いせや」さんに。

実はあまりにもお腹が空き過ぎたナチョが、気持ち悪くなってしまった(僕も)ので…待ち時間に
何か軽く食べよう…と考えたのですが、「口がしょっぱくなっているから…アイスクリームとか
甘いものは嫌だ」って事で(苦笑)、「じゃあ焼き鳥は?」って二人でいせやさんまで歩いて行きました。

一人二本ずつ、焼き鳥を買って…通り沿いのベンチに座って食べて、焼き肉屋に戻るとすぐに
僕らの番でした(^v^)ニコ

またここに書くと「二人でそんなに食べたのですか?」ってほどの分量を食べて(苦笑)、
店を出てからロンロンに行って本屋を冷やかして…21:00に家に戻りました(^v^)ニコ
なぜか吉祥寺を歩きながら、tomatoさんやnaokoさんに会ったりして…なんて思いながら
ゆっくりゆっくり歩いた久しぶりの吉祥寺でした。




さて昨日読み終わった本がこれです ↓


ザ・プーチン 戦慄の闇ザ・プーチン 戦慄の闇
(2009/01/22)
スティーヴ・レヴィン

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訳者が三人もいる実に力の入った本です。
翻訳特有の読み難さもなく、ドンドンと中に入っていけます。
文章もノンフィクションにありがちな「一方的な思い込み」的な部分が実に少なく、
ちょっと俯瞰で構成しているので、こちらも冷静に読めます。

ただでさえ片仮名の名前を覚えないボクですが、ロシア名って実に音にし難いですよね。
だから読んでいる内に誰が誰だか分からなくなりがちなんですが、訳が上手いせいかしっかり
この本は物語を追って行けます。

しかし…物語は本当に怖いですよ~。これが事実なら、やっぱり本当に怖い。
先日の「チャイルド44」をフィクションとして読んでいた時も怖かったのですが、えっ?マジだったの?
って事がドンドン出てくるので一層怖くなりました。


「シリウスの道」は「テロリストのパラソル」を読んでから
「ザ・プーチン」は「チャイルド44」を読んでから
だったら、一層楽しめるかも知れません。

もちろん二つのシリーズは全然 違うのに…この週末はハマってしまった事でした。

あと10分で日付が変わる…

マイケルさんが亡くなりました。

ボクはマイケルさんのスリラーが流行った頃、悪い事を一杯覚えたので(苦笑)、
マイケルさんの曲がラジオやお店で流されているのを聞くと、ちょっと甘酸っぱいような気持ちに
なります。スゥーと時間が過去に流れるのです。

今日は家内が営業と麻雀に行っていたので、ナチョと二人で家に帰ってきたのですが、
途中で六本木ヒルズのツタヤでDVDを借りに行ったのです。
その間中ずっと店内にマイケルさんの曲が流れていて。


懐かしい気分に浸っていたのですが、夜のツタヤの全面窓ガラスに映ったボクは、しっかり43歳で
その横には自分の子供が一緒に居ました。

心の中の15~16歳の僕と、目の前に映る43歳の僕…一瞬の間に27.8年の年月が流れたような…
そんな不思議でちょっと切ないような気持ちになりました。
決してそれは不快でも何でもなくて…ちょっと優しい気持ちになったのです。

                 これも今日のボクのランチのリアルな一瞬 綺麗な女性が前の席に居ました



今ちょうど…昔の歌を題材にお話を書いています。

本当はマイケル・ジャクソン氏の事も書こうと思っていた矢先、このようなニュースが入ってきて
一部修正しないと…妙にマイケル・ジャクソン氏の事だけが目立ってしまう記事になってしまうので。

きっと誰よりも濃密で特別な人生を送ったのですから、神様がそろそろこっちにいらっしゃい…って
事だったのかも知れません。特にファンって訳でもないのですが…何か昔の曲を聴きながら
センチメンタルな夜になってしまいました。

マイケル・ジャクソンと、今宵天国に召された多くの方のご冥福を心よりお祈り致します。


解説 ボクが思っちゃったこと…

良かったぁ~。

いや昨日の記事で書いた「東京オリンピック招致」の件ですが…(^_^;ゞエヘッ
きっと色々な立場の方いらっしゃるので、断定的に決めつけるのも良くないな…って思いながら、
でもやっぱり「国一丸となるチャンス」って言われても、それが東京である必要もないし、
今である必要も全くない…って思っていたので、少なくともこのブログにいらっしゃる方の多くが、
同じような意見を持っていらしたので、「僕一人が分かっていない訳じゃなかった」って(^v^)ニコ
ホッと致しました。

どなたかのリコメントでも書いたのですが、きっと昭和39年(1964年)のオリンピックは多くの
日本人に希望と勇気を与えた、素晴らしいものだったって事は、全く否定していないのです。
本当にそうだったと思います。

日本と言う国がこの後、劇的な発展をして世界の経済大国となる足掛かりになった事も、
100%認めたいと思うのです。
日本と言う国がキラキラと輝く…そう、人で言うと正に思春期から青春真っ盛りの一番
キラキラした時期だったのではないか…って思うのです。

もしかしたら十分なお金がある訳じゃないかも知れないけど、希望が人々を元気にして
「豊かになる日本」のシンボルとしてもオリンピックは機能したのではないか…って思うのです。

 リアルな今日のお昼ご飯





今の、石原都知事やオリンピック賛成派を見ていると、その「国の青春期」のキラキラした時期と、
自分の青春のキラキラした時期が、ぴったりシンクロしている訳です。

ほら、思い出って…美しいじゃないですか(笑)。

青春時代って「苦い部分」も含めてキラキラしているじゃないですか。
決して自分の青春時代が美しいだけの時期だったとは言いませんが…それでもきっと
苦しかったことも、懐かしく思えると…思うのです(自分が)70歳を超えたら。

その過ぎ去った時期を美化する「歳を取った自分」が、権力者になっていて…このバラバラに
なってしまった(と思っている)今を、もう一度輝かしい時にしたいと思ったら、自分が過去に
経験し成功例として、あの「オリンピックを!」って、異常に期待をするのも分かる気がするのです。

「あのなぁ オリンピックてぇ~のはな、国民は一丸となって そのエネルギーが国を、経済を、
国民を、元気にするんだぞ! 知らねぇ~かも知れないが、 オリンピックって~のはな そういう
モノなんだぞ。 キラキラとした時代になる為に オリンピックはな…」

って…。


きっと全く悪気もなく、そう思っているのではないかなぁ~と 思っちゃったんですぅ。
 

でも、それを分かって上げても、なお且つ、それは違うと思う。

国が戦後復興し、後は弾みをつけて一気に加速して行く段階の国の体を成す”草創期”と、
成熟した社会構造を持つ今とでは、持っている社会の「歪んでいる部分」が違うのだから。

今そこに巨額の資本を投入(投下)するなら、やはり違う形で投下しないと、効果が殆ど出ない
って…僕は思っちゃうのだな。

そんなに…

そんなに忙しい訳でも何でもないのに、なぜかとても疲れてしまって夜になるとフッと睡魔に襲われる。
昨日もなんだかんで12時頃ベッドに入ったのです、本を開いたものの…数行(レトリックじゃなくて
本当に数行)目で追った所でメガネを外し(ここまでの事はなんとなく覚えている)…サイドテーブルの
電気を消して…

朝、家内に
「昨日パパ凄かったねぇ~。電気消して20秒後には寝息を立てていたよ」
とのこと。
確かに電気を消した後の記憶が全くないのだ。
「疲れているんじゃない?」
って聞かれても…思い当たる節が全くないの。うーん一体なんでこんなに眠のか、全く分かりません。


今日の東京は、朝凄い雨で出社した社員が入って来る人入って来る人開口一番
「靴がびしょびしょ…。・゚・(ノД`)・゚・。」と示し合わせた様に言うのは笑っちゃいました。

でも一転午後になると青空が見え始め、今度は高温に…朝の雨のせいで凄い湿度なんです。

社内はエアコンが効いてますから気にならないのですが、玄関口付近に近寄ると…ムワァッとする様な湿気が…。

ちょっとオーバーなんですが、なんか水の中に入ったような…とてつもない湿気なんです。
きっと常温でこれ以上空気中に水分は飽和して入らない…つまり湿度100%状態だったのではないか?
って思います。

                 ランチの風景


あの…2016年のオリンピック開催国が決まるまで、あと100日だそうです。
シカゴ
リオデジャネイロ
マドリード
そして東京
が挙がっているのですが、どこも接戦で…ここが有利!なんて所はまだないようです。

スペイン・マドリードなどは国民の90%が開催に賛成していて、とても高い支持率なんですが…
日本、つまり東京は56%しか支持率がない…つまり国民の声としては、他の4候補地の中で
尤も住民(国民)の支持が低いらしいのです。





あのぉ





ボク




正直





反対なんです…オリンピック招致。
いやもう勘弁して欲しいとさえ思っているのです。ただでさえ移動が大変な首都圏の湾岸区に、なんで好き好んで
ここで開催する必要があるのか…全く分からないのです。東京オリンピックを経験している年代の人ほど
「国民が一体になれる」ってな事を言うのですが…それは他国でやっても同じなんですよね。
日本の選手が頑張っていると、どこの国でやっていようが応援しますものね。

ただでさえ大使館だらけの港区、中央区、界隈でオリンピックをするれば至る所でテロ防止対策で
検問だらけになるし、当然物流にも大きな影響が出るでしょう…間違いなく。

いやこれが他の都市の開催で、それに合わせて都市整備でインフラが一気に整うチャンスって言うなら
まだ分からなくもない(そう言う事が本当に良い事なのか、一概に言えませんけど)。

でも、今の東京でそれをやるメリットが本当に分からないのですぅ。きっとボクが無知のせいで利点を理解
出来ていないのだと思うのです。

あのぉ どなたか分かりやすく…ご享受下さい。


そんなに…メリットがあるのか…オリンピック開催地?!

頭で食らう (後編-終話)

今日の東京は朝こそ曇り空でしたが、正午には雨が降り出し「梅雨の本領発揮」って一日でした。
皆さんのお住まいの地域はいかがだったでしょうか? こんな時期ですから、高湿度と高気温・・・
何かと体調を崩し易いかも知れません。
今年の風邪はズルズルと引き擦りがちですから(すでに経験済み(;^_^Aエヘヘ)、充分お気をつけ下さい。





前回の記事で
「記憶の中にはかなり正確に味覚を覚えている部位がある」
みたいな事を書きました。

でもそれは…寝ている時にはリアルに出てくる割りに、
覚醒している時も同じ様にリアルに再現出来るか?って言われると・・・かなり怪しい。

どうも起きている時は「言葉」で表現しようとしちゃうみたいで、
表現の語彙が少ない僕には、いくら言葉を並べても巧く「美味さ」や
「旨み」を表すことが出来ないのです。




半年ぐらい前だったと思うのですが、会社で同僚とお寿司の話を
していたのです。
お寿司って言っても「回転する方の寿司」なんですが・・・。

今テレビなんかで「ここの回転寿司は凄い!」みたいな番組が
結構あるのですね。
夕方のニュースの特集で『行列が出来ている回転寿司』とか、
『その裏側を探る!』みたいな企画でマグロがリーズナブルな価格で
提供されて、場所によっては「回転寿司戦争」みたいになっている
駅ビルがあったりするらしいのです(ニュースの受け売り(^▽^;)アセ)


で、うちの娘がそれを見ていて「回転寿司を食べたい」って言い出した事がありました。
この下りは以前ブログで書きましたから、今回は割愛しますが、
とにかく回転寿司にはありつけず・・・娘は未だに回転している寿司を
実際に見た事がない訳です。

でも仕方ないのです。親である僕が回転しているお寿司体験が無いに
等しいのですから。
※実はブロガーさんのpasionariaさんに『ヒルズの回転寿司は良いぞ!』
とアドバイスを貰っているので、今度行ってみようとは思っているのですが…
(* ̄▽ ̄*)イヒヒ

扇屋さん




じゃあ、回転していない方の寿司はどうか?って言うと、
それも上の話で繋がりで記事にしていますから割愛しますけど、
「美味しいモノをちゃんと頂く」って経験は無いに等しい訳です。

えっ? 「美味しいのモノをちゃんと頂く」ってどう言うことか?と
言うと・・・

ここからが今日の本題です(^▽^;) マイカイナガイマエオキ




僕の中で「タクシー」と「お寿司」って大人のなる事への象徴みたいな
感覚があると以前言いました。この歳になっても頑なにそう思うのは
どうしてかは分かりませんが...「そう簡単には手が出せないぞ」って
いう壁みたいなモノがあるのです。

躊躇い【タメラ・い】無くタクシーに乗れたり、躊躇い無くお寿司屋さんに
入る事が、未だに出来ないのです。

後ほど二冊の本が紹介されるのですが、それを読むと・・・お寿司に関しては、
そういう事ではないって言うのが分かるのですが、心の何処かにそういう風に
刷り込まれちゃっているのです。

ただ娘の年齢を考えると、どうしても「美味しいモノをちゃんと頂く」
ってレベルのお店に連れて行く事は出来ないな~と思っちゃって今日に
至る訳です。

ところが・・・ハタと自分の幼い時を思い出すと、ちゃんとお寿司屋さんで
食事をしていたんですよね。
そして僕のお寿司のバロメーター(美味しいとかおいしくないという基準)
になって今日に至る訳です。

小学生・・・高学年ぐらいから『鮨』っていうと、ある決まった一軒の
お店で食べる事になるのです。

そのお店は銀座のビルとビルが重なったような、路地の合間にあって、
入ると手前左側にコートなんかを預かって貰えるスペースがあった
小じんまりした店という記憶があるのです。
シンプルでとても清潔感のある店でした。

沢山の職人さんがいて…と言う店ではなくて、カウンターの中には
一人か二人だったような記憶があります。
子供ながらに、着いた席の目の前の職人さんが、この店の店主なんだろうなぁ~と
思った記憶があるのです。



どう言う訳か、初めてこの店に行く時に母が、
「お寿司屋さんに入ったら静かにしてね。喧嘩なんかしないでね」
と言うような事を言って、その後で
「凄く怖いらしいのよ、お寿司屋さん」
と言うような事を言ったのです。

すると父が「あはは・・・大丈夫、普通で良いよ 普通で」みたいな事を言ったのを
情景を含めて覚えているのです。

            やはりいつも怖さを感じる…





この会話が僕の脳裏にハッキリ残っていて…僕の下に妹が二人いますから、
一番下の妹は、きっと今の娘(8歳)より小さかった事になると思います。
確かに小学校に入りたて子供には、銀座のお寿司…って難しいかも
知れません。
場合によっては、周りのお客さんに迷惑が掛かる事もあるでしょうから。

もちろん、それまでもお寿司屋さんに行くって事はありましたが、
母からそんな事を言われた事もなかったので、「怖いお寿司屋」って
イメージが先行して、路地を入っていく時にドキドキした記憶があります。

ところが・・・実際に店に着くと、感じの良いおばさんが出迎えてくれて、
特に『怖い』って事もないのです。子供心に『怖くないじゃないか』と
思った事も覚えています。

でもここで変わった経験をするのです。
とにかく一つ目から滅法美味い。
小学校高学年の食べ盛りには堪らない訳です。
とりあえず幾つか食べて、さあ次は何にしようかな?と思った時、「○○握ろうか?」って、
怖いと聞かされていた職人さんに言われたのです。

偶然、頼もうと思っていたモノだったので、お願いします・・・って感じで
頼んだのですが、それを食べ終わると、また「○○握ろうか?」って。
それがまた食べたかったモノなので、子供ながらに「すげぇ」と。

当然ですが、決して無理強いをしているとかそう言う雰囲気じゃないのです。
巧く言えないのですが…『これはどう?』『こっちはどう?』って
色々楽しましてくれているような感じなんです。


で…お鮨なんですが、もう見た目からググッと来るような魅力的な面して
いるのです。子供ながらに
「なんて綺麗なお寿司」で
「なんて美味しいんだろう」
って。心から思ったのです。

それに・・・ニコニコしているんです。怖いはずの職人さんが(苦笑)

話は余談になってしまいますが…このお店の一回目を、何でこんなに覚えている
のかと言うと、ボクはここで生まれて初めてコードレス電話ってものを見るのです。
ちょっとあやふやな時代背景になりますが、やっとプッシュホンが出始めて
多くの家庭ではまだダイヤル式が主流だった時代だったと思います。
当時の僕の知識を総動員しても、コードレスなんて言葉を知りませんから、
トランシーバー?のような感じで。恐る恐る聞いたのです。

「あのぁそれって電話ですか?」って。
すると、
「ああそうだよ。何処でも好きな所に掛けて良いよ」とカウンター越しに渡してくれたのです。

初めに「怖い」って聞かされていたので、そのギャップがあったのかも知れませんが、
もう本当に優しい職人さんで、父とも二言三言話す以外は、ほとんど何も話さず・・・
父も黙って黙々と食べている。
帰る時も「またおいでな」と言う感じで・・・間違っても怖いって感じじゃない、
そういう店だったのですね。

それから何度か伺って、「お寿司=その店」って図式が頭の中に出来上がったのです。

一等賞 あなたの勝ち





やがてその店が無くなって、違う店に行くようにはなったのですが、
子供の時に植え付けられた味って、やはり前回の記事にもあった通り、
記憶の深い所にちゃんと残っていて、常にバロメーターとして、再現出来る訳です。

タンポポのランチと同じように、夢の中で出てくるそのお寿司屋さんで出される寿司は、
やっぱりあの時食べていたあの味だったりする訳です(^v^)リアルユメオトコ ノ トッケンダ


僕は勝手にそこを「高級寿司店」と思っていたのですが、その店の名前を言っても
あまり知っている人がいない(苦笑) 
たまに知っている人がいても行った事はない・・・と言うことで、
ちょっと寂しい感じだったのですね。何か記憶の一部が「うたかた」のような感じになってしまうから。

それでも・・・たとえ誰も知らなくても、僕の中ではしっかり一番店だった訳です。


ほら、皆さん「久兵衛」なんかだと普通に知っているじゃないですか。
だから時々思い出しては「あー誰かそのお店知らないかなぁ」と思っていたのですね。

そんな話を会社で同僚としていたのです。



すると…その話を聞いた同僚のテキスタイルデザイナーの女性が、ご自宅でその話を
旦那さまにしたらしいのです。すると…その旦那さまがそのお店を知っていらして…
ある本を下さったのです。

それもそのはず…その旦那さま、「食」に関しての著書を多数お持ちの先生で、
漫画「きららの仕事」の原作者 早川光氏でだったのです(^_^;ゞエヘッ
その僕が父に連れて行って貰っていたお寿司屋さんも当然ご存じの訳です。


そして下さった本が…「鮨水谷の悦楽」
鮨水谷の悦楽 (文春文庫)鮨水谷の悦楽 (文春文庫)
(2008/07/10)
早川 光

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↑の本なのですが…もう脱帽モノの面白さなのです。
僕はその頂いた本を、たまたま外出する時の電車の中で読み始めたのですが
(詳細は是非本を読んで欲しいのですが)、単なるグルメの本と思っていたら大間違いで、
一月から十二月までの「鮨職人の水谷氏」の仕事を丹念に追い駆けていくのですが、
これがミステリーを読んでいるようなワクワクする内容なのです。

本当はゆっくり一か月毎に読み進んでいこう…と思ったのだけど、もう次の月はどうなるのか…
気になって気になって、止められなくなっちゃうのです(苦笑)
いやもちろんミステリーのようにな構成になっているのでも何でもないのです。
素人のボクが偉そうに言うのもなんですが、題材を「食」にしてこんなにも興味深く間口を
広げられるのかと。
そしてなんてロジカルに食を語る事が出来るのかと…。

三味線屋





冒頭で、
≪どうも起きている時は「言葉」で表現しようとしちゃうみたいで、
その表現の語彙が僕には少ないから、いくら言葉を並べても巧く「美味さ」を
表すことが出来ないのです。≫
と書きましたけど、この本を読んで言葉でも「美味さ」を表現できるのだなぁと。

書いたのですが、これは書き手のポテンシャルの問題なのかと…(^_^;ゞエヘッ


そして今回、早川さんが覚えていて下さって、新たに「日本一江戸前鮨がわかる本」
日本一江戸前鮨がわかる本 (文春文庫)日本一江戸前鮨がわかる本 (文春文庫)
(2009/06/10)
早川 光

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↑を頂いて、拝読したのですが…これがまた面白いのです。

ボクの記憶の中の「小さなお寿司屋さん」が記憶の中では銀座6丁目辺りに在ったのですが、
この本でそれが間違いじゃなかった事が書いてあるのです。

「本当に綺麗で美味しいお寿司だったんのです」と言っても誰も知らなかったので、
ここでこの本の最後に出て来て、それがとても高い評価をして頂いていて、「泡沫【ウタカタ】..」と
思っていた僕の記憶の霧が晴れるようでした。


皆さん、ぜひ「鮨水谷の悦楽」並びに「日本一江戸前寿司がわかる本」をお読み下さい。
絶対に後悔しませんから。「食」でドキドキしてみましょう…そして「キララの仕事」も宜しくね(;^_^Aエヘヘ

頭で食らう (前編)

さんざんブログでも書いている通り、体調が悪いので比較的早くにベッドへ入る事が多いここ数日。
「熱が出ないのです」と言っていたのに、ついに木曜日に発熱して…もうだらしなくベッドの中で
布団に包まって、寝ては覚醒し、寝ては覚醒し…と繰り返して居る状態でした。

本当なら深く熟睡して、一気に体力を回復して…と思うのですが、「寝る」って言うのも実は体力を
使う事らしくて、若い時のように一気にガガァーと熟睡できると、実に気持ちの良いだろうなぁ~とは
思うのですが、なかなかそうは行きません。特に体力が落ちている時は。




寝ては覚醒…を繰り返しながらも、相変わらず夢は見る訳です(苦笑)。
こんな状態ですから、風邪の影響を受けて、苦しい夢を見そうですが、
今回はなんか凄く緩い夢ばかりで…リアルと虚構とを繰り返すような夢ばかりでした。
それでも尽く【コトゴト・く】感覚はリアルで・・・「これじゃ疲れが取れないなぁ」と自分でも思います。

痛みがあったり、感触があったりするのも「疲れる」原因になるからです。

夢の中で必死に走ったりすると、目覚めた時に本当に息が切れている事があるので、
一体寝ている間に「僕は何をしているのだろう」と思うのです。

横で寝ている家内に聞いても「私も寝ているから分からない」と言うし(苦笑ーそりゃまぁそうだな)。

尤も、家内が衝撃で起きていないと言うことは、暴れたりはしていないのだろう・・・と思うのだけど。

    幾人もの手で…




そんなリアルな夢の、唯一良い点は「味覚もリアル」って事です。

よく夢の話で「目の前にご馳走があるのに、いざ食べようと口に運んだ途端に目覚めた」
みたいな事を言うじゃないですか。

でも僕は、大半はしっかり食べる訳です。もちろん変な味だったりもしない。

先日も吉野家の牛丼を食べるのですが、夢の中でもしっかり紅生姜まで乗せていたのは、
思い出しても「僕ってスゴい」って自画自賛しちゃうのだけど(苦笑)。




正確には覚えていないのだけど、グルメって言葉が一般化したのっていつの頃でしょうね。
たぶん・・・バブルの頃だったと思うのだけど。山本益博さんなどがドンドンテレビに出演して、
マンガで「美味しんぼ」が流行ったりして、一般の人がグッと「食」を意識するようになったのかも
知れませんね。

きっとグルメって言葉が流行る前も、それに相当する言葉があったのだとは思うのですが、
それが具体的に何?って言われちゃうと・・・巧く当てはまる言葉が思いつきません。
「食道楽」って言うのも、どこかネガティブな匂いが付きまとうし。

グルメってそんなに揶揄される事じゃないと思うのですけど。
もしかしたら日本には「食を語る文化」って公には無かったのかなぁ。

ただ「世界に名だたるシェフ」の排出する日本人ですから、食に興味がない訳じゃないはず。
そもそもこの国は「食文化」って事かけては、世界有数の民族であることは間違いないと
思っているのですけどね。



衣食住って言うぐらいですから、人が生きていく上で 最も基本的な行為の一つであることは
間違いない訳です。
「食を語る」って言うのは、その国の「豊かさ」のバロメーターでもある気がするのです。

だってその国の経済状況が「食うか食わずかの状態」で、「食」を語ろうとすると・・・
「文化」という前に、「エネルギーとしての食物」って事が論点になってっちゃいますものね。

            気付かぬ所で…聞かれてる





夢の中でモノを食べて、しっかり味があって・・・、言ってみればエネルギー的には0だし、
金銭的にも0の訳です。
でも満足度で言うと・・・100だったりもするので、スゴく得しているのかも知れません(;^_^Aエヘヘ


ただCIAのエージェントに追われて、アメリカの住宅地みたいな所に建つ空家に入って、
身を隠しながらも、あまりの空腹感に耐え切れず、使われていない埃だらけのガレージの中で、
食料を探して、見つかったのは僕の嫌いなチリビーズの缶詰で。

でも仕方無いから、落ちていたドライバーで無理矢理開け、「今は栄養補給しなきゃ」って
言われて嫌々食べさせられている時もあるので、「良い事だけ」でもないのが現状なんですけど。
※ちなみにこの時、僕に「食べておいた方が良い」って言ったのは、
バック トゥ ザ フューチャーに出ていた頃の若かりし”マイケル J フォックス”でした。



で、夢の中で何を食べるかって事になりますが、これが本当に多種多様で、
先述した「牛丼」に始まって、今はもう無くなってしまった高田馬場の「タンポポ」って喫茶店の
500円ランチまであります。ありとあらゆるモノが出てきてしっかり食べるのです。

「そのランチは記憶に残るほど美味しかったのか?」って聞かれると、
「それほどでも・・・(^▽^;)アセ」って感じの味なんです。
少なくとも起きている時に思い出しても、「絶品です! 是非食べに行って下さい」って
モノじゃない(苦笑)。

25年も前、予備校生だった僕が、『ランチタイムに学食はイヤだな~』と、近所にあって、
手頃な値段で、コーヒーもミニサラダも付いて500円のだから・・・って選ぶ、学生の味方みたいな店
だった…ってだけなんですけどね。



これは二つの事が言える訳です。

一つは、かなり長い間食べていない味・・・つまり過去の「味の記憶」は、夢を司っている脳の深い所では
「レア」な状態で、しっかり記憶しているって事。

もう一つは、どんな味だったのか、言葉では説明がし辛い事も、脳は情報として「香り」「食感」「味」を
正確に再現出来るらしい・・・と言うこと。
※この”らしい...”と言うのは、仮にタンポポがまだ存在していて、夢の後に食べに行って本当に
同じモノなのかを確認できないので、「らしい...」という表現にしたのですが。


多分、皆さんも経験があると思うのですが、以前何度か行った事がある、お気に入りの「レストラン」なり
「ラーメン屋」に、久しぶりに行ってみたら、「なんか味が変わっちゃってね・・・」って事がありませんか?
それってちゃんと味を記憶していて、数ヶ月なり数年前の味と、(変わっちゃったなと思っている)今の味を、
瞬時にして比べている訳ですよね。

だから、僕だけが覚えている特殊な事ではなくて、記憶の中には、とても長い時間ちゃんと味を
覚えている部分があるのだと思うのです。

            ランチタイムの風景




もちろんその日の体調が悪くて、味覚がおかしくなっていて、正確には比べられないかも知れないし、
長年の思いが、記憶を美化していて、募った思いが凄く美味しいモノに記憶を塗り変えられているかも
知れません。
場合によっては本当に味が変わっちゃったのかも知れませんが...。

とにかく「らしい」とし言えないのが、辛い所なんですけど「リアル夢男」にとって、「味覚がリアル」って
言うのは、唯一の特典だと思っているのです(^v^)ニコ







って言う所で、今日は終わりますぅ~(;^_^Aエヘヘ
明日もまたお越し下さいますよう、心よりお願い申し上げますぅm(_ _)mペコリ


ブログを想う。

昨日、ふっと思ったのですが、僕はいつも文章を書いているなぁ~と(苦笑)。
電車で移動中も、昼食時も(一人の時もあるので)、場合によってはトイレの中でも・・・
もちろん寝室でも。気付くと文章を書いている。

だったらもっと上手くなっても良いと思うのだけど、そうはならないから不思議です(笑)
きっと本当に文章が上手くなったら、時間はともかく文章量は今の半分ぐらいで言いたい事が
書けるのではないか...って思います。
例えば「音の正体 音の招待」シリーズだったら、三回で終わるみたいな(苦笑)

このまま続けていたらいつかは上手くなるのか、それともある程度の勉強で上手くなるのか
分かりませんが・・・不要な文章や、修飾語、指示語が沢山ある事は自覚しているのです。


尤も

そもそも素人のブログで、文章を勉強する必要まであるのかどうかが、
一番分からないのですけどヾ(*°▽°)ノアハハ

            拠り所





僕のブログが「文章ブログ」になった時、基本は「寝しなの読み物」として読んで欲しい・・・
と思っていたのですね。

会社から帰って、もしくは家事が終わって、食事が終わって、お風呂から上がって、
お化粧も落とした状態で、持ち帰り残業も終わって、パジャマなり部屋着に着替えて、
明日の天気予報を見終わって、
「さあ寝るか」
ってまさに直前、ピローリーディングと言うか、ブログを読み終わったら、後はPCをシャットダウンして、
目覚まし時計をセットして、部屋の電気を消して・・・眠る。

そんな位置づけになりたいな~と思ったのです。


でもやはり皆さんの生活のリズムがありますから、朝起きて「起き抜けの状態」でご覧になって
下さる方もいる訳で。それはそれでとても有り難いなぁと思い、最近は「起き抜けにもどうぞ」って
事になっています。

まあ何か著名な人が書いているブログでもないですし、読んだからと言って何か特別得をしたりも
しない訳で。それにも関わらず、こお なんと言うか・・・皆さんの貴重な時間を5分でも10分でも
頂戴する訳ですから、それはそれなりにご愛顧頂けるようにと思うのですね。

それがこうして何年も続いているのは、偏に【ヒトエ・に】今日もご覧下さっている
貴方のお蔭なのだと・・・。
心より感謝致します。

間違っても何か重要な事が書いてある訳でもないですし、人生の為になるような事がある訳でも
ないので(苦笑)、そこを期待されると困るのですが。

それでも「寝しなの」もしくは「寝起きの」一時を楽しんで貰う事が出来れば...と思っております。

          もしも飲めたら…





改めてこのブログのモットーを書きます。

1、隠し事はしても嘘は書かない。

これはもう当然と言えば当然なんですが、何でもかんでも全部ありのままに書く・・・って言うのは、
ちょっと難しいと思うのです。
ネット上とは言え、公にしているブログなので秘匿しておきたい事もあるので、何から何まで全部
書くと言う事はちょっと難しい。でもだからと言って嘘は書かないようにしようと。

2、下ネタはやめよう。

これはまあネタとしては面白いって感じる人もいるかも知れないのだけど、このブログでは一切
取り扱わないと決めてます。自虐ネタ的なものは、場合によっては有りかも知れませんが、
それでもエロ方向には振りたくないのです。

3、ストーカーチックな動きはやめよう。
この辺の話はすごく微妙なのですが、僕のブログは基本的に来る者は拒まずと言う意識で
書いているのですね。老若男女問わず、住まいの地域問わず、職業問わず、皆さんに来て欲しいな
と思うのです。
ですから、安心感と言うか・・・「このブログは深入りしても安心」って感じて欲しいなぁと。

そう言う意味でも、しつこい感じにならないように心掛けています。訪問して二度コメントしても
レポンスがない時は、基本は訪問を控えるようにしています。もしかしたら気づかない内にコメントや、
拙ブログの記事で相手を傷付けてしまっている場合もあるかも知れない・・・対処です。

だから逆に「アイツ(ナチョパパ)最近来ねぇ~な。二度と行くか!」ってなって欲しくないなと
思います。コメントを頂いたら速攻でお伺いいたしますので。

4、上記の「3」に伴って、基本はネット世界からは出ない。

これは賛否両論あると思いますが、オフ会を否定しているのでも何でもありません。
でもきっと「偶然」以外は、ネットの外で会うって事はないでしょう。
一部仕事関係の方や、仕事のイベントがらみでお会いするチャンスはあるかも知れませんが。
そこでその方の身元が分かっても、一切それには触れません。

僕はこのネットの「匿名性」と言うのをもの凄く尊重し享受したい派なんですね。
ですから「SNS」みたいなもので身元が分かる可能性のあるモノは、あまり興味がない。
デザイン学校時代の友人のブログがミクシィで公開されているので、
それが見たくてIDは持っているのですが、基本は全く活動していません。

なんか凄いな…




コメントに関しては・・・公序良俗を乱さない限り、批判も基本は受けます。
それについて「争いごと」のようになれば、管理者としてコメントの削除をすることもありますが、
「意見の対立」があっても、そのスレッドが終われば・・・停戦としたいと思っているのです。

理由は簡単で、きっと全く違う意見があってそれを聞けたら「自分の考えを検証できるチャンスに
なるだろう」って思うからです。
ただ残念な事に、一方的に「攻撃的な対応をされる事」もあるので、その時はあくまでも
自分の基準で削除したり、閉鎖したりしますよ・・・ってスタンスなんですね。


昨日体調が不良で全くブログ出来なかったのですが、ベッドの中で、あー書きたい事があるのに
更新出来ないってのもなんだなぁ~と思いました。
で、僕にとって一体ブログってなんだろう?・・・と思ったら、こんな記事になってしまいました。

これからもどうか一つ、「新ナチョパパほのぼのフォト日記」を宜しく御願い致します。

ナチョパパ撃沈

ついにナチョパパ撃沈致しました。
出勤したものの…発熱…頭痛で午後から早退。
いまいち風邪が抜けないなぁ~と思っていたので遅かれ早かれ、こうなると思っていましたが。

すみません…沢山コメントを頂戴しておきながら、本日は放置ですぅ。
明日また再開しますので…お待ち下さいませm(_ _)mペコリ

微妙な距離感…
                                                   日差しの関係

写ルンです

昨日のブログは、ほぼライブ状態で雷の様子を伝えたのですが、
やはり「ゲリラ猛雨」だったようで・・・。雨が全く降っていない四国に比べたら良いのですが、
それでもいかに東京が雨に弱い、いや自然の猛威には弱いのか、露呈した雷でした。




えっと...このブログにコメントを下さる常連さんのraouさんは大阪府在住のブロガーさんです。
そのraouさんのご子息が、先日修学旅行に行ってらしたのです。

僕が「修学旅行」って言葉で思い浮かぶのは、「奈良・京都」の旅行なので、
大阪府在住の方はどこに行くのだろう?と思っていたのですが、なんと長崎まで行っているのです。

正確にはどのくらいの金額を、親が負担するのか分かりませんが(苦笑)、
生徒としては実に楽しいだろうなぁ~と思ってしまいました。

夏の声と歓声が蘇る…




東京の場合は、僕の時代「中学生の修学旅行」は、基本が京都・奈良が普通でした。
今だったら同じコースを周っても、きっと もっと楽しく周れたと思うのですが、
当時の僕は寺院に対して「なんか地味」なイメージがあって、全然楽しくなかった…
思い出があるのです。

その行程も部分的に覚えているだけで...全体像としての修学旅行ってイメージがないのです。
きっと或る意味「お仕着せ」的なスケジュールだったのだと思うのですね。
だから現地に着いてからも、バスで寺院を片っ端から周って、寺院に着いたらバスを降り
住職さんや神主さんの話を聞いて・・・それが終わったらまたバスに乗って次の寺院に移動! 
みたいな感じだったのではないか?と。

記憶がないと言うのは・・・なんだか勿体無いと、今は思います。
今はお金を払ってでも神社仏閣を周って、ゆっくり見てみたいと思うのに…(^_^;ゞエヘッ
これも人生経験のなせる技でしょうか?(^_^;ゞエヘッ

変わっていく街の断片




で、その修学旅行に際しての規則に、
デジカメはダメで「レンズ付きフィルム(写ルンですみたいなもの)は二台まで可」
って事らしいのです。

ハッキリした理由はraouさんもご存じないのですが、きっと「持っている人と持っていない人」が
出て来ちゃうって事が問題じゃないかと。
そしてドコぞのバカ親が「この際だから」ととんでもない高級カメラを買い与えることも、
可能性としては否定出来ないからかも...。

確かにさも有りナンと思います。




で・・・「その写ルンです」を使って、ご子息が撮ってきた写真が掲載されたのですが、
これがなかなか味があって良いんですぅ(^▽^;)アセ
ナンと言うか・・・レンズ付きフィルムカメラとは言え、そこはフィルムですから、
単焦点距離のパンフォーカスで緩い感じの「味」って言うのでしょうか、懐かしいような印象があって。

何でもかんでも「カワイイ」って表現するのも、どうかと思うのですが、それでも「可愛い」って
言葉がピッタリのようなニュアンスがあって、思わず「おぉ」って見入っちゃいました。

普段から父親であるraouさんと、デジタルカメラを楽しんでいる事もあるのだとは思いますが、
昨今のトイ・カメラブーム的なものも感じたのですが、ギスギスし過ぎない感じが、
とても気持ち安らぐ感じがしたのです。


ところが・・・事情を聞くと、単に可愛いでは済まない事もあって(苦笑) 

壁の質感




と言うのも、当然「写ルンです」ですから「現像」をしないといけない訳です。
それがナンと2000円もするらしいのです・・・一個当たり。

つまり二つで4000円!! まあ現像しないと写した意味もないですし、その中には2000円じゃ
買えない思い出も一杯詰まっているのですが、それにしてもやはり高いなぁと。

いや写ルンですを非難しているのではなくて、そうやって考えると、デジタルカメラって
やはりランニング・コストが掛からないなぁ~と改めて思っちゃいました。

それぞれのカメラの使い方って、本当に人それぞれですけど、ボクの場合だと36枚なんて
あっという間に撮っちゃうと思うのです。フィルムだと、やはりコストが掛かるなぁと。

まあ「写ルンです」と「ふつうのフィルムカメラ」だと、またちょっと違った金額になるかとは
思うのですが(地域によっても違うかも知れませんし)、それでもデジカメのランニングコストって、
やはり簡易さだけじゃなく「普及する理由」がちょっと分かる気がしました。



皆さんはフィルムで撮影すること、今でもありますか?

夜雷

終わりました...(;^_^Aエヘヘ




いやぁ~自分の好きで書いているのに、まさかこんなに長くなるとは思いませんでした。
細かいディティールもですが、情景をですね…しっかりと書かないとイマイチどこを楽しんで
良いのか? 分からないお話になってしまう懸念が、ずっとあって。
その分だけ時間が掛かってしまいました。



今更言うのも何なんですが、これフィクションなんですぅ~


途中で、しょうさんから頂いたコメントにもあるように、部分的に本当の事も挿入されているのです
けど、嘘...フィクションなんですぅ

正直、フィクションかどうか?書くかどうか迷ったのですが、嘘付き呼ばわりされても困るし(苦笑)
やっぱり書こうと。

             ほんのひと時の休息




先日、写真の整理をしていまして、昨年の大阪出張の時に短時間だけ神戸に立ち寄ったのです。

その際に、異人館街で、洋館の廃墟の写真を撮ったのですが、それを久しぶりに見て…
頭に残っていたのですね(きっと)。

そこに5月の末に自宅周辺を歩いていた時、ヒュ~ヒュ~とドコからか妙な音が聞こえてきまして。
『なんだろう?』と思ったら、角を曲がった所で小学校の3年生ぐらいの男の子二人が、
園芸用のホースを1メートルの長さで切ったモノを、グルグル回しながら音を立てて歩いていた
のです。

あー懐かしいなぁ~と思いながらも、「遠くから聞くと人の悲鳴みたいだなぁ~」とも思っていまして。
フッとこの物語を起想(思いついて)しまいました。


頭の中にリアルに、その情景を思い浮かべながらの作文だったので(あくまでも作文レベルです)、
落とし所は決まっていながら、時間ばかりが掛かってしまいました。

だって風が吹く日以外は音がしないはずだし、そのシチュエーションをどうやって作ろう?って事
ばかり考えていました(((o^∀^)oアハハ

    光を浴びて





相変わらず体調が悪いのですが。。。今日も「今日までです」って期限を切られた仕事があって、
休む訳にも行かず・・・出勤しました。

とにかくダルイのですが、熱が上がらないので・・・「休む」って事へのエクスキューズが出来なくて。
本当は一回ちゃんと休んだ方が回復が早いと思うのですが、そうも行かないのは社会人の宿命かも
知れませんね。


今(19:50)、東京は雷と共に強い雨が降っています。
まあ梅雨ですから、雨が降ってくれないと困るのですが…何かジメジメした感じって、
やはりイライラしますよね。

マンションに住んでいらっしゃる方は、きっと同じ所も多いと思いますが、バルコニーや
ベランダに洗濯物を干していはいけないのです。
もちろん部屋干ししたり、乾燥機で乾かすのですが…やはり気持ち的には太陽を燦々と
浴びた洗濯物って気持ち良いだろうなぁ~と思います。

思い返してみると、1997年に結婚してから住んだ所は全部マンションで、いずれも「外干し」は
厳禁でした。設備としてもちゃんと乾燥機があったのですが…うーんやはり快晴の中での
洗濯物にちょっと憧れたりします。

今はまだお風呂場が乾燥室になる作りなので良いのですが…いつかはサザエさんの家のように
自宅に庭に物干し竿を置いて…





って夢ですね(((o^∀^)oアハハ

             この道を君は覚えていてくれるのだろうか?





今(21:22)も、窓の外では雷の音が。
これも春雷と言うのだろうか?と思いながら、今日も早めに寝ます。
体調不良とは言え、最近ブログのリズム(リコメントやご訪問を含め)が悪くて申し訳ないです。


音の正体 音の招待 (下-怒涛の最終回)

ここ数ヶ月間、様々な問題を引き起こした洋館が目の間にあった。
昔からそこにあったのに、考えてみると問題を引き起こしてからは…初めてその洋館を見に来た事に
気づいた。

通りから少し奥まった所に立っているその姿は、完全にシルエットになっていて、
一切の明かりが無い中では、まるで切り絵の様に見えた。

細かいディティールが、実に繊細に切り抜かれた美しい切り絵のようなのだ。
夜の中では汚い部分は一切が闇に隠され、美しい影となってそこにあった。
圧倒的なスケール感を伴った繊細な影だ。



呻き声は強弱を伴いながらも、確実にこの壊れた洋館から聞こえてくる。
元来「お化け」とか「霊」と言ったモノに全く縁遠い僕は、微妙にズレたフェンスをくぐり抜け
中に入った。

完全な闇の中では足下で自分が何を踏んでいるのか、よく分からない状態なのだけど、
ただ枯れ草が積み重なったような柔らかさを感じながら、奥へと分け入った。
時折、ペシッという小枝を踏み折る感覚と音が、思いの外大きく感じて、ビクッとしながら、
何故か途中で引き返すことが出来ないまま先へ進んだ。


以前はこの何倍もの広大な敷地があったと言われる洋館だが、今でも充分に広い敷地だ。
明かりのない空間にいると、天地左右の感覚が微妙に狂ってくる。
歩いている分にはまだ良いが、一旦でも止まると次の一歩の踏み出しが心許ない感じになるのだ。


通りから・・・30Mも進んだだろうか。後ろを振り返ると、通りの街灯が、ただそこだけを照らしている
ことが分かる程度しか、役に立っていなかった。

僕はポケットに入れてある携帯電話を取り出して、モノクロしか使えない画面のわずかな明かりを
頼りに、更に10M程度進んだ。

その時、風が鬱蒼と茂った木々を揺らした。
多くの木は落葉していたが、いくつかの常緑樹の葉が揺れる音と、そしてあの声が聞こえた

あぁ~~~~~~ぁ

劣化




正直怖くないと言えば嘘になる状態だったが、僕はどうにか叫び声を上げずに声のする方を見た。

いつの間にか目が慣れたのか、朧気【オボロ・げ】ながら辺りを見渡せるようになっていた。

多分屋根が崩れ落ちた時の廃材だと思われる木材の山、至る所に生えて巨大化した竹、
何年も・・・いや何十年も放置されているだろう古めかしい錆びた自転車に古タイヤ。
以前は照明として使われていただろう電球を使うタイプの石灯籠。
辺りは可能な限り「自然に帰ろうとしているモノ達」で溢れかえっていた。


僕はディスプレイを点灯させて携帯電話の電源を切って、声のする場所を探した。
もしかしたら今の僕なら警察を呼んで終わりかも知れない。
少なくとも何が待ち受けているか分からない状態の中に、自ら飛び込んでいくような事はしない。


明らかに玄関の前のポーチであったでだろう雑草だらけの石段を上がり、上半分が手前に、
下半分が向こう側によれたような形で、枠からはズレている玄関ドアから中を覗いた。
明らかに、この中から声がしていた。


強い風が暴れるように木々の葉のこすれるような音。
どこか遠くで走る車の音。
様々な音が聞こえる夜の洋館で、強弱のある呻くような声が絶え間なく聞こえてくる。

僕は屈むようにしてドアから家の中に入った。

想像していた黴臭さや、映画の洋館にでてくる様な蜘蛛の巣だらけという感じではなかった。
ただ玄関だけでも十畳はあるだろう広さと、「板張り」という言葉がふさわしい空間が、
やはり十畳ぐらいあって、この家がとてつもなく広く贅沢な作りである事が分かった。


そしてそれらが今では完全に朽ちてしまっていた。

ホールの正面に両開きのドアがあるのが見えた。
かつてはガラスがはまっていたであろう場所は、素通しで内部が見えた。

僕は踏み抜いてしまうのではないか...と思いながら、恐る恐る足をホールの板張りに乗せたが、
びっくりするほどしっかりとした感覚を足の裏に感じた。

少しばかり軋むような音を立てたが、今僕が住んでいるマンションだって、場所によっては
そんな音を立てる。
それが「廃墟」だの「お化け屋敷」だのと呼ばれている建物の内部とは、とても思えないほど
しっかりとした床だった。

両開きのドアにの隙間から身をよじるようにして中に滑り込むと・・・僕は息を飲んだ。

そこにある捩れた空間






半分 いや大方の屋根は崩れ落ちて、ポッカリとあいた天井部分から、とてつもない早さで
流れる雲と(よく映像で見るような早送りをして雲流れを撮影したような感じ)、その雲を身の回りに
纏わせている様な満月が、家の壁をフレームとして、大型ヴィジョンのように大迫力で見えるのだ。


多分、「落ちた屋根」は誰かの手によって綺麗に片付けられたのだろう。
三十畳以上の板張りの立派な大広間には、所々崩れ落ちた屋根の衝撃で破壊された家具が
配置がされていて、どこかディズニーランドの天井のなんとかビジョンのようを見上げてるような・・・
独特な感覚になったのだ。

そして更に、呻き声は壁と無くなってしまった天井部分の際に設置されたエアコンのダクトから
垂れ下がるホースから風が吹き込む毎に、ホース自体がが円を描くように回転しながら、「あぁ~~~~」と人の呻き声のような音を立てていたのだ。
(※片方が壁に差し込まれていて、70cm位のホースが風を受けてクルクル回りながら、音を出している)


僕はその後、洋館を出て携帯電話から110番をした。
そして大まかな事情を話して、この町の管轄である警察署に繋いで貰った。
地元の所轄に繋いで貰ったのは、この洋館に纏わる【マツ・わる】「叫び声」の問題は、
所轄で既に何度も対応しているし、110番で細かい事情を電話で話しても埒が開かないと
思ったからだ。

それに僕の行動は、厳密に言うと、住居不法侵入ということになるのだろうと思ったのだ。だから尚更隠し事をせずに全ての事柄を包み隠さずに伝えた。もちろん電話番号も、住所も、もちろん氏名も全て伝えてた。

こちらの要望は「ここで待つからサイレンを鳴らさない出来て欲しい」と言うことだった。そして「風が止む前に急いで洋館まできて欲しい」と伝えた。

時間が流れると言う事


僕は洋館の前で警察官が来るのを待っていた。

5分もしない内に、まずは自転車に乗った警官が二人やってきた。
一人は50歳を越えた柔道が強そうな警官で、一人は背の高いヒョロっとした若い警官だった。

身分証明として免許証を出して、事の経緯を細かく話をした。
何時何分頃、どういう状況で呻き声を聞いて、どうやって中に入ったのか? 
周りに人はいなかったか? 何かに触ったか? そんな話をしている内に、二台のパトカーと
紺色のスカイラインが赤色等だけを回転させてやってきた。覆面パトカーだった。

やはり厳密に言うと不法侵入と言うことになるらしいことをパトカーで到着した警官に言われた。
しかし覆面パトカーに乗って来た若い私服の警官が、「悲鳴だと思ったて事で間違いないですね」
と念を押された。ジャンパーにエンジの腕章をしていて、そこにはオレンジの文字で「機捜」と
書かれていた。
事実は「呻き声」だけど・・・と一部訂正をして、頷くことで不法侵入に問われる事は無くなったようだ。


しかも僕は外のフェンスも、ドアも何一つ触らずに内部に入った事も良かったらしい。
実際にはたまたま隙間があったからそこから進入したのだが。鍵を壊したり、フェンスをよじ登ったり
していたら、やはり少し問題だったのかも知れない。

「今度からは身の危険もありますから、必ず警察に連絡してください」と何度か念を押された。
そして、「今後の進展によっては場合によって警察に来て頂く事もある」…と言うような事を言われた。

しばらくすると、大広間の方から「これかぁー」と大きな声が聞こえた。

まるで呻き声のような音を立てるエアコンのダクトは、風がないと「呻かない」のだ。
だから近所の住民が連絡した時には風が止んでいたりすると、声(音)の特定が全く出来ないのだ。

きっと僕が知っているだけでも、この呻き声で3回以上は警察が呼ばれている。
警察も要請があれば人の住んでいない洋館からの呻き声、なんて事で何度も呼ばれて・・・
実際にはうんざりしていたのだろう。

後からタウンエースに乗ったカメラ係のような人がきて、フラッシュを焚きながら写真を撮っていた。
途中から僕は洋館の内部で事情を聞かれていたのだが、外に出ると10名ぐらいの野次馬が
出来ていた。


以前、通報した洋館の目の前に住んでいる男性もいて、今も続く「呻き声」はこの音か?と
言うような質問をされていた。
きっと「そうだ」と答えたのだろう、しばらくして小さな笑い声が聞こえた。

先行き不透明




2009年6月晴れ。

久しぶりに両親に娘を会わせる日曜日。
70歳を過ぎた父は、お爺ちゃんになっていて、母もおばあちゃんになっていた。
僕が子供の時には見せたことのない様な笑顔で父と娘が遊んでいる。


母はここ数ヶ月の出来事と、数年前に父が大病をしてからの習慣になった「最近の父(様子)」を
台所からカウンター越しにしきりに話している。
そして数年前に出来た公園で妹の子供・・・(つまり僕の甥)と、父が軽いキャッチボールが
出来るまでになったことを、嬉しそうに報告した。

父が歳を取る分、老いるのは仕方ないが、それでも直ぐそこまで命の終わりが見え掛けていた
状態からの回復と、孫の成長がWで嬉しいことが良く分かる気がした。
「もうお父さんも良い歳なんだからキャッチボールなんてやめて欲しいのよ」という言い方には、
優しいニュアンスが含まれていた。

その父と甥のキャッチボールが行われるのは、あの洋館の跡地だ。

あの「呻き声の正体」が分かってから半年後、所有者は静かに病院で亡くなったという。
身よりの無かった所有者の土地は、紆余曲折を経て半分が公園に、半分がいくつもの区画に
分けられて新しい家が建った。

今ではもうその場所に洋館があった事を知っている人も、真夜中に呻き声が聞こえる事件が
あった事も、知る人は少ない。
もちろん、その最後の最後に僕が関わっている事を知っている人もほとんどいない。

走れ!!






娘と遊んでいた父に疲れが見えたので、僕は娘を誘って散歩に出ようとした。
公園で遊ぶ事を提案して見事に却下され、結局本屋さんに行く事にした。

駅の方に歩きながら「この角を左に曲がるとあの洋館がある」と言う、僕の頭の中の地図は
10年前のままだ。
「公園行かない?」
「行かないって…パパしつこいよ」と娘が笑った。

僕は苦笑しながら右折して駅へと向かった。



後ろで「あぁ~~~~~ぁ」という声が聞こえたりは…



もちろんしないのだけど。


≪終わり≫



すいません…本日本当に体調が悪くて、会社を早退しようと思ったのですが、
どうしても抜けられない商談があって…そのまま仕事をしました。
ご訪問が滞っています。本当にごめんなさい。
明日には、必ず参りますので…本日はお許し下さい。今から寝ます。







音の正体 音の招待 (下-佳境)

年末と言うにはまだ早過ぎる時期だったが、既に街の雰囲気は一気に年末に向かって
走り出したような『年末感』が漂っていた。

数年前に弾けたバブルの影響が、この年辺りから現実の問題として一般の人にも少なからず
影響を与え始めていたからだ。

僕はこの年『リストラ=リストラクチャリング』という言葉を初めて聞いて、それがペレストロイカの
英訳だと知って驚いたりもした…そんな年の話だ。
※実際には1991年辺りにバブルは弾けたと言われている。しかしそれが一般の人にまで影を落としたのは1995~1997年頃だと言われている。また実害と言う意味では、90年代後半~2000年の前半だとも言える。
バブル景気 ウィキペディア参照



僕は大混雑した駅のホームで、身動きが取れないような状態だった。
日が変わるまでにはまだ一時間ちょっとある時刻に、これほどの人が溢れている光景を
見たことがなかった。

バブルが崩壊したと言われてからと言うもの、夜の街はドンドンと早くなり、早い時間帯から
帰宅の路につく人が多くなったとは言え、それは異常な光景だった。

             こっちへ





「こんな時刻にこんなに人が溢れているなんて...」と辺りを見渡した。しかしその理由は分かってた。

異常なほど人で溢れたホームでは、
『強風によりダイヤが大きく乱れています。お客様には大変ご迷惑をお掛けしております』と
言うインフォメーションが何度も繰り返してたからだ。


今ならきっと多くの人が携帯でテレビを見たり、ドコモで言うiモードを駆使して時間を潰すのかも
知れないが、当時の携帯はまだ画面がモノクロで、しかもメールの一文が500字まで...と言う、
とてもプリミティブなものだった。


40分近く待たされて、やって来た電車はとても人が乗り込めるような状況ではなく、
二台ほどやり過ごして三台目でやっと乗り込む事が出来た。

通常なら急行で一駅...5分の距離のはずが、全ての電車は緊急処置で各駅停車に変わっていて、
しかも全ての駅で二分間もの停車時間を取ることから、なんと電車に乗ってから、20分以上も経って、
やっと目的の駅に到着した。

日付はついに翌日になっていた。


電車の中は人の熱で、蒸し風呂のようになっていた事もあり、シャツの下は汗でグッショりと
濡れていた。駅に着き電車のドアが開くと、半ば自分の意志では無いかのように強い力で
押し出された。

この当時の駅は、その後地下化された今のものとは全く違って、雨が降れば雨が、風が吹けば
風が、全身に当たるような簡易な屋根だけがあるものだった。

  跳ねウマ





ホームに出た途端、電車の遅延の影響にもなった強風が、全身を襲った。
初めこそ汗まみれになった体には気持ちが良かったが、それもすぐに全身の体温を奪った。

「早く帰らないと風邪を引くな」と思いながらホームの階段を上り改札を抜けた。
幸いにして駅から自宅までは3分もあれば着く…。

改札を抜けて
駅前のタクシーのりばの脇を抜け、
化粧品屋の角を曲がり、
東京ガスの代理店の間を抜け、
自動車工場を通り過ぎ、
輸入インテリアショップのウィンドーに自分の姿が映るのを見ながら、
バス通りを過ぎて、
右に曲がって30メートルも行けば自宅だ。




が、



さっきから



次第に気になる



音が聞こえて





それが

強風に煽られるように

次第に



大きくなる事に気づいた。




呻く【ウメ・く】ような





人の声だ!!


             日差しに微笑む





本来な右に曲がって30メートルも歩けば自宅なのに、僕はその声がどこからするのかが気になった。
大人とも子供とも微妙に違う・・・何とも不安定な呻き声なのだ。


自慢じゃないが、僕には霊感というものが全くない。
友人5人と卒業旅行と言う名でホテルに泊まった時も、「この部屋何か気持ち悪い」という4人を
尻目に、全く・・・微塵もそんな感覚を感じない。

僕以外の全員が見たというガラス製の緊急避難用の非常ドアが一人でに開いた・・・と言う瞬間も
見逃している。
しかもその非常ドアが一人でに開いた・・・と騒いでいる友人達の
「ドアが開いているか確かめてきてくれ」と言う要求に応えて、確認しに行くと、非常ドアは押すと
開く(設錠していない)状態で・・・彼らの言う「手前にガガァーと一人でに開いた」なんて事は
あり得ないのだ。

しかもこの廊下の突き当たりある非常扉はガラス製なのだから、人が立っていればすぐに分かる
ようにもなっている。窓の外は蓼科の森林が広がるばかりなのだ。
彼らは確認事項を聞くほどに驚き、怖がったりしたが・・・こう言っちゃ何だが、ガラスのドアに
廊下天井の照明が移り込んで、しかも、彼らはしこたまお酒を飲んでいたので、彼らの錯覚に
過ぎないと思うのだけど、とにかく彼らは怖がっていた。

残念ながら僕には、その手の気配さえ感じることが出来ないのだ。


だからこの呻くような声が聞こえた時も、怖いとか、何か霊的なモノを感じたと言うような感慨は
全くなく、誰かが苦しんで、この冬の夜にうずくまっているのではないか? と単純に思ったのだ。


家へ向かう道とは反対側に...つまり駅を背にすると左へ曲がり、ドンドンと声のする方に近づいて
行った。
強弱はあるモノの、その声は確実にどこか屋外で呻いているものだと言うことが分かった。

「きっと苦しんでいる」と思った僕は少し足を早めて音源に近づこうとした。
何故ならこの大きさの呻き声じゃ、夜の寝静まった住宅地では誰にも気づいて貰えないような
小さな声だったからだ。


少しずつ音源が近くなる事を感じながら、辺りを見回すと、目の前にはあの
「屋根の落ちた廃墟になった洋館」が風に吹かれて、真っ黒な闇の中にシルエットになって建って
いた。



これがあの




噂の叫び声か...



僕は思わず洋館見上げたまま、その場に立ち尽くした。












あー次は終わるな…って思うのですが(^_^;ゞエヘッ やっと洋館までやって来ました(;^_^Aエヘヘ
すいません…次回は本当に最終回になると思います。もう一回分だけお付き合い下さいm(_ _)mペコリ
リコメントと訪問に自信がありません…少しずつのリコメント&ご訪問をお許し下さい。

梅雨入り宣言とともに快晴(;^_^Aエヘヘ

          お世話になっています。




 いや参りました…昨日も早い時間にベッドに入って、少しだけ原稿を書いたのですが、
そのまま寝ました…。
夜中に目が覚めて、居間に行くと…なんと3:00a.m. Just !! これって丑三つ時?って
思ったら、ちょっと怖かったのですが(苦笑) 熱を計ると37.5℃…。・゚・(ノД`)・゚・。トホホ
その後、また寝ました。

本当はゆっくり今日は大事を取りたい…と思ったのですが、今日の午後に一つどうしても
今日中にやっておかないといけない商談が入っていたので…休めず。

会社に行くとそれなりに何とかなっちゃうもので、終業時間まで仕事をして…。

このブログの常連さんのkirageegeさんも のどが痛い…と思っていたら緊急入院する
事態になり…そこは鉄人のkirageegeさんですから、退院はされたのでホッとしているのですが、
どうも今年は喉に来る風邪のようですぅ。

勿論、kirageegeさんに比べたら、僕のはショボイ風邪なんで…一緒に語っちゃいけないのですが…。


鼻にティッシュを詰めながら、絵型を描き…薬が切れるとまた鼻が。
皆さん、本当に話の最後になってダレたようになってしまって、ごめんなさいね。
明日には更新できると思いますので、もう少々お待ち下さい。





ご訪問も遅れますぅ~m(_ _)mペコリ 

ここに来て…

         カフェで一休み…?


すいません…話の結末は決まっているのですが、原稿が全然進んでなくて…。・゚・(ノД`)・゚・。トホホ
折角ここまでお読み下さった方がいらっしゃるのに…大変申し訳ないですぅ。
特に何って事もないのですが、なんだか時間が作れないのです。

話はいよいよ佳境に入りますの、今後の展開を楽しみにお待ち下さいませ。。。。

大変申し訳ない!

音の正体 音の招待 (下-後半)

僕は足を少し早めた。

と言うのも、屋根が崩れ落ちたと聞いた時から、その姿をまだ一度も確認していなかったのだ。
通勤路の途中にあることはあるのだが、駅とは反対方向に角を曲がらないといけない事から、
わざわざ確かめに行くこともなかったのだ。

洋館がやっと見える交差点に立つと、4~5台のパトカーと、20人ぐらいの人だかりが出来ていて、
部屋着などの簡単な服装でサンダル履きの様な格好で、多くの人が洋館で行われている何かを
遠巻きに見ているのだ。

幸い母の姿はなかったが、何人かの顔見知りの人達がいて、辺りに響く警察無線の不鮮明な
音声と共に、乱れる赤色灯の赤い光に顔を一定のリズムで照らされているからだ。

何人かの顔見知りの人に挨拶していると、野次馬の中にいた近藤さんという近所のおばさんが
話しかけてきた。
「また例の叫び声がしているので、警察を呼んだ人がいるのよ。今度はその声を警察の人も聞いて、
なんか大事件になっているのよ」と、何故か嬉しそうな顔して教えてくれたのだ。

いつもは区役所の貼り紙がして、チェーンで堅く閉じられているフェンスが、人一人入る分の隙間が
空けられて、真っ暗な敷地内で懐中電灯らしき光が幾つも交差しながら、辺りを探っているらしかった。


僕はどうでも良かったが、何故かここで一人だけ背をむけて歩き出すと「いらぬ疑い」を掛けられる
ような気がして、野次馬に混じって遠巻きに警察の動きを見ていた。

          板




3人の警察官に事情を聞かれているのは、ひょろっと背の高い60歳台後半の男性で、
ガウンを着て見える足下はパジャマのズボン、足はサンダルと言う格好でちょっと興奮気味な
話し方で説明をしていた。

僕のところまで10メートル近くあるから、結構な大声であったことは間違いない。

その話を要約すると・・・初めに叫び声が聞こえたのは、9時頃で、無視しようと思ったが段々声が
大きくなるので、10:35p.m.に警察に電話したのだと言うこと。

10分後には警察が着たから・・・その間、家の窓から洋館を見ていたが、誰も出入りがなかったこと。
その後は初めに自転車で来た警官と一緒にここで洋館を見ていた...と言うようなことを
何度も伝えていた。

ふと、何で同じ事を何度も聞くのだろう?と思ったが、後から分かるが、警察という所はそういう所
らしい。

          凝視




やがてガガァーと硬いものを引き擦る様な音がしたので、見ると、洋館の中から7~8人もの警察官が
次々にでてきた。普段封鎖用に使っているフェンスを広げた音だったのだ。

一番太った警察官が、パトカーの側に立っていた警察官に「何もない」というようなことをいって、
通報者であるガウンの初老の男性に、何かを伝え・・・「明日もう一度きます」と言うような事を
言っていた。

するといきなり拡声器で「こちら○○警察です。現在不審な物音がすると言う通報で参りましたが、
内部に異常はございません。お騒がせしましたが、安全が確認されましたのでご了承ください」と
二回ほど告知をすると、数台のパトカーが一斉に動き出した。

僕が来た時には既に赤色灯だけで、サイレンは鳴っていなかったが、当初はやはり鳴っていたのかも
知れない。赤色灯を点けたまま、サイレンは鳴らさずにパトカーはいなくなり、最後は自転車に乗った
警官と数人の野次馬だけだった。

気づくと近藤さんもいなくなっていた。


家に帰ると珍しく母が起きていて、やはりサイレンの音を気にして起きていた。
「あのお家で何かあったみたいなのよ」と心配顔で言った。
「今は静かになったけど、さっきまでスゴいサイレンが鳴っていて...何か事件が起きたみたいで」。

          気付かぬ所で




僕はたった今、外でその様子を見てきた事を伝えて、見聞きした範囲のことを教えた。
それで安心したかどうかは分からないが、とにかくもう遅から寝たらと言い事態の収拾に努めた。

妹達は既に結婚して家にいなかったし、そもそも父はそのような話には無頓着だし、
僕に話すしかなかったのだと思う。その日はそれで終わった。


それから一週間ぐらい、洋館の処遇が町内会で大きな問題になった。まずはあのまま放置しておく
事への批判が高まったのだ。
以前から問題になっていた通り、不法侵入者や不審火など「住人の安全を脅かす」という事で
問題になったのだ。しかしこの家と土地の所有者が不在のままの話し合いなので、一向に事態は
進展しなかった。

ある時、あまりにも打つ手がない事から、所有者に対して防犯上の対策を公式に願い出ることに
決まった。

しかし問題はここからだった。


廃墟とは言え、あくまでも個人所有の敷地内のものを勝手に壊したり、廃棄したりすることは
出来なかった。明らかに付近住人に実被害がでないと、何を根拠にしても勝手に処分することは
出来ないのだ。

具体的に言うと、ただ単に物騒だとか、悪臭がすると言うことがあっても、当時の条例にはそれを
取り締まる事が出来なかったのだ。
(※今は場合によって迷惑防止条例的なものがあるので、適応することも可能かも知れないが・・・)


しばらくすると、所有者の居所が分かった。
そしてそれが一層、面倒な状況を引き起こした。
と言うのも、既にかなり高齢になっていた所有者が、時折(今で言う)認知症の症状を見せていて、
すんなりとこの廃墟となった自分の土地を処理する事が出来ない状態だったのだ。
完全に認知症であれば、また違った法的な対応が出来るらしいのだが、問題は『時折』と言う部分が、
大きな障害になっていた。他に近親者や代理人になってくれる人もいない事から、廃墟の問題の
町内会特別対策委員もこの時点でお手上げになってしまった…らしい。





あーーーーーーーーーーーまた終わらなかった。責めてはいかん 責めてはいかんですよぉ~
次回をお楽しみ…m(_ _)mペコリ

音の正体 音の招待 (下)

その日遅くに家に帰ると、母がソファで寝ていた。
特にする事がないのならベッドできちんと寝れば良いのに・・・といつも思うのだが、
本人はそこでウトウトするのが気持ち良いらしい。

そういう意味では、もう何年も平日の夕飯を家で取ることがなくなっていたが、
習慣のように「夕飯を食べたか?」と言う様な事を聞いてくる。それもいつもの習慣だった。
そして再び、習慣のように「食べた」事を伝えて、自室に行こうとすると、何か言いたさそうだったので、
話を聞くと・・・何でも昨夜の地震で、あの廃墟の洋館の屋根が崩れ落ちたと言う事で、
今日一日この付近の話題になったらしい。

朝に見たパトカーと野次馬は、その光景だったのだ。





正確には朝の5時にドーンという轟音と共に、屋根の一部が崩れ落ちたらしい。
幸いにして完全に廃墟化していた為に、火事になるものもなく、また被害者も出なかったらしい。

「見に行ったけど空が見えちゃうぐらい屋根がきれいに落ちちゃって、いつかはそうなるかと
思っていたけど、子供達が入っていなくて良かった…って話していたのよ」と言いながら、
近所の井戸端会議で、集めるだけ集めた情報を元に、廃墟の崩壊について語った後、
簡単に片づけを始めた。

寝る前の準備に入った事が分かった。
そして
「あなたが朝聞いた音って、屋根の落ちる音だったのね」と独り言のように言っていた。


そう僕は確かに崩れ落ちる音を聞いたのだ。
             気になる看板




「いつかはそうなる...」と言うのは、何も母だけが思ったことではなかった。
明らかに廃墟化したその洋館は、実は権利など「大人の事情」が複雑に絡み合っていて、
役所も不動産関係者も手を出せずにいた。
しかし明らかに防犯上も危険な建物であった。

元はこの付近で沢山の土地を持っていた人物の所有物件で、今みる範囲の数倍の広さを
誇っていたらしい。
ところが家主が急逝してから、残された家族は徐々に土地を切り売りし、今日の廃墟だけが
残ったと言うことらしい。

詳しいことが分からないのは、この所有者がこの辺りで一番古い住民で、
多くの人が住み始めた時には、既にこの家が荒廃し始めていたらしいからだ。
尤も当時はまだこの洋館に、お婆さんと中年の息子さんが住んでいたらしいのだが。

やがてお婆さんが亡くなって、その息子さんが家主となったとほぼ同時に、半分は大手の
不動産会社によって切り売りされて、小洒落たメゾネットタイプの物件が、数件建って、
とんでもない価格で売り出されたにも関わらず、「即売」という状況に付近の住民も驚いた。

この町に古くからある「町内憲章」は、この頃から形骸化し、その後も町はどんどん変わっていった。


そんなある日、町に噂が立った。
実に下らない噂だったが、尾ひれが付いてついに区役所まで乗り出す様な噂だった。

           何かちょっと怖い感じがする落書きだった。




根拠のない噂の概要はこうだ。

あの地震で崩れ落ちた洋館から、夜になると叫び声が聞こえると言うようなものだ。
人によっては年老いた老婆の声だと言い、また別の人によると、生まれたての子供の鳴き声だ
とも言った。

初めはみんな「単なる噂」だとしていたが、あまりもその叫び声が何度も聞かれる事から、
近隣住民が警察に連絡したことで、ちょっとした騒ぎになったりもした。

警察は廃墟に誰かが入り込んでいたり、また事件に巻き込まれたり人がいるかも知れない...と言う
懸念から、何度か洋館の敷地に入り込み、立ち入り調査をしたが、結局何も見つけられずに、
住民に「何もなかった」という報告をするしかなかった。

そんなことが何度か繰り返された。

しかしやはり叫び声が聞こえるという話は、不定期に起こり区役所の対応として、崩れ落ちた門扉に
黄色と黒の斜線が入ったフェンスを立てて、簡単には中に入れないように「警告文」という貼り紙を
して、不用意に中に入るな...と言う形だけの対応をした。


当時、子供もいなかった(結婚もしていない訳だから同然だけど)ので、詳細は分からないが
子供達の間では、案の定「お化け屋敷」として知れ渡り、時折自転車に乗った子供達が洋館の前を
通り過ぎながら「オーイ!」というような冷やかしの叫び声を上げていく光景が見られた。

きっと僕が同じ様な年齢なら、同じ様なことをしたであろう事から・・・少し微笑んで見ていた事を
覚えている。


しかし・・・単なる噂では事が済まなかった。

           マテリアルに惹かれる




その年は異常気象続きだった。春先に始まった季節外の台風で、秋口には既に18号と言う
ナンバーリングがされた台風が日本列島を襲っていた。

18号は遅々して進まない停滞型の台風で、既に昨日から小笠原諸島に上陸し、
夜のニュース番組では岸壁に立つレポーターが、命を賭けた罰ゲームのような出で立ちで、
台風の被害を伝えていた。

速度の遅い台風は、このままの進路を取ると関東地方を直撃すると予測されていて、
明日には東海地方が暴風雨圏に入り、明日夜遅く、もしくは明後日の朝には首都圏直撃だと
予測していた。

事実、既に東京には突風や強風が吹き、新宿のビル街では落ちてきた木の枝で、OLが怪我をしたと
言うニューが流されていた。警戒を呼びかける報道は、ややヒステリックにさえ思えた。



いつものように遅くに帰宅すると、自宅側に近づくとどこかで赤色灯の回転しているのが分かった。
規則的に赤い光が塀に当たって、パトカーの存在を知らせていたからだ。
しかしそれがどこで光っているのかが、良く分からなかった。
あまりにも沢山のパトライトが回転しているので、どこで光っているのかが、全く分からないのだ。

しかし「あっ、またあの洋館で何かあったんだ」と思うのに、そんなに時間は掛からなかった。





すません…「(下)」って銘打ったのに、終わる事が出来ませんでした…。・゚・(ノД`)・゚・。トホホ
次回こそは終わるといいのですが…タイトルをどうするかも含めて、次回をお待ちください。

音の正体 音の招待 (中)

一休み



今でも鮮明に覚えている。
その日は夜になっても、ほとんど気温が下がらなかった。
そろそろ衣替えをしないと・・・と思った時から数日が過ぎていて、半袖のポロシャツでは朝夕に
「寒さ」を感じる季節になっていたのに、その日はとても暖かかったのだ。

巧く言えないのだけど、「暖かい日=太陽が降り注ぐ日」と言うことではなく、どちらかと言うと
曇りで、空気が淀んだように動かずに、ドヨンとして、時間が濃密になったような・・・奇妙な感じのする
暖かさだった。


風呂上がりに冷蔵庫からビールを取り出して、当時チケットが「なかなか入手出来ない」と言われた、
日本のプロサッカーのリーグ戦を見るともなく見ていた。
開けはなった窓からは「生ぬるい風」が吹き込むのを感じていたのを覚えている。

当時はビールも飲めたし、趣味もなかった事もあって、家に帰ってからも仕事をしていた。
もしかしたら「好きな事をする」って意味では、仕事も趣味の領域だったのだと思う。
会社で終業間際までして、更に仕事を持ち帰って、自宅で寝る間際まで続けるのだ。



1:00a.m.過ぎまで続けた仕事をやめ、寝しなにもう一本缶ビールを空けながら、
本を開いてベッドに横になり・・・窓から入って来る生温い風を受けながら・・・だらしなくそのまま
眠ってしまったのだった。


当時、僕の部屋は地下にあって・・・と言っても、窓の外はドライエリアになっているので、
燦々と日が入るのだけど・・・窓を開けっ放しで寝ていても防犯上の問題は何も無かった。

部屋の三方の壁はコンクリートの打ちっ放しで、床はアンティークの無垢のフローリングが
敷き詰めてあった。
室内には簡単なキッチンが付いていて、簡単な食事なら作ることも出来た。



目が覚めたのは、そのシンクの中でビールの空缶とグラスが倒れたて大きな音を立てたのだ。

神妙にお清めを…






部屋の構造と部材の関係で、音の響きやすい事もあったのだが、思いの外大きな音がして
僕は目覚めてしまったのだ。

キッチンには安いビジネスホテルにあるような、小さな冷蔵庫が付いていて・・・尤も入っているのは
ビールぐらいな物だったが...時折ブーンと言う音と共に、微振動がする事があったので、反射的に
冷蔵庫を見たが、シンクの中の物が倒れるほどの振動であるはずもなく、夢だったのか…と再び
吸い込まれるように眠りに入ろうとした瞬間、ドォーンと突き上げられるような衝撃が、僕の背中を
押した。


実はその部屋は「シェルターにもなるな」と建築会社の人が言うほど頑丈に作られていて、
多少の地震があっても「有感」しないはずだった。
通常の3倍近い鉄骨と、コンクリートの質を高めてあって・・・何かあった時は家族がそこに集まるように
なっていたのだ。

その部屋が突き上げられるように揺れたのだ。

慌てて一階に上がり、部屋の中を見渡すと、ダイニングの上に天井から吊されていた照明器具が
揺れていて、瀬戸物で作られた天使達の像が通れていた。

が、それ以外は特に大きな問題もないように見えた。
(※翌朝、再度点検すると天使の像の小指の部分が折れていて、階段に飾られた一輪挿しの花瓶も倒れて口の部分が欠けていた)


きっと寝ぼけていたので、少し大袈裟に感じたのかも知れない。
少なくとも「突き上げられるような・・・」と言うような地震があったとは思えない、
普段通りの室内だった。

母親が起きてきて「大丈夫?」というような会話があって、「二階の部屋は結構揺れた」と言うような
話を聞いて、部屋に戻ると何度か軽い地震がきた。


尤もこの部屋で感じるほどなので、それなりの地震だったのだと思うのだが、特に騒がしくなる事も
ないし、開けはなった窓からも、特に異変を感じるような気配もなかった。

まだ完全に夜の住宅地の音を吸い込むような静かな闇が広がっていた。

そして僕は再び眠りについた。

石畳が綺麗に濡れていた





多分明け方だったのだと思う。

窓の外からズドーンと言うような、尾を引くような爆音が聞こえて、僕はハッとして再び目を覚ました。
また地震が来たのかと思ったのだ。

しかし今度は何かが違った。地震特有の建物の揺れの名残りみたいなものがなかったし、
なにより「音」だけで、体感するような揺れを感じなかったからだ。


完全な住宅地の中で、寝ている人が起きるような物音がする・・・などと言うことも、
まず考えられなかったし、何よりもその気配が何もなかったので、今度こそ寝ぼけたのだのなぁと
思いながら、三度寝をしようとした。

しかし・・・二度も起こされた僕の脳は、これ以上の入眠を拒否している感じで。

仕方がないので、そのままシャワーを浴びて、「二時間後にはどっちしても出勤なのだから」と、
そのまま起きる事にしたのだ。


朝、家族に挨拶もそこそこに「地震結構大きかった」と言うような会話をして、
その後のズドンと言う音について聞いてみたが、僕以外の家族は誰もその音を聞いてなかった。
やはり寝ぼけたのだ...と結論付け、僕は出勤した。


駅に向かって歩き出すと、一つ目の交差点を曲がると、駅とは反対方向にある、あの廃墟と化した
洋館の辺りに、数台のパトカーと、数人の野次馬が遠巻きに洋館を覗き込んでいた。


時々問題になる不法侵入者が「また入ったか?」と思ったものの、駅とは逆に位置しているので、
そのまま駅へと向かった。
実際にはホームレスにはもってこいの物件かも知れないが、やはり「火の不始末」などを近隣の
住民は心配していた。








話はまだ続くのですが…今日はこの辺りで(^_^;ゞエヘッ 
ここからが面白くなるので次を楽しみにしましょう( -.-)/☆( +.;)ポカッ ホントウニオモシロノカ??

今日は完全に夏日でした…東京

三兄弟

本当は今日「音の正体 音の招待」を書こうと思っていたのですが…
何だか風邪をひいてしまった様で…( p_q)シクシク

朝は調子が良かったんですぅ。
朝起きて、いつものようにナチョと神宮外苑まで自転車の練習に行って。
最高気温も28℃まで上がって、ちょっとした「夏気分」を味わっていたのですが、
お昼を過ぎた頃から、「喉が痛いなぁ」と思ったら、段々頭痛がしてきて。

1:00p.m.過ぎには自宅に戻って、そのまま寝ました。





          ジャポニカ

昼寝から目覚めると、やはり喉と頭痛があって…とりあえず「何か食べて薬を飲もう」と、
冷蔵庫の中をあさって…ラスクがあったので、それをポリポリと食べて、風邪薬を。
そう言えば昨日naokoさんが発熱したとかで「お気をつけて!」と言っていた矢先に…
自分が風邪を…。・゚・(ノД`)・゚・。トホホ

考えてみると、単なる風邪じゃなくて「熱射病」かも…と。

いや僕はゴルフをすると、ラウンド後に猛烈な頭痛に苛まれる事があって、今回の痛み方が
あまりに似ているので…きっと直射日光を頭に受け続けると、やはり頭痛になるのだ。
困ったものだ…。




気になるモチーフ

今…19:30現在、何とかブログを見る程度までは復活したのモノの…記事を書くまでには
行かず…。・゚・(ノД`)・゚・。トホホ 
すみませんが、本日は続きを書けませんが、お許し下さい。

コメント&リコメント&訪問が送れませんが、合わせてお許しください。


本日のオマケ

えっと…日本代表が4回連続Wカップ出場を記念して、東京タワーの色を変えました。
今夜だけかも知れませんが…記念の為に…
おめでとう…でもこれからが本番よ

音の正体 音の招待 (上)

今日は髪の毛を切りに、朝から雨の中 東名高速に乗って横浜町田まで行き、
中央林間(神奈川県)と言う所にある店まで行ってきました。
もう15歳(高校生)の時から 髪の毛を切って貰っている美容師さんの所まで行って来たのです。
あまりにも長い間切って貰っているので、お互いがどれだけ歳を取ってしまったのかが
良く分からなくなっている間柄なんですけど・・・(苦笑)




その古い洋館はこの町に引越してきた時には既に無人だった。
建物と同じぐらい古い門扉は、その役割をとうの昔に放棄して、一部は完全に崩れ落ち、
子供でも跨げるほどの残骸がかろうじて建っているような有様だ。

既に大人になってしまっている僕は「朽ちた家」としか見えなかったが、きっと子供だったら
「お化け屋敷」と呼んだだろう思うほど、完全に朽ちていた。

きっとクラスの中の誰かは、「夜になると窓に明かりともることがあるらしい」とか、
「窓辺に老婆がいた」という体験談を披露するなんて事があるだろう・・・廃墟だ。

都市伝説が生まれるには十分なロケーションだった。

雨上がり




僕がこの廃墟が気になった当時、神戸で大きな地震があった。
余りにも大きな爪痕を残した大地震だったが、その後も日本の各地で巨大地震な地震が起こり、
「次はついに関東東海か?」と言われるようにもなった。

電車の中の中刷り広告にも、「首都圏大地震 危険地域はここだ!」とか、
「死者30万人の恐怖 東京大地震」など、退屈な通勤時間の乗客の興味を引き付けるには
刺激的過ぎる見出しが踊った。

しかし大方の予想を裏切るような形で、北陸から東北と今までの常識とは少し離れた所で
大規模な地震が起きた。

幾つかの都市では自衛隊の災害救助派遣が要請され、ニュースで流れる被災地の映像は、
「自然の猛威とはこう言うことか・・・」と思わせるには充分な被害の様子を映し出していた。

大地震とは言えないが、僕の住むこの町でも、大地が何の前触れもなく揺れた。

それは人々の怯えるには十分なエネルギーを持っていたし、誰もが揺れる度に地震直後
”夜明けの神戸”の空撮の映像を頭のどこかで忘れられないでいた。

甚大な被害が出ると言うことは無かったが、何回かそんなことが続くと、
やがては大きな地震が来るのではないか・・・という不安が増長され、
実際にどうなるかは分からないが、一応「避難グッズ」なる物を備えたりもした。

尤も学者に言わせると、時々ガス抜きをするようにエネルギーを放出している方が、
大惨事を招くことを回避できると言うことらしいから、それもあまり人々に安心感を与える情報には
ならなかった気がする。

仮にその学説を理解したとしても、真夜中にグラッと来ると胸の深い所がぐっと沈む込むような
イヤな気分になった。


実際に被害に遭われた方は、決して癒されることはないであろう大災害も、遠く離れている
この町では、いつからか「ニュース」で流される「あの震災から今年で○年目」と言う言葉以外、
普段の生活であの震災を思い出す事が少なくなったある日、

真夜中の東京が大きく揺れた。

蔦を見ると「再生」と言う言葉が思いつく




今でも明確に覚えているのは、その日は夜になってもほとんど気温が下がらなかった。
そろそろ衣替えをしないと・・・と思った時から数日が過ぎていて、半袖のポロシャツでは朝夕に
「寒さ」を感じる季節になっていた時期だ。

風呂上がりに冷蔵庫からビールを取り出して、チケットがなかなか入手できないのだと言われる
日本のプロサッカーのリーグ戦を見るともなく見ていた時に、開けはなった窓から「生ぬるい風」が
吹き込むのを感じていたのを覚えているのだ。


当時の僕はビールも飲めたし、趣味がなかった事もあって、家に帰ってからも仕事をしていた。
もしかしたら「好きなことをする」って意味では、仕事も趣味の領域だったのだと思う。
終業間際までしていた仕事を、持ち帰って自宅で寝る間際まで続けるのだ。

2:00a.m.過ぎまで続けた仕事をやめ、寝しなにもう一本缶ビールを空けながら、
本を開いてベッドに横になり・・・窓から入って来る生温い風を受けながら・・・だらしなくそのまま
眠ってしまったのだった。









すいません…まだまだ続くのですが…今日はここまでですぅ
次回をお待ち下さいm(_ _)mペコリ

今日の青空

地図への誘い【イザナ・い】

「今日は体育の授業がフィールドワークだったんだ」と言ったのは、
いつもの様にお風呂に入っている時でした。

フィールドワーク








????

何でも社会の授業で、今地図を習っているらしいのですが、その授業の一環で身近な地域を
実際に歩いて、「地図にランドマークを書き込んだり、お店に飛び込んでお仕事の話を聞いて
レポートにまとめる」みたない事をしたらしいのです。

何人かのグループに分かれて学校から飛び出して、それぞれの担当するエリアの白地図に
書き込みをして、最後に学校に戻って発表し合う・・・って事だと説明をしてくれたのです。

なんだかちょっと面白そうだな・・・と思ったのだけど、余りにも学校の近くに住んでいるので、
ナチョにとってはイマイチ新鮮味がないらしい(苦笑)


とは言うものの、かつて僕がそうであったと同じで、就学時間内に友達同士で校外に出る
と言うのは、ちょっと「非日常感」があって楽しかったりするのみたいだ。

           いつも気になる逆光のネオン



何で知ったのか・・・今となっては出典を明らかに出来ないので、今日の記事のネタは「与太話」
だと思って読んで欲しいのです(苦笑)。

僕らが普段何気なく使っている「地図」って、実は人間にとってはかなり新しい概念だそうです。
「新しい概念」っていうのはちょっと分かり辛いのだけど・・・。

えっと・・・何でも地図はどうしても「俯瞰」で描くことになりますよね。
そもそもが俯瞰って言うのが、想像するしかなかった時代がある訳で。

そうなると実際には地上を歩いて計測して、3Dである実際の世界を2D上で動き回り、
さらにそれを2D上の紙なり、木の皮なり、動物の皮などに描き写して・・・つまり置き換えるって
作業をしないといけない訳です。

この頭の中で行う変換(転換と言うか分かりませんが)作業って、地図に慣れ親しんだ僕らが
思うよりも難しいものらしいのです。
かなり感覚を伴うこともあって、その難しさは「遠近法に似ている」・・・と書いてあったのです。

遠近法がきちんと確立されてからの話じゃなく、それ以前、周りは遠近法で溢れていているのに、
いざ平面に表そうとすると・・・平気でパースの狂ったものになってしまう。

もちろん理屈が分かって、技法を修得さえしてしまえば空気のように意識しないで済むのだけど、
何かの拍子で「遠近法駆使しないといけない状況」になると、意外と正確に使うことが出来ない・・・
なんて事態になるのです。


ここ数年、何かと話題のダ・ヴィンチは早い時期から遠近法を取り入れていましたが、
日本での話になると、かなり後年まで「パースという概念が脆弱だった」事は事実です。
(※もっとも日本では写述する行為そのものが縁起が悪いという思想があったことも原因だ・・・
 という説もあるので、果たして遠近法が本当に理解されていなかったのかどうかは、
 実に微妙らしいけど・・・。)

          今日の東京




数少ない「僕の自慢」は三つあって(苦笑)、

一つは「夢を覚えているのが得意らしい」って事。

もう一つは「一度でも意識して見た顔は忘れない」って事。

そして最後が「地理勘が良い」って事。

なんだかどれも学問とは縁遠いのはご愛敬ですが(苦笑)、頭の中に比較的容易に「地図」を
思い浮かべることが出来るのですね。

これは方向感覚とも密接な関係があって、一体自分が何処をどっちの方を向いて、どの位の速度で
移動をしているのか?と言うことを、感覚的に分かっているって事なのだと思うのだけど。

尤もそれが山の中でも、海上でも出来るのか? と言われると非常に困るのだけど、
先ほど記述した「人の顔」を覚えるのと同じで、一度でも通ったことがあるの場所を確実に
覚えていて、歩いた事のある場所との位置関係を、正確に把握できるってことなのです。

実はこの感覚が鋭利かも?って思ったのは、そんなに昔の事じゃなくて今から5年ぐらい前なんです。

気付いた切っ掛けは、ナチョを見てそう思ったのです。




麻布十番に住んでいた時、二歳のナチョを電動アシスト自転車の後席に乗せて
色んな所に行ったのですね。
芝公園にある区民プールとか、
渋谷の児童館、
青山のこどもの城とか。


まぁ正直言うと「こどもの為」って言うよりも、電動アシスト自転車に乗りながら、
ナチョと話をする事をボクが楽しんでいた・・・ってだけなんですけど(^▽^;)アセ

ナチョ自身も「自転車の風を切る疾走感」が好きみたいで、何かあると「自転車で行こう」みたいな事を
言っていたのです。



ここからはちょっと、東京にお住まいの方しか分からないかも知れないので地図を載せます。
申し訳ないのですが、想像してお読み下さると有り難いです。


麻布十番から渋谷にあるNHKに行こうとすると、六本木ヒルズを抜けて西麻布交差点を越えて、
青山墓地下のY交差点から、墓地中を通る裏道の坂を上って・・・外苑西通りをオーバーパスしている
道(骨董通りにぶつかる道)を走ることになります。

ここから骨董通りに平行する道のどれかを選んで、表参道を通り、原宿駅を越えて・・・
NHKに到着する。

車ならもっと他の道もありますが、自転車だとこの道が最も直線的な動きになると思います。

幸いにして電動アシストは坂道を苦にしませんから、このコースが緑も多くて 安全で良いと
思っています。

ここから出発
ここが始まり


六本木ヒルズを通って
ここを抜けて



ここを右折して
ここを右折して



ここが墓地中の坂道
この墓地中の坂を上って



登りきった所を左折
この十字路を左折すると、なだらかな下り坂で、足を広げて気勢を上げるポイントだ



正にこの部分がオーバーパス
ここがオーバーパスです。地図ではちょっと分かりづらいですね(^_^;ゞエヘッ



この交差点まで来るとあともう少し
ここから原宿まではV字型に下りと登りがある…がそこを走るのだ



原宿の駅を抜けてここを過ぎると



NHKに到着
ここです(^v^)ニコ



どういう経緯だったか忘れてしまったのですが、多分日曜日とか、祝日だったのだと思います。
二人で自転車に乗って先ほどのコースをひたすら走っていたのです。

まだ幼稚園に行く前の夏ですから・・・夏休みではなかったと思いますが、とにかく暑かったのだけは
強烈に覚えているのです。

青山墓地のど真ん中を抜ける坂道で、ペダルを漕いでいる僕に、後ろの席から激励の掛け声が
掛かるのです。

「パパ頑張れ!」「パパ頑張れ!」「パパ頑張れ!」「パパ頑張れ!」「パパ頑張れ!」

この掛け声は坂道になると必ず掛かるのですが(苦笑)、それがなんだかおかしくてわざと
「きつそうな顔」をしてペダルを漕ぐのです(;^_^Aエヘヘ
※本当はアシストされているので・・・さほどでもないのですぅ


で、坂を上りきると
「あーナチョのお陰で頑張れたよ」
って言うのがお約束だったのですね。


この墓地の中の坂を上り切ると、十字路になっていて左に曲がると骨董通り、右に曲がると
乃木坂と言う位置です。

目指すはNHKですから、左折するとなだらかだけど、比較的距離のある下り坂になるのです。
そしてそこからの眺望が良いのです。

右手のは表参道交差点辺りに建つビル群が見えて、左手は緑の多い青山墓地。
体一杯に向かい風を受けて、サドルに座ったまま両足を広げて、親子揃って

「うひゃぁーーーーホォーーーーーーーーー!!」
と言いながら下っていくのです。


実はこの道をとナチョと通るのは初めてだったのですが、緩やかな下り坂を見つけると、
いつもこんな事をしていたので、ナチョも一緒になって声を上げるのです。

坂が終わって、

「パパこの坂が大好き。あまり坂には見えないけど、ここからの景色って昼も夜も綺麗なんだぁ~」と
言ってペダルを漕ごうとした時、

「ここの下、道?」って聞いたのです。



そうなんです…この下は「外苑西通り」が走っていて、つい数日前に神宮外苑からの帰り道、
車でそこを通ったのです。
「そうだね」って言うと、


「この前、通ったよね」と。


えっ!?



ちょっとビックリしたのだけど、外苑西通りでここを走る時と、今 通ったオーバーパスでは
大人が見ても「同じ場所」には思えないほど、周りの景色が違うのです。

だから単なる勘違いをしているのだろうと、この時は思ったのです。

でも次の瞬間、えっ?!と思う事を口にしたのです。

今日の六本木交差点




「えっと…下の道をあっち(外苑方面)にずっと行くと黄色いチュルチュルのお店
(ホープ軒と言うラーメン屋さん)の所があって緑の公園があるでしょ。
こっち(広尾方面)に行くと○○(義父の呼び名)のお家の信号の所」
と言ったのです。



ボク思わず自転車止めましてナチョをマジマジと見たのです。…(^_^;ゞエヘッ

合っているんです。
全く間違いがない。


まだ二歳だったナチョはいつもベビーシートに乗せられて、車の後席でずっと外を見ているだけ…
と思っていたのですが、子供は子供なりに車の窓の外の景色をちゃんと理解しているのだと
思ったのです。

実はこの後、同じような事が何度もあって「あっ、この子の地理的な感覚って僕に似ている」って
思って、考えてみると、地理的な感覚が極めて早い段階(年齢)から感覚的に認知しているのです。


が…この感覚を言葉で書いても…なんか上手く表せません(^_^;ゞエヘッ




今ナチョは地図の書き方、見方の勉強中です。


今度の探検は渋谷区と港区の地図を持って歩いてみようと思います。
果たして本当に彼女の地理勘が優れているのか、見極めてみようと思います。






すいません…リコメントと訪問が遅れるかも知れません…お許し下さい。

すまないハルキスト

「嘘でしょ?」

ってクライアントには言われるのですが(苦笑)、やはり昨日のブログに書いた通り、
プレゼンが終わるとスッカリ胃痛がなくなるから・・・不思議です。


今日の東京は青い空が顔を出していると思うと、一気に曇ったりする、とても風の強い一日でした。

プレゼンが終わると、ここ数週間貯めてしまっていた業務資料を一気に仕上げ、
分散しているデータをDVDに落としてストックして、資料として残さないとマズイモノを精査して
ファイリングして・・・。
そういった細々した作業で一日が潰れます。

        まだ続く中華街の写真(^_^;ゞエヘッ




休み時間になると、ブログをチェックして・・・コメントに目を通します。
そして、皆さんから頂いたコメントを読んで・・・フット昨日書いたブログの「光麺で・・・4000円弱」と
言うのが、ちょっと高かったかなぁ~と思いながら、自分の記憶を疑った訳です。

あれ? 勘違いかなぁ?・・・と。

いや、この時 実は車を停めたコインパーキングが、駅前って事もあって ちょっとビックリするほど
高かったのですね(^▽^;)アセ (なんと1時間10分で1600円もして(T_T)ナミダ)
その辺の感覚と一緒になってしまったかと思って、お財布を見たんです。

僕は普段、カード払い以外でレシートを取っておくという習慣がないので、今回現金払いだった事も
あり…、確認、証明する「控え」がない・・・と思って。



でも念の為と思って、財布を見るとあったんです・・・レシートが!!
実はこの時、食事をし終わって すぐ側にある薬局で家内が使う「冷えピタ」を買ったのですね。

光麺で貰ったお釣りを、そのままデニムの前ポケットに入れていて、そこからグワッしお金を掴んで
支払いをしたので、レシートがそのまま紙幣の間に挟まっていたらしいのです。

帰宅してから着替える時に、ポケットの中の現金をお財布に移しますから、
そのままレシートが残っていたのです。
(※なぜか冷えピタの方はなかった・・・)


それで確認すると・・・4000円弱っていうのも…間違いはないかなぁ~という金額でした。
正確には・・・この画像を見て欲しいのですが(苦笑)、

半Gと言うのは「半分餃子(二個)」

豚トロは「豚のバラの所の厚切り」

コーラは僕の飲んだもの

ウーロンはナチョの飲み物

杏仁豆腐はナチョのデザート

ALLっていうのは「具材を全部載せるつけ麺」

合わせて・・・3670円

やはり高いですよね(^▽^;)アセ

                 ね…(^v^)ニコ
      ※一番下の所は、レジを打った人の個人名が印字されているので、ボカシを入れました。





村上春樹著 「1Q84」 やはりブームになるほど売れているようで(^▽^;)アセ

いや以前、pasionariaさんのブログのコメントでも書いた事があるのですが、
例のイスラエルでの受賞式で、「壁と卵」のスピーチをした時に、

「(卵や壁に例えたのが正しいかどうかは別にして)あのスピーチを主催者側にイスラエルで
やった事は称賛に値する・・・」
「が・・・世界で最もノーベル文学賞に近い作家と言われているけど、私は村上春樹に小説が
良く解らない」

と言うような事を書いたのですね。


全部とは言いませんけど、かなりの彼の作品を読んでいるのですが・・・イマイチ、
何だか「中年ロマンティストの妄想」の域から出ない作品群としか、僕には思えないのだけど・・・。

あのスピーチ以来、村上春樹にマイナスの評価するといけないような風潮があって・・・
何だかちょっと肩身が狭いような気がしています。

熱狂的な「ハルキスト(村上春樹ファン)」もいるので、なかなか口を大にして言えないのですが、
何度読んでもそんなに良いか?と思ってしまうのです。

 何度見ても迫力があるなぁ この建物

 



でもまあこれだけ売れていると言う事は、商業的には大成功だし、「売れているもの=正しい」と
するならば、やはり僕の掘り下げ方が域に達していないって事になるのですよね。

でも「売れている=文学性が高い」と言う事は、必ずしも成り立たないでしょ
(これ質問形ですよ・・・(^▽^;)アセ)


だってそうじゃないと赤川次郎などはもっと早くに文学賞を取っていないといけないって事になるから。
(※赤川次郎批判ではないですぅ~(^▽^;)アセ イカン今日はなんか辛口だな…)


でも実際問題、村上春樹のネームバリューって結構あって、パリでさえも川端康成や
三島由紀夫なんかに混じって並んで、大きな書店では「日本文学の一角を担っている一人」でも
あるのです。

たぶん・・・三島由紀夫が存命であったら、やはりノーベル賞は受賞していたかな・・・と思うので、
そこには何の疑いの余地もないのですが、三島と村上を同じ土俵で語っちゃって良いのか?
って事が、僕はどうしてもできないのです。

きっとこのブログの読者のみなさまで村上春樹ファン「ハルキスト」がいらっしゃると思うので、
コメント欄に「ここが良いのよ」って解説をしてくださると有り難いです。

もっとも炎上しても困るので、これはマズイ・・・と思った瞬間、私の意志で内容の如何に関わらず・・・
コメントを削除もしくは閉じる事もありますけど。



さて今日はきちんとリコメントをして、ご訪問をさせて頂きたいと思います。
良い夜をお過ごしください(^v^)ニコ

ここ数日の僕

今日はここ数日間、根を詰めていた仕事・・・10SSプレゼンテーションが無事終わりました(^v^)ニコ
長い間、中途半端な状態のブログが続き、申し訳ありませんでした。

今日の東京は朝からとても良い天気で、何日がぶりに青空を見ることが出来ました。
これを「プレゼン日和」と言って良いのか分かりませんが・・・半年置きにやってくる行事なのに
毎回胃が痛くなる(苦笑)

元来持っている気の小ささと、「ここでしくじると半年間辛い・・・」と言うWパンチが
キリキリと胃を締め付けるのです。何年やっても慣れない・・・って言うのは、困ったものです。


皆さんはルーティンなのに「この日が気が重い」と言うようなことありますか? 

もしかしたらしかるべき役職に就いていて、訓辞を垂れないといけないとか、
毎年来る「自己申告」(つまり業務査定の一環)が、死ぬほどイヤだとか・・・色々あるのかも
知れませんね。

宜しかったら、色々な業務の色々な「胃痛の元(笑)」がお聞きしたいモノです。

きっとそれぞれの職種、様々な役職で、偉い人は偉い人なりに、そうでない人はそうでない人なりに
(笑)、色々と「胃痛の元」持っているのかも知れません。

             街に点在する形




昨日、家内がダウンしまして。
正確には一昨日の日曜日の午後から「猛烈な頭痛」に苛まれて・・・買い物から戻るやいなや、
倒れ込むようにしてベッドに入りました。


ある意味職業病でもある「緊張型頭痛からの片頭痛」は、夫婦揃っての持病でもあります。
その辛さは私も同じ病気を持っているので、何をどうして欲しいのかは大体分かります。
もちろん夕飯の事もありますし、てんやものを頼んでも良いのですが、緊張型や片頭痛の場合、
「光」や「音」にもかなり厳しい反応をしてしまうことがあるのと同時に、「音」にも敏感になります。

何気ないピアノの音が頭に響くって感じです。

更に年に数回ある「強烈な片頭痛」の時には、「匂い」さえも敏感になってしまって・・・。
いつもなら「良い匂い」と思うような料理の匂いまで、ムカムカしてきてしまう事があります。


で、ナチョと二人で外食しようと言うことになり、本屋さんもあるし、恵比寿に行こう・・・ と
意気投合したのです。
日曜日の恵比寿は空いているので、お店選びに困らないからでもあるのですけどね。

普段はタバコを吸う僕ですが、ナチョと二人の時は吸いません。
だから「タバコの煙もくもく」なんてお店には、美味しくても行けないので、お店を選ぶ事になります。

とりあえず駅ビルの方へ行こうと、車をコインパーキングに停めて歩き出すと・・・
ネオンサインの明るい「光麺」が夜の町に栄えています。

「光麺」ってご存じですか?

まあラーメン屋さんなんですけど、元は池袋に本店を持つお店で、今では都内に何カ所か店舗展開
しているラーメン屋さんです。
それ以上の事は、僕も詳しく知らないのですが、たぶん本来は「つけ麺」が有名なのだと思います。
人によってはダメかも知れませんが、魚介系のスープ出汁で・・・僕は好きなのです。


「あそこ前に行った所だよね?・・・あそこで食べたいなぁ」とナチョ。

確かに、もうかなり前に一度行った事があったのですが、それはナチョと行ったのか記憶がなくて。

先日も中華だった事もあり(苦笑)、今回は何か他のモノを食べたかったので、
とりあえず本屋さんに行ってから決めようと、言う事になりました。


結局、本屋さんの中で「何食べようか?」って言った時に・・・
「あーもー頭の中はラーメンになっちゃってる」と。
僕は笑ってしまったのですが、サイドメニューも確か有った気がするので、結局「親子でラーメン」と
相成りました。


色々頼んで締めて4000円弱。

ますます先日のバイキングが、いかに安かったか・・・文句を言っちゃいけないなぁ~と思ったと
同時に、だったら光麺並の味はしても良いのだなぁ~とも思った訳です。
(※ちょっとしつこいけど(^▽^;)アセ)

          異文化の形




明けて昨日・・・家内が自分用に処方されたの片頭痛薬の特効薬を飲んだのがですが、
イマイチ効果が出ずに・・・もしかしたらと、体温を計ってみると・・・やはり発熱していることが
分かりました。

通常「片頭痛」では発熱しないので、もしや?と思って、試しに風邪薬を飲んでみると、
アレほどヒドかった頭痛はかなり治まったのですが、「すっかり平気」とまでは行かず、
午前中に病院に行き、その後出社しました。

しかし 無理をしないで、最小限度”片づけて置かないとマズイモノ”だけの仕事して早退しました。



僕はと言うと今日(つまり6月2日)プレゼンの資料作りがあって、どうしてもナチョを迎えに行く迄に
仕事を終えられず・・・一旦ナチョを迎えに行き帰宅。

お風呂に入れて、いつの如く「今日はどんな日」と「割り算クイズ」をしました。
(※最近、ナチョは学校で割り算を習っていて、やっと整数の割り算が終わったと思ったら、
 余りのある割り算”33÷4=8…1”みたいなものです(苦笑)。
 これを「タカシ君は33個のおまんじゅうを持っていま~す。3人の友達と仲良く分けるとぉ~
 皆は幾つづつ食べる事が出来て、余りは幾つになるでしょー??」ってクイズを出すのです。
 クイズでも何でもないのですが(苦笑) 出題するボクもかったるいのですが…本人がやりたがるので
 仕方なく付き合っていますぅ。注)三人の友達+自分だから割る数は4になります)


W攻撃と言うドライヤーを二つ使って髪を乾かして(苦笑)…更に寝しなの課題の「音読」を聞いて
(提出しないといけない音読表なるモノに評価を書き込んで…)、最後にパパのいい加減「お話」を
言うのを10分間して…寝かしつけて…そのまま着替えて、再度会社に行って資料をまとめました。

集中していたので、思っていたよりは早く終わったので、家に帰ると…そのまま爆睡。

そして今日朝から直行の午前中のプレゼンでした。

  久しぶりに家内が運転をした



午後は違う事業部の担当と7月のセミナーで「一体何を話せば良いのよ?」的な打ち合わせをして…
打ち合わせが終わると、午前中のプレゼンの結果が早くも出ていて、ほぼ満額回答が出たので…
後は「モノ作り」の方に集中しよう!と言う段階に入りました。

とは言うものの、5日にまた違う事業部のデザイン出し(これはプレゼンよりもこっちにイニシアチブが
ありますので、まだ楽です)が締め切りを迎えるので…明日頑張ります。



今日から…いや明日からかなぁ 普通通りのブログ活動になりますので…どうか皆様、
よろしくお願い致しますm(_ _)mペコリ


ナチョパパのここ数日の話でした。